続々・クルド人の“埼玉侵略”考

続々・クルド人の“埼玉侵略”考 “シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」279/通算710  2024(令和6)年3/26/火】「春雨じゃ、濡れてまいろう」・・・2日連続の雨だと風邪が完治していない小生には散歩は無理。♪春子ウロウロ花の宴? 道草せずに早く来てくれ!の気分だ。ま、そのお陰で勉強ははかどるが・・・

子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。福澤諭吉先生の「学問のすゝめ」、「明治のトップベストセラー」で今なおロングセラーとして読み継がれているのは同書だけだという名著である。小生も第一巻を読んで大いに感激したものだ。そしていつも思うのは「高校や大学などは学問の場であり、スポーツなどは放課後の余暇にすべきではないか」ということ。スポーツなどの大会で優勝して大学の名を挙げ入学希望者を増やす・・・これって最高学府のやることなのかどうか。

「学問のすゝめ」は1872年(明治5年2月)初編出版。以降、数年かけて順次刊行され、1876年(明治9年11月25日)十七編出版を以って一応の完成をみたという(WIKI)。慶應大学の「慶應義塾年表」によると――
<1858年(安政5年)10月開塾: 福澤諭吉、藩命により江戸築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内(現在の東京都中央区明石町、聖路加国際病院のあたり)に蘭学塾を開く。これが慶應義塾の起源で、時に諭吉数え年25歳。いまはこの地に、創立100年を記念して「慶應義塾発祥の地記念碑」が建てられている。
1871年(明治4年)3月三田に移転: 現在本拠の三田の地はもと島原藩の中屋敷があったところで、前年に邸地約1万2千坪を貸し下げられ、翌5年には払い下げを受けたものである。
1873年(明治6年)4月学課を整備し、正則・変則の両科新設: アメリカ風の教育課程を採用して修業年限7年の正則科を設け、別に変則科は満17歳以上を入学の条件として修業年数を定めなかった。そののち、両科は本科・予備または正科・別科などと変ったが、基本的にはこの学制が大学の確立するまでつづいた。また、卒業の制度もでき、そのとき創立から同年までの在籍者数約2千名中、およそ4年間在学して当時後進の生徒を導いた158名をえらんで卒業生とし、翌7年4月からはじめて実施されるようになった>

「学問のすゝめ」は1872年(明治5年2月)初編出版だから慶應義塾の運営で大忙しの時である。それから幾星霜、66歳の諭吉翁は明治32/1989年刊行の「福翁自伝」が絶筆となったよう。明治34/1901年2月3日に大往生。

諭吉翁が亡くなると慶応大学と早稲田大学の「早慶戦」という「スポーツのすゝめ」が始まった。「両校の初の対戦は1903/明治36年)11月21日、慶應の三田綱町球場にて行われた。早稲田が先輩格の慶應に『挑戦状』を送達し、慶應がそれに応じたことによって行われた試合である」(WIKI)。大学が学問ではなくスポーツなどで競うことになった。

それを見て荷風は「バカか?!」と侮蔑していたが、「早稲田文学」(1891/明治24年創刊)の向こうを張って慶應から「教授になって『三田文学』を始めてくれ」と頼まれるやイソイソと引き受けた。そういう荷風を小生は“人間臭いなあ、面白いなあ”と好むが、 清廉潔白を良しとする人は荷風を蛇蝎のごとく嫌うよう。それって嫉妬じゃないか?

産経2024/3/22、拓殖大学顧問・渡辺利夫先生の「正論:諭吉『学問のすすめ』のすすめ」は小生の知らなかった諭吉の「強烈な武士道的愛国心、勇武の精神」を紹介しており、非常に興味深かった。以下一部転載。

<多くの人々が抱いている福澤のイメージは、天賦人権説や社会契約説をベースに日本の文明開化の必要性を説きつづけた啓蒙思想家、というものであろう。このイメージが誤っているわけではないが、実はこれは福澤思想の一面にすぎない。
『学問のすすめ』の第7編が書かれたのは、明治7年3月である。ここで福澤は「殉教」「殉死」を人間道徳の最高のものとして説いたのである。

暴政、つまり政府の暴力に人民はいかに抵抗すべきかと問うて3策、「節を屈して政府に従う」「力を以て政府に敵対する」「正理を守(まもり)て身を棄(すつ)る」を示し、取るべきは第3策だというのである。殉教とは信念のために命を棄てること、殉死とは臣下が主君の死を悼み命を絶つことである。
天賦人権説や社会契約説により日本社会に新しい規範を示そうという福澤が、新規範について語る同一の著作の中で、旧時代そのままの精神の構えを最上策として提示しているではないか。

