続・朝日新聞は「日共応援団」?

続・朝日新聞は「日共応援団」?
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」266/通算697 2024(令和6)年1/27/土】承前。前回の最後にこう書いた。
<小生は今は産経を紙と有料ネットで愛読しており、1979年以降は紙の朝日を読むことはめったにないが、なぜ朝日は日共の報道がケタ違いに多いのか? まるで「赤旗」みたいだが、日共支持の読者、特に女性が非常に多いのではないか。朝日は昔から「テレビ欄が充実しているので女性読者が多い」とは聞いていたが、高学歴の女性読者も多いようである。「平和を愛する日共ガンバレ、戦争を準備する自民党ダメ絶対」という思想信条が浸透しているのかも知れない>

1979年に小生は朝日新聞の自宅購読を終えたが、つまらないソ連の記事が多かったからである。朝日は冷戦時代でもソ連が大好きだったのだ。コケの一念、病膏肓、つける薬なし。その後は読売新聞にしたが、ジャインアンツのタオルケットをくれたのでゲンナリ。当時小生は広島カープを応援していたが、読売は「読者=巨人ファン」と信じているよう、「バッカじゃない?」とこれまたゲンナリ。今と違って当時の読売は購読者を減らさないように右でも左でもない中立的な(味の薄い)報道を社是としていたようで、小生にはインパクトが薄すぎた。

で、仕事を終えて帰路の電車の中では東京(中日)新聞夕刊を愛読するようになったが、名物コラムの「千夜一夜」は実に面白かった。コトバンクにはこうある。<「千夜一夜」は都新聞(のちの東京新聞)の夕刊コラム。同新聞の記者、須田栄が執筆を担当。1936年7月から連載を開始し、以後半世紀にわたり続いた。1954年には第2回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している>
1982年度には「日本記者クラブ賞」も受賞している。曰く<須田栄(中日新聞社編集局放送芸能部嘱託):およそ半世紀にわたり、夕刊コラム『千夜一夜』を執筆。独特の軽妙しゃだつな筆で市井の笑いと哀しみを描き続けた。"生涯千夜一夜記者"に徹し、85歳に至ってなお文筆一筋に生きる活動が評価された>

ファンはとても多かったのに東京(中日)新聞は有力な読者かスポンサーからの苦情があったのか、「千夜一夜」を追放した。以来、小生は東京(中日)新聞を「銭ゲバの根性なしの事大主義者」とレッテルを張り、軽侮、軽蔑、憎悪している。東京新聞を追放されたベテラン記者によると、編集現場にアカが多いとか。

須田栄氏はその後どうしているのだろうとネット検索したら「1983年、老妻の介護に疲れ心中を企てるが妻のみ死亡、殺人罪で逮捕されるが執行猶予がつく」とあるが、裏取りがとれない。日本の伝統的なセイフティネット「一子相続」が米国民主党のFDRルーズベルト一派に破壊されて以来「老々介護」、疲れ果てた末の「老夫婦の心中・自殺」は日常茶飯事になってしまった。須田氏が穏やかな晩年であったことを願うばかりだ。

「お前百までわしゃ九十九まで」、あなたは百歳まで長生きしてくださいね、私は(あなたの七回忌を済ませて)九十九歳になったらおそばに参りますから、待っていてくださいよ・・・夫婦はこうありたいなあと思う。奥さんの手厚い介護を受けながら旦那は先に成仏、その数年後に奥さんも息子夫婦、娘夫婦の介護を受けながら成仏。何度も繰り返すが、敗戦まで日本の家制度は実に良かった。

大昔から男と女では役割が違う。旦那は狩猟や農耕で外職(そとしょく)、奥さんは炊事・洗濯・掃除、牛や馬の世話、子供や老人の面倒、家近くの畑仕事、昼には旦那のところに弁当を届け、夕方には風呂を焚いたりの内職(うちしょく)。小生が小6(1963年)の頃まで特に農林水産業の家はそういうものだった。「くったくたなのによー、夜の相手もしなけりゃいけねーべー、もうてーへんだよ、はっはっは!」とおかみさん連中は豪快に笑っていた、と母は言っていた。(神奈川県の方言はべーべー言葉と言われていたが1980年頃に消滅。「けったらかしーよー、座わんべーよー」(疲れたから座ろうぜ)、最後は湘南の暴走族が使っていたという) 閑話休題。

