トム ③汚ねぇし、14才だし。

 水仙が好きだ。我が家の庭には先代が植えた水仙があり
春になると並んで星みたく勝手にまたたく。
それを我が家の猫たちが匂ってみたりつついてみたり。
 調べると、水仙は猫が食べたらヤバイそうだ。
だから一時は全部引っこ抜こうかとも思ったが、
幸い猫どもはつつく以上の興味を示さないので
未だに我が家の庭には春先、空から移植したみたいな水仙が
何が面白いんだか風に吹かれては笑っている。

 年末に何度も雪が降って、例年以上に寒く感じた年越しだった。
その割に花の咲きだすのが早いように感じた、夏を思うと気が重くなるような春。
 案の定、梅雨を過ぎると「嘘だろ。」とつぶやく日が続いた。
雨戸を締め切り、ひたすら酷暑をやり過ごす日々。
 猫たちは冷蔵庫の上から冷たい視線を流し、一緒に寝ませんかという虚しい問いを一蹴した。

 
 トムは昼寝をしていた。
朝の8時には日陰だった隙間だらけのベランダの下は
今や日差しの真っただ中だ。
避けようがない。
 ボールに水はほとんど残っておらず、煮えたようになっている。
 心臓がとんとん動いている。それがどんどんに変わって、トムは目を覚ます。
いつもみたいな息ができない。
深く吸って、吐く。それでも、なんだか苦しい。
 トムは空を見上げた。遠い。青い。風のない空。
夕方まで耐えよう。
そうしたら、冷たい水をリコちゃんのおばはんがくれる。
日も落ちる。
涼しくなんかならないが、丸焼きにしようとする太陽の奴も引っ込む。
あと何日かな。

あと何日かな。

―あと何日かな。
殺処分の書類が揃うの。
 アメリカやらから一時帰宅した息子が高校卒業時につくった
同窓グループSNSに投稿した。
「親父の資産管理でわざわざバケーションとって日本まで来たの
よ。
なんで、犬?
 預かり先を探したっつー証拠の書類が必要なんだってさ。
家帰ったら、まだ生きてんだもん。
メシやってたご近所さんがいてさ。
けど引き取れませんって、なんだそれだよね。
「里親の打診されたけどうちでは引き取れません」って、
とりあえず、サインくれりゃいいのにさ
もう少し待ってくれとか言われた。
あと何日待ちゃいいんだよ。
うざい、迷惑なんですけど。ほんと。」

 この息子の同窓生で、直接話したことはないけど
顔は覚えているよ、という人がいた。
 モコちゃんの飼い主だ。
モコちゃんママは、激怒した。
すっかり忘れていたアイコンが俄かに騒がしくなって、
開いてみたら飛び出してきた状況に携帯を放り投げて激怒した。
 それからこの息子の帰省先であるトムの家に突撃した。
現代には、SNSという便利なものがあるのにね。

ぴんぽん
ぴんぽん
ぴんぽぴんぽぴんぽ!!!!

 しゃらりと出て来たじさまの息子の妻、
埒が明かないと息子と代わらせ、モコちゃんのママは
保護団体に渡された、という書面を震える手で受け取った。
「これですか。」モコちゃんのママはいう。
「これす。サインしてくれます?」息子がいう。
「待ってください。飼い主探すんで。」
「は?でも、うちらもうアメリカ帰るんだけど。
あとなんか、近所のおばさんも探すとか言ってっけど、あいつ14才じゃないすか。汚ねぇし。ウケる。
だから誰も欲しがんないぽいすよ。
こっちは親父の手続きも大方済んだし。
だからサインだけしてもらえたらいいんだよね。」
「どうぞ。帰っていいですよ。ただ、殺処分は待って下さい。
飼い主、探、す、ん、で。」


こうして、トムまだ耐えることになった。酷暑と孤独と尻のおできに。

 モコちゃんとママが散歩に出るごとに、トムの新しい飼い主探しをみんなに頼んでいることも知らず、すれ違いざま挨拶を交わしてきた飼い主たちが、SNSで繋がっていくのなんかも知らずに
ときおりぼこん、ぼこんと踊る心臓をなだめながら秋を迎えた。

 


 

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