【同一の著作で旧時代の精神を】 この年、維新により特権を奪われた士族(不平士族)の反政府運動が蠕動(ぜんどう)し、その先駆けとなったものが前司法卿の江藤新平をリーダーとする佐賀の乱であった。しかしこの乱は明治新政府軍によって鎮圧され、江藤は梟首の刑に処せられた。梟首の刑とは晒し首のことである。刎(は)ねた首を獄門台に載せ、三日三晩これをみせしめにするという酷い刑罰である。
江藤が佐賀に帰る前に、すでに鹿児島に下野していた西郷隆盛は、江藤から当然のように加勢を求められたもののこれを拒み、殉教、殉死を以て政府に抗せよと江藤に説いたのであった。

福澤は西郷とは面識はないものの、相互に深く通い合うものをもっていた。廃藩置県という大業が西郷なくしては成し遂げられず、これなくして維新は不可能であったことを福澤はよく知っていた。開明なる西郷は不平士族を糾合して、みずからそれを打ち立てた新政府に武力を以て対抗し自滅するような無謀を企てる人物ではない、正理を諄々と説き、正理に殉じた人物だというのが福澤の見立てである。

【福澤が嫌悪した「景況】 西郷は西南戦争により政府に武力を以て刃向かった人物ではないか。そう考える人もいるかもしれないが、そうではない。西南戦争は鹿児島私学校に蝟集する士族が、西郷の意に反して起こした暴走である。暴走発生の報を伝え聞いた西郷は「天だ、天でごわす」といって、その後は死に場所を求めて九州山中をさまよい歩いただけであった。

福澤は『学問のすすめ』17編を書き上げた年の翌明治10年9月に「明治十年丁丑(ていちゅう)公論」を執筆した。抵抗の精神の重要性を西郷隆盛の生きざまの中に描き切った名説である。そこには次のように述べられていた。
「近来日本の景況を察するに、文明の虚説に欺かれて抵抗の精神は次第に衰頽するが如し。苟(いやしく)も憂国の士は之を救うの術を求めざるべからず」
幕末・維新の喧噪と動乱の時期を経て、近代主権国家への道をひた走っていたあの時代にあってなお、福澤は抵抗の精神、殉教、殉死の精神を説いたのである。
日本の国力が衰退して国際的地位が一どきに低下し、ナショナリズムを鼓吹しつつ大国への道を歩む国家(*)を隣に置きながら、国内政治の随分と小ぶりな問題(*)に浮き身をやつしているのがわが日本の指導者群である。福澤が心底嫌悪した「日本の景況」とは、そんな風景だったのではないか>(以上)
*)中露北という強盗殺人団に囲まれながら枝葉末節の「派閥のパーティ収入不記載事件」に右往左往していることへの痛烈な批判だ。

物質文明、機械文明は次代に継承でき得るが、人間の知性、理性、教養、いかに生きるべきかという哲学はなかなか継承されない。ローマは紀元前753年に建国されてから紀元476年に滅びるまでナント1229年も続いたが、今の人間と同様に国民を引っ張っていく政治家など“デキル人”はごく少数派、それに支持同調する人を含めてもせいぜい人口の20%程ではないか。国民のほとんどは衣食住がそこそこ足りていれば支配者を倒そうとは、仮に思ったところで実行はしない。リスクが伴うからだ。せいぜい長いモノには巻かれよ、という「事大主義」に走り、蓄財に精を出したり、あるいは諦観して「面白おかしく暮らせればいい」という暮らしを選ぶのだろう。
小生は「抵抗の精神、殉教、殉死の精神を持った憂国の士」でありたい。ま、夢のまた夢で終わりそうだが、晩年の人生の目的、志としては結構良いのではないか? かなり異端、かなり傷んでいるという見方もありそうだが・・・

今回も産経3/16「報じられない川口クルド問題 秩序なき『共生』 黙殺される地域の声」を続ける。以下は「地元住民の声」から引用。
<読者から寄せられたメールは全体の約4割が埼玉県民からで、うち約7割が川口市民。「このまま川口で暮らしていけるか不安」「ヘイトと言われる日本は本当におかしい」・・・。近年SNSなどで個人の意見が「拡散」されることが増えているが、比較的短い感想や攻撃的な内容になることも多い。今回メールで募集したところ、いずれも長文で、自身の体験や意見を淡々と述べたものがほとんどだった。主な意見を抜粋して紹介する。
【川口市内】 「おびえて子育てしている」▶40代女性「マスコミは何らかの恩恵や力が働くのか分かりませんが、ほとんど事実を報道しません。記事を読んで、勇気を出して文章にする方もいるんだな、と感銘を受けました。私は以前は横浜市内に住んでおり、外国人が多い地域でいろいろな国の友人もいました。外国人に対する差別意識はありません。川口市で実際に子育てして住んでみると、治安の悪さに驚きました。正直、おびえて子育てしています。
何かを発言すればヘイトだ人種差別だと、圧力や嫌がらせがありそうで、怖くて発言できません。安心して子供を公園で遊ばせられる、安全な子育てができる埼玉県に戻ってほしいです」

「もはや全体の問題」▶40歳男性「市内で生まれ、ずっと住んでいますが、ここ数年の治安の悪化は著しいものがあります。『一部のクルド人だ』とも言われますが、もはや全体の問題と考えてもおかしくない。一刻も早く、安心して暮らせる社会になることを願っています」

