一首感想『ブランコの鎖に春の体温が残されていて、繋いでもいい?』

ブランコの鎖に春の体温が残されていて、繋いでもいい?

鈴木晴香(2021)心がめあて(株)左右社

ブランコが好きなこともあり、なんとなく雰囲気が好きだと思った。
鈴木晴香さんの短歌は、なんとなく肌感覚で好きで、そこから意味考え始めて、理解すると共感がすごいなと思うことが多い。芸術は肌馴染みが大事だと思っていて、歌は解釈ができればできるほど好きになるタイプなので、鈴木晴香の短歌がすごく好き。

『繋いでもいい?』は「」で括られた会話文じゃなくて地の文で書かれているので、おそらく主体の言葉だろうと推測できる。何を、が書かれていないので、ここからは妄想を膨らませていきます。

『ブランコの鎖に触れたら体温が残っていた』ということは、今は誰もいないブランコに私が触れて、春の体温を感じている。
春の体温は他の人が握っていた、もしくは太陽の熱で温められたという可能性があるが、どちらによるものかを考えるにはブランコが表すものを考える必要があるかと思う。

ひとまずこの歌を恋愛で取ることにする。
『繋いでもいい?』は『(手を)繋いでもいい?』と解釈する。ブランコの鎖の握る動きは心なしか手を繋ぐ仕草に似ている。ブランコのある公園は好きな人の心かもしれない。空席のブランコは恋人がいないことを表しているのではないか。
そうなるとブランコに残る春の温度は昔の恋人の温度で、好きな人が昔の恋人を忘れられていないことを主体は感じ取っているのかも。めちゃくちゃしんどい。

そうなると『残っていて』ではなく『(あえて)残されて』いる体温が、まだ昔の恋人を忘れたくないみたいで余計に心にくる。

でもできれば振り向いて欲しいからちょっとでも近付きたくて『(手を)繋いでもいい?』と聞いている姿はなんていじらしいんだ。好きだ。幸せになってくれ。
主体の片想いなら報われて欲しいし、付き合えているなら本当に呪いたくなる最悪な展開なので何がなんでも幸せになってほしい。

もし春の温度が太陽の熱だとしたら、彼が人生で大事にしている趣味・仕事などがそれにあたるかもしれない。好きな人の心の一番内側の部分が見えて嬉しいけど、そこに自分がまだ居られていない寂しさを感じる。好きな人の心の中にいてもいいって言われたらどんなに嬉しいだろうな。
そうなると『残されていて』は主体のために場所を空けてくれたのかも、とも取れる。

後者は最後の解釈が少し解釈が強引に思えるので前者の方がよりしっくりくる気がする。付き合っていても自分が相手の心の中に棲めているのかってよくわからないのに、他の人が居ることだけはすぐに察せてしまうのはなんでなんだろう。

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