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箱入り娘、気が強い子供になる

◆幼少期の話

医療従事者の子供として田舎に生まれた。
顔の濃い父似。二つ上の兄は母似。
父は単身赴任で、基本は母と兄と私の3人暮らし。
父の顔が大好きだった母は、私を溺愛した。
世界一可愛いと育てられていた。

一方で、兄はあまり可愛がられていなかった。
母は自分の顔が嫌いで、似ている兄も嫌ったし、落ち着きがない、言うことを聞かないのがすごくストレスだったようで、ヒステリックによくなっていた。
今ほど、ADHDなどの概念は浸透していなかったし、育児に関しては外野がうるさかっただろうから、自分を責めていたんだろう。

父はモラハラ気質があり、母をアカデミックでないなど指摘することがあったらしい。
父の実家は完全に男尊女卑の、頭の出来を最重要視する家で、嫁の条件は身長や出自などもかなりこだわるタイプ。反対を押し切って結婚したようだし、嫁は孫を産む存在と捉えている義両親のもと、ただでさえ思い通りにいかない子育てでまいってしまっても仕方がないと思う。

大きくなってから聞いた話だが、私の両親はもともと精神的に弱いタイプで、父も母も薬に依存していた。
父はデパスを朝昼晩飲んでいた、といえばわかる人にはわかると思う。

まあそんな話はおいておいて、
物心がつくまえの私は
自分は可愛いものだと疑うことがなかっただろうし、素直にすくすくと育っていたと思う。
怒られまくる兄を見ていたので、これをやったら怒られる、ということも学びながら強かに。
兄にはいつも「⚪︎⚪︎ばっかり!」と言われていた。
私を可愛がってたからと言って、衣食住や教育に差がついていたわけではないし、確かに兄は多動で私は違ったから当然怒られる回数は違うもので、虐待かというとどうなんだろうか。

田舎ならではのご近所付き合いの盛んな土地で、近所の人たちにも私は可愛がられ、兄は問題児扱いを少し受けていた。
ご近所には同年代の子供がたくさんいて、親が交代で遊びにいかせることもあったようだ。

ある日皆で図書館に行った時のこと、幼稚園児か入る前かの私は、母が着いてきていなかったので1人でお手洗いに行った。あまり記憶はないが、知らない男に男性トイレに連れ込まれた。幼き頃から私はビビリではなかったようで、ぎゃーーー!と声を出せたらしい。その男は去り、すぐに助けがきた。(記憶がないから多分ネ)

母は大層ショックを受け、輪をかけて過保護になった。
世界一可愛い、に、攫われそうになった、
までついたら、それはそれは気をつける。

箱入り娘誕生である。

当時ビビリではないものの、ふわふわはしていたと思う。早生まれで成長が遅めだったのか、ぬけていて幼稚園の先生にはよく怒られた気がする。

あともう少し幼少期

その後幼稚園年中で引っ越すことになり、中途半端な都会に行くのであったが、あまりにも県民性の違う土地に、幼いながらもカルチャーショックを受けた。

のんびり穏やかな土地から、しゃっきりちゃきちゃき風土へ。
今ならわかるが、マウントの文化も強い。
こんなことがあったんだよ〜と話すと、「それ自慢?」と言われる、自己主張の世界だ。

女の子と上手くはいかない。可愛い子と友達になりたいのに。グループに入れない。
幼すぎてわからなかったが、自分は世界一可愛いと言われていたし、今思えばとてもわがままなお姫様だったんだろう。

男子とレゴで遊ぶようになった。
女子の仲間外れをよそに、男子に負けん気を発揮し始めて、気が強くなっていった。

そんな幼稚園時代。
ホワイトベリーの夏祭りとハム太郎が流行っていたかな。

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