「公平って何ですか」▶50代女性「市内で子育て中です。クルド人の行動や素行をとても恐怖に感じています。私たち川口市民は、この先も川口で生活していくことに不安を感じます。公平って何ですか。それを武器にしないでください」

「警察を何とも思っていない」▶55歳男性「もともと外国人の多い川口は、日本のどこの住民よりも外国人に慣れている。ただ、クルド人と他の外国人が違うのは、彼らが警察を何とも思っていない点です。法律も関係ない、警察も怖くない、集団で行動するクルド人をこのままにしておけば、この街は無法地帯になります。誰か助けてください。
まじめに仕事をしているクルド人もたくさんいるでしょう。日本人がやらない仕事をしてもらって、助かっている部分もあるでしょう。ですが、法律を守らないクルド人は日本から即刻出ていってもらいたい。これはヘイトでも差別でもなく、日本人として当たり前の感情だし、当たり前の前提だと思います」

「引っ越せばよいと言われるが」▶60代女性「川口に住んで20年になります。孫がいますが、本当にここに暮らして大丈夫なのか? この年になって、そんな不安が出てくるなど思いもしなかった。引っ越せばよいと言われるが、年金生活でお金はありません。市長が出してくれますか。私たちは普通に暮らしていただけです。どうか川口市民の声が大きな声になって市を、国を揺さぶれる力になりますように!」

【埼玉県内】 「どこがヘイトか」▶33歳女性「迷惑行為を繰り返すクルド人の取り締まりを強化して、もともと住んでいた方が平穏に暮らせる生活を取り戻すことの、どこがヘイトや差別なのでしょうか? クルド人問題を提起しただけで「ヘイトだ!」と言われてしまう日本は、本当におかしいです」

「政府には憤りしか」▶56歳男性「クルド人は数多くの問題を起こしているが、逮捕されても不起訴処分が目立つ。こんなことが許される日本はおかしい。「外国人と共生を」「外国人を差別するな」と政府やメディアが擁護しているが、この問題に対処しない政府には憤りしかありません」

「欧米の移民政策は失敗なのに」▶67歳男性「クルド人はすでに川口周辺に何千人も住んでおり、自分たちの祭りでは民族衣装を着て民族楽器を鳴らしている。「ここは日本?」と思う。これからどうなっていくのか。しかもクルド人は、実態は不法滞在状態の人もいると言われている。政府は人手不足を理由として「移民」を急速に増やそうとしているが、それは違うと思います。欧米を見ても移民政策は失敗している。政府の動きへの不安が広まり、クルド人問題を大きくしている面があるのではないかと思います」(以上)
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地元の日本人の痛切な悲鳴だ、政府は何をしているのか、と怒りとともに何もできない自分に情けなさを覚えるが、産経2024/3/26「トルコ国籍者の難民申請5.4倍増の2400人で過去最多 大半は川口のクルド人か」によると多少は前進するかもしれない。以下転載する。

<令和5/2024年に難民認定申請した外国人のうち、トルコ国籍者は2406人で、前年の445人から約5.4倍に増加したことが26日、出入国在留管理庁のまとめで分かった。過去最多で、大半がトルコの少数民族クルド人とみられる。このうち難民認定されたのは3人だったが、入管庁はトルコ人かクルド人かを含め「個別の事情は明らかにしていない」としている。

入管庁によると、令和5/2023年中に難民認定申請した人は87カ国の1万3823人。多かったのはスリランカ3778人、トルコ2406人、パキスタン1062人の順で、この3カ国で全体の5割超を占めた。トルコ国籍の申請者の大半は埼玉県川口市周辺に2千人以上が集住するとされるクルド人とみられる。
トルコ国籍の申請者は平成28/2016年に初めて1千人を超え、新型コロナウイルス感染症の影響で一時減少したものの、水際対策が解除された昨年は一気に初の2千人台に乗った。昨年2月のトルコ地震の影響もあったとみられる。
申請者のうち正規の在留資格を持つ人が全体の9割を超える一方、不法滞在で難民申請した人も840人おり、前年より約19%増加。このうちトルコ国籍者が最多の162人に上った。
また、申請者のうち複数回にわたって難民申請を繰り返した人は1661人で、申請者全体の約12%。トルコ国籍者が最多の402人で全体の約24%を占めた。複数回申請者のうち2回目の申請だったのは1313人で、最多は6回目の申請だった。6月半ばまでに施行される改正入管難民法では、申請が原則2回までに制限される>(以上)
「郷に入っては郷に従え」は国際社会の基本的なルールだろうが、トルコでも嫌われる異端のイスラム教徒のクルド人には馬耳東風なのか。日本人は基本的に穏やかだが、宗教に淫して道を外れ暴れるとオウム真理教のように1億国民から懲罰を受けることになると教えるべきだろう。行儀を良くしないと間違いなくそうなる。在日クルドのボス連中がその矯正を進められるかどうか・・・今は祈るしかない。
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*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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