企業でも男と女の役割分担は1990年あたりまで明確にあった。男は前線で働き、女は主に社内でそれをサポートする。それを「男女差別だ、男女格差だ」と避難する人はいなかった。何万年、何十万年もそれが普通だったのだ。

「男女平等」というか、近・現代の「職業婦人」の嚆矢は看護婦だったかも知れない。看護婦は1853~56年のクリミア戦争の最前線で治療に当たったナイチンゲールが生みの親で、それまで看護婦はただの女中や掃除婦でしかなかった。彼女は病原菌が発見される以前に「治療には衛生が大事」と唱えていたという。
人類史上最大かつ残虐な戦争と言われる第一次世界大戦(1914/大正3年~1918/大正7年)には日本軍も参戦したが、前線で傷病者を治療するために看護婦が動員され、職業としての近・現代の看護婦、看護師が定着していった。

「専業主婦であるべき女性が家から外出して賃金労働する」というのは、大正生まれで「私は士族の出」とプライドの高い我が母には受け容れ難かったが、学校の先生や医者、看護婦、助産婦など「立派な仕事をする女性」には敬意を表していた。「立派な女性」とは、昭和の、いわゆる「職業婦人」とはちょっと違うようだ。
<「職業婦人」とは昭和初期にあらわれた働く女性のこと。なかでも時代の最先端を行くモダンでおしゃれな女性たちのことを「職業婦人」と呼びました。「職業婦人」は、当時の時代の最先端を行く、世の女性たちの憧れの存在だったのです>(ドラゴン桜学習法)

かくして「第3次産業」の商業やサービス業を中心に女性の社会進出は拡大し、今では専業主婦は少数派のようで、「職業婦人」という言葉もすっかり消えた。これは自由民主の各国も同様で、一種の“文化大革命”だったと言えるかもしれない。
毛沢東の文革(1966~1976年)を朝日新聞は率先して称賛したが、現在進行形の“ジェンダー文革”も大いに支持しているよう。よほど「革命」が好きなのだろう。♪古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます・・・3周遅れのトップランナー??

朝日2023/11/17、佐藤信・東京都立大准教授の「女性登用、社内でも変化へもがけ」から引用する。
<朝日新聞は2023年6月23日の社説「男女格差 政治も経済も是正急げ」などで政財界の女性活躍の遅れを声高に叱咤してきた。しかし、当の朝日新聞はどうなのだろう。X(旧ツイッター)を覗けば、朝日新聞の報道に対し、当事者意識を欠いた「上から目線」だという批判をしばしば目にする。女性活躍にも厳しい目が向けられるのは当然だ。そんな疑問は読者からも届く。事実、いま社説を担当する論説委員のうち女性はわずか1割である。

調べてみた限り、朝日新聞がジェンダー平等への取り組みを始めたのは日本のメディアのなかでかなり早い。はじめに対応が進んだのは表記における性別に関する偏見。2002年につくられた「ジェンダーガイドブック」は社内向けに、女性のインタビューでだけ家事や育児について書かれる傾向や、野球の捕手を女房役と呼ぶようなステレオタイプな表現に注意を促した。17年には性的マイノリティーに関する記述を増やすなど全面的な改訂もなされている。新聞労連のジェンダー表現ガイドブックが22年につくられたことを考えても取り組みは早い。

せっかくなので過去記事のデータベースで、野球の捕手を女房役と呼ぶ言葉遣いを調べてみた。すると、読売新聞や毎日新聞などでは減ってきてはいるが、近年もこの表現は使われていた。他方、朝日新聞ではジェンダーガイドブックがつくられた後から減少し、18年を最後に表現自体がなくなっている>(以上)
文革を称賛したり、凝りもせずに言葉狩りをしたり・・・新左翼が暴れまくった50年前に赤瀬川原平は「アカイ/アカイ/アサヒ/アサヒ」と嗤ったが、「時流に沿って揺れ動く」「流行に迎合する」のが朝日流のよう。朝日新聞国際報道部の「プーチンの実像 孤高の『皇帝(ツァーリ)』の知られざる真実」(朝日文庫2019年)を読んだが、プーチン一派が悪い、ロシア人は悪くない、という「何をいまさら」の駄作だった。朝日はパワーダウンしていそう。

