一首感想『あさがおが朝を選んで咲くほどの出会いと思う肩並べつつ』

あさがおが朝を選んで咲くほどの出会いと思う肩並べつつ

吉川宏志(1995) 青蝉 砂子屋書房

一目見て、素敵な出会いについて詠んだ歌だな、今隣にいる人に対してその絆の尊さを思えるなんて素敵だな、と思った。

「あさがおが朝を選んで咲くほどの」出会いってどのような出会いなんだろうか。「ような」ではなく「ほどの」であるということは「あさがおが朝を選んで咲く」ことは程度の比喩らしい。
主体は、肩を並べている恋人友人家族その他誰かとの縁をそれくらいの出会いだと思っている。その人との絆を大事にしている様子が伝わってくる。一体どれほどのなんだろうか?2通りの可能性を思いついたので下記に示させていただく。

  1. あさがおが朝咲くのは当たり前で、ありふれたことだという意味で解釈している場合。それほどありふれた出会いではあるけれど、自分にとっては大切な出会いだと信じている。

  2. あさがおという花は24時間ある一日のうちで朝のみを選ぶ珍しさを指している場合。それほど稀有な出会いだから大切だと思っている。

他にも解釈はあるだろうし、植物への知見が足りないのでこの解釈は間違えているかもしれないけれど、自分は1の感じがなんとなく好きだと思う。日常の尊さにそれがあることが当たり前になっているような時でも気付けるのはとても素敵なことだし、普遍的な体験で特別な感情を描く短歌ってハッとさせられるからすごい。あさがおは結構生命力の強い植物なのですが、この絆の強さを表しているような感じがして、幸せな気持ちになるところも好きだなと思います。

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