黄文雄氏の遺志を継ぐべし

黄文雄氏の遺志を継ぐべし
“シーチン”修一

【雀庵の「大戦序章」329/通算760  2024(令和6)年8/30/金】台湾人の「黄文雄」氏は2人いる。評論家と政治家。年齢も1歳違いだからややこしい。WIKIによると――
◎黄文雄 (評論家) - 1938年12月5日 - 2024年7月。台湾出身で日本在住の作家、評論家。拓殖大学日本文化研究所客員教授、世界戦略総合研究所(世界平和統一家庭連合〈旧統一教会〉系シンクタンク)評議員、主権回復を目指す会顧問。台湾の政治活動家・独立運動家・人権活動家である黄文雄と生年が近く、かつ両名とも台湾独立建国連盟の関係者であるため混同されることがあるが、まったくの別人である。

◎黄文雄 (政治家) - 台湾の政治活動家、独立運動家。1970年に米国で蔣経国暗殺未遂事件を起こし20年以上にわたって地下へ潜伏し、後年には台湾人権促進会(台権会)の第8代会長、陳水扁政権で中華民国総統府国策顧問も務めた。
1937年(昭和12年)、日本統治下の台湾の新竹州生まれ。国立政治大学新聞学科卒業。1964年(民国53年)、アメリカ合衆国のピッツバーグ大学の奨学金を獲得したのを機に渡米、コーネル大学社会学研究所で博士号取得に励むかたわら、ベトナム反戦運動や学生運動、フェミニズム運動などに参加、さらに全米台湾独立連盟(UFAI)、台湾独立連盟(WUFI)に加わって、台湾独立に向けた活動を行った。
1970年、アメリカ留学中の32歳のとき、中華民国総統・蔣介石の息子である蔣経国(当時、行政院副院長。のちに総統)の訪米予定が発表されると、台湾の独立と自由を目的として蔣の暗殺を妹の夫の鄭自才、妹の黄晴美らと計画する。同年4月24日、訪米した蔣経国をニューヨークのプラザホテルの入口で拳銃で狙撃したが失敗、その場でニューヨーク市警察に逮捕された。その後、保釈中に逃亡し、1996年まで20年以上にわたり地下に潜伏した。

この暗殺未遂事件は台湾独立派からは「義挙」として賞賛されることが多い一方で、中華人民共和国政府など台湾独立に対して批判的な勢力からは「台湾独立派がテロリストにすぎない」証拠であると非難されることが多い。なお、台湾ではこの事件は起きた日付をとって「四二四刺蔣案」と呼ばれている。
1996年(民国85年)4月、台湾へ帰国し、1998年(民国87年)1月には台湾人権促進会(略称:台権会)の第8代会長に就任し、2000年(民国89年)には陳水扁政権のもとで総統府国策顧問も務めた。(以上)
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小生が台湾に関心を寄せるようになったのは1970年からである。弘文堂の王育徳著「台湾 苦闘するその歴史」を読んで、大いに台湾独立の支持者になっていった。当時の大学では台湾独立への関心は薄く、革マル派曰く「台湾は中国の領土だ」、共産主義革命を目指していた全共闘の連中は基本的に毛沢東・文化大革命支持者だから台湾独立への共感はまったくなかった。

2006年には林建良(Lin Kenryo)氏の「日本よ、こんな中国とつきあえるか」(並木書房)を発注したら林建良氏から「友へ 日台共栄」のサイン入りが届いた。その縁で林建良氏が定期的に行っている集会&デモを覗いたら、黄文雄氏 (評論家)がニコニコしながら見守っていた。集会と言っても30人ほどしかいなかったが、林建良氏は「こんなに多くの参加者は初めて!」と興奮していたのを思い出す。その黄文雄氏が亡くなった。

「フォーカス台湾」(東京中央社日本語版)2024/8/27「台湾出身の作家、黄文雄さん死去 85歳 『台湾は日本人がつくった」」から。
<「台湾は日本人がつくった 大和魂への『恩』 中華思想への『怨』」や「台湾は日本の植民地ではなかった」などの著作で知られる台湾出身の作家、黄文雄さんが、7月に亡くなっていたことが分かった。85歳。政治団体、台湾独立建国連盟の陳重光主席が26日、フェイスブックで明らかにした。陳主席は、黄さんの家族からの話として、すでに葬儀を済ませたと伝えた。近年は病気で療養していたとしている。

黄さんは日本統治時代の1938(昭和13)年、南部・高雄生まれ。小学校で日本の教育を受け、69年に早稲田大学第一商学部を卒業。71年には明治大学の大学院で修士課程を修了した。64年に在日台湾人による政治団体「台湾青年会」に加入し、66年には在日台湾学生連誼会が創刊した機関紙「台生報」の編集を務めた。また台湾独立建国連盟日本本部委員長、拓殖大学日本文化研究所の客員教授などを歴任した>以上

林建良・台湾独立建国聯盟日本本部委員長の「黄文雄元委員長に誓う」(2024年8月27日)から。
<長く闘病中であった黄文雄・元委員長は、日本本部の前身である台湾青年会からのメンバーであり、闘病を経て最期のときまで、資金部長として私たちと共にいてくださいました。

黄文雄先輩の人生は国民党独裁下の台湾から逃れ日本へ留学した台湾人留学生の歴史でもあり、台湾独立建国運動の発展の生き証人でもあります。台湾を愛する海外台湾人と日本人、そして中国共産党による支配に苦しむ民族の、ありとあらゆる活動の中に黄文雄先輩の姿がありました。
委員長時代は、後輩の企画を温かく見守り、必要に応じて手を差し伸べてくださいました。その間、紙媒体からインターネットへと宣伝媒体を変え、世代交代を進め、台湾人と日本人が交流しながらそれぞれの国を強くしていくための団体を生み出し、在日台湾人にとって屈辱的であった外国人登録証の廃止を勝ち取ることができました。

我々盟員一人一人は、黄文雄先輩が示された理念を忘れずに運動を社会の隅々へと行き渡らせ、台湾アイデンティティに基づく台湾共和国を建国するとともに、日本がその良さに気づき、世界を導く役割を果たせるように力を尽くすことで、黄文雄先輩の期待に応えるという決意を捧げます。黄文雄先輩、ありがとうございました>以上
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良き先輩たちが次から次へと亡くなっていく。とても残念だが、その志を引き継いでいくのが我ら後人の役割だろう。日台共栄で諸悪の根源、習近平独裁政権を倒すべし!
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