男だろうが女だろうが企業はデキル人を求める。当然だ。小生は編集プロダクションを起業してから、性別は気にせず「できそうな人」を採用してきた。学歴もほとんど気にしなかったのは「教えれば3か月、6か月でまあそこそこ役に立つだろう、1年も経てば一人前になるかもしれない」と思っていたからだ。
ところが同年齢でも大卒は1、2か月でそこそこ良い記事を書く。「孜々(しし)として励む」なんて小生も知らない言葉を使ったりする。半年も経てば「社長、締め切りが迫ってますよ、焦らないとダメです!」とハッパをかけたりする。一方で高卒は1、2年経っても難しい記事を任せられない。「もう私にはできません」なんて泣きが入ったりする。勉強しない、読書もしない、新聞も読まない、上昇意欲や知的好奇心が薄い。男も女も大卒はおおむね期待以上、高卒は期待未満・・・これが現実だった。もっとも「編集の世界」では、という話だが。

企業は仕事ができてタフで健康でぐんぐん伸びていく人材を求める。男か女かなどはどーでもいいが、それでも企業は女子社員が徹夜、休日出勤をしないでも済むように配慮はしているはずだ。1988年頃のリクルート社は男女差別はなく、社員曰く「男は白髪、女は生理が止まり子供を産めない体になります」というモーレツ企業だった。それに比べれば日本の一般企業は概ね「優良可」だろう。

女性社員は結婚を機に離職したり、妊娠すると休業したりするから、多くの企業は男の社員を優先して採用する。しかし、男だけの会社、職場なんてまずない。女子社員はどうしても必要なのだ。
会社は航空母艦や基地である。男はそこから戦場へ向かい、仕事をして空母や基地に戻る。そこには座職の女がいてドンパチ以外の仕事はこなしてくれる。「お疲れさまでした」とコーヒーとクッキーで慰労してくれる。「レポート書いておきましたから見ておいてください」とか。

リクルートから頼まれ評判の良い航空会社ランキングをアンケート調査していたら、「イスラム教国の航空機に乗ったらスチュワーデスではなくスチュワードがいてガッカリした。汗臭くて何も頼む気にならなかった」という人がいた。酒場やレストランでも接客は男のウェーターではちょっと興覚め、ニコニコしながらのウェートレスの方がいいという人は圧倒的に多いのではないか。育児は女の方がいいし、散歩で出会う我が町の保母さん、保育士はほとんど女性である。それは男女差別ではなく「適性にもとづいた男女区別、役割分担」だろう。

小生は「朝日新聞や日本共産党を支持する人は高学歴の女性読者が多そうだ」と思っているが、調べたら「ペーパーアド」2023/12/14に「新聞の特徴や種類を詳しく解説! 5大紙についても徹底的に比較」があり、こう報じている。
<朝日新聞の読者の年齢層は、男女ともに60代が最も多く、全体の22.2%を占めています。読者の職業の特徴としては、特に行政団体の職員や、企業の管理職が多く、他の新聞に比べて主婦層も目立ちます。大卒や大学院卒の割合が高く46.3%を占めており、世帯当たりの年収は771万円、世帯ごとの金融資産額は2076万円です。「経済的に余裕があり、知的で、政治や医療などのテーマに関心の高い層」というのが朝日新聞の読者イメージです>

朝日読者は「私はインテリ、私は正義、私はセレブ」とプライドが高そうだ。それ以外の人は無知蒙昧の輩と(心の中では)見下しているのかも知れない。中共や日共を見ても分かるが「アカは異端を許さない」のが原則で、党の上部が決めたことに異議を唱えたりすれば「分離主義者」「腐敗分子」「敵性分子」と非難され、速攻で排除されるのが普通である。小生が「反日的な胡散臭いパラサイト系拝金学者の巣」と嫌っている日本学術会議も同様ではないか。

戦前戦中の朝日は強者(陸軍)になびいて戦争をあおりまくった。敗戦後は一転して共産主義をあおってきた。露中北の末期的な暴走で今や共産主義が斜陽になっているから、朝日はアカからピンク、さらにピンクからホワイトへ徐々に近づけていかなければ存続はすこぶる怪しい。この際だから先祖返りで愛国右派に変身する手もあるが、下手をするとコア読者のインテリ女性が大反発するだろうから、なかなか悩ましい。
「アカか、ピンクか、それともシロか、それが問題だ」、ハムレット朝日よ、この際だから山一證券にならって自主廃業したらどうか。山一最後の社長、野澤正平が「私らが悪いんであって、社員は悪くありません」と号泣するや、世論は「勝ち負けは兵家の常、しょうがない」と寛容になった(1997年)。「経営の神様」松下幸之助曰く「やってみなはれ」、朝日よ、せめて最後は美しく逝くべし。
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*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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