見出し画像

よろこびが無いなら死ぬしかない

ふとした時に退屈すぎて死んでしまいたくなる時がある。
何かをしたい欲望が湧かない、かといって嫌なことがある訳でもない。
漠然とした、不安とも言えない、言葉にするほどでもない息苦しさ。
なんなんだろう。
まるで脳が喜び方を忘れてしまっているような気がする。
こういうどうしようもない時に酒を飲む。
すると少しずつだけど元気になってくる。
小さなことが楽しくなってくる。
少年期の喜怒哀楽が走り出していた頃を思い出す。
どうして退屈が苦痛になってしまったんだろう。
どうしてあの頃は死なんて考えなかったんだろう。
考えてはいた、考えていたけど恐怖しか抱かなかった。
今は死を退屈からの救済として考えてしまっている。

何が原因なんだろう。

昔、川泳ぎをしていた時、渦に巻き込まれて溺死しかけたことがある。
なんとか命からがら岸まで戻れた時、今まで感じた事のない程の喜びが全身を突き刺した。
地面に足が着くたび、呼吸をする度に細胞一つ一つが踊りだすほどの喜び、快感が襲ってきた。あの日ほどの幸福は未だに味わえていない。

そう考えると今の生活の中には命を感じる場面が少なくなってきている。
命の実感、いや、死を実感する場面が少なくなってきている。
だからこそ死に近づいて、またあの時のような喜びを浴びたいと思うのだろう。
遊園地やパニック映画、登山などが廃れない訳だ。

そういうものが有るとわかった今、
退屈からの救済に直接的な死を求めるのは些か急ぎすぎな気がする。
最高のそれはいつかの最後にやってくる。
退屈はまだ始まったばかりだ。
それに何かを見出してからでもいいだろう。
どうせ最後に最高が来るんだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?