一首感想『サイダーの泡を残してこの夏は人魚のように消え去ってゆく』

サイダーの泡を残してこの夏は人魚のように消え去ってゆく

伊波真人(2017)ナイトフライト (株)書肆侃侃房


読後の爽やかさと切なさの共存がとても印象的な歌だと思った。伊波真人さんの歌は独特の雰囲気がある。

サイダーの清涼感と、人魚から連想される海の涼しさに爽やかな夏を思い起こされる。海へ行きサイダーを飲む夏は夏の王道だと思う。泡を残してという言葉から砂浜に押し寄せた波の作った泡のようなイメージも連想される。消え去っていく様子が人魚のようだという文脈は理解した上で人魚、夏という言葉が並ぶことから夏に海を自由に泳ぎ回る人魚のイメージが思い浮かんで楽しかった夏の日々が伺える。

下の句の『人魚のように消え去っていく』という表現は一見爽やかな別れのようだが、実際は人魚が泡になって消えるということはその人魚は死を迎えている。この夏は死に、もう二度と戻ってこない。夏の終わりに使うには残酷なくらいの表現だが、その残酷さが二度と戻らない青春の喪失感を強調しているようにも思える。しかし、消え去って「ゆく」の2文字から、今はまだ消えている最中であり、この夏の終わりを感じているがまだ夏を終わらせたくないのだろう。

サイダーは飲んだ瞬間は爽やかだが、後から口の中にベタっとした甘味が香りたつ。後味を引く感じが終わる夏への未練を感じさせ、残暑の茹る暑さを意識してしまう。夏が消え去り、手元に残ったサイダーは時間が経つにつれて炭酸が抜けていく時間制限付きの置き土産。飲まなきゃ、と、どうしても存在を意識してしまう。
もうしばらくは夏が忘れられそうにないから、早く来年の夏が来るといいね。

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