天気予報もカネ次第?

天気予報もカネ次第?
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」103/通算535 2022/10/28/金】ここ1か月、屋外での営繕作業が続いているため、「今日と翌日の天気予報」をヤフーで調べるのだが、当たる確率は半分くらいだ。「明日は晴れたり曇ったり、ところによって小雨」・・・これって予報か? ナンカナーの感じ。

10/23には「24日の天気は晴」予想だった。実際に24日は早朝は曇りだったが晴れそうだった。しかしペンキ塗り作業を始めてしばらくしたら小雨が降りだし、「仕方がない」と他の作業に切り替えた。そのうち止むかと思ったものの、結局午後3時まで小雨が続いたので、「この際だから自分で天気予報をするしかない、気圧計を買ってみようか」と調べたら、使い方がずいぶん難しいので体温計しか知らない小生には猫に小判、諦めた。

それにしても天気予報士は理系の優秀な方ばかりだろうし、全国各地に百葉箱のような観測装置を設置し、さらに衛星情報、スパコンなども駆使しているはずなのに、昨日の天気は正確(当たり前!)だが今日と明日の予報はなぜ外れる確率がそこそこ高いのか?

ヤフーCorporate Blog「天気予報が外れることがあるのはなぜ? 上手な予報の見方」2021/7/22によると天気予報は気象庁頼りのよう。

・気象庁のスパコンで予報データを計算
・気象庁から送られてきた予報データを天気予報の形に変換
・予報データに気象予報士としての最終的な判断を入れる
・ユーザーのもとに「天気予報」として届く

諸悪の根源は気象庁か!? なぜ民営化しないのか? 気象予報は戦争と絡むから国家が握っているのか? 結論を言えばどうやら「カネ次第」、民間の気象予報会社はカネを出してくれるユーザーにはしっかりしたピンポイント予報を提供しているようだ。

気象庁は商売ではないから精度が低いのではないか。気象庁についてWIKIで調べると――

<気象庁の行う気象業務には、天気予報、地震情報、火山情報、津波情報などがある。

軍事機密の関係もあり日本では伝統的に気象情報業務は国家が独占し、気象庁が管轄してきた。しかし近年では、1995年5月に民間気象事業者による局地天気予報の自由化がなされたように、気象情報業務の民間への開放が段階的に進み、気象庁の業務は次第に国民の生命・財産の保護にかかわる事項に限定されつつある。

【沿革】1871年(明治4)8月14日、工部省が10寮(観測所?)と測量司で発足する。翌年、開拓使が北海道函館の吏員宅に「気候測量所」を設置。

1873年(明治6)12月20日、測量司は政府機関として必要な一揃えの観測機器を購入し、スコットランド気象協会と技術協力協定を結ぶ。
1874年(明治7)1月、測量司が工部省より内務省に移管。

1875年(明治8)6月1日、東京気象台創設(今のホテルオークラあたり)。チャレンジャー号(英国)海洋探検隊のチャールズ・トムソン(科学部長)とトーマス・ティザード(海洋学研究者)の指導を受け、公式観測の開始(毎日3回)。

1883年(明治16)3月1日、東京気象台、この日以降「天気図」を作成し、毎日印刷配布>

古本屋さんの「tokkodo/とっこうどう」によると「天気予報」はその翌年だ。<1884(明治17)年6月1日に日本で初めての天気予報を行ないました。これを記念して6月1日が「気象記念日」と定められました。

毎日3回、午前6時・午後2時・午後9時に、全国の天気予報が発表されました。ちなみに、日本の記念すべき最初の「天気予報」は以下のようなものです。

午前6時:全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ/午後2時:変リ易キ天気ニシテ風位定ラス 且雨降ル地方モアルベシ/午後9時:中部及ビ西部ハ晴或ハ好天気ナルベシ 北部ノ一部ハ天気定ラス 一部ハ曇天又ハ烟霧ナルベシ>

今も昔も「天気ハ変リ易シ」のようで・・・「毎日印刷配布」と言ってもラジオもない時代だから国民にどう伝えたのだろう。ウェザーニュース2018/4/3「日本初の『天気報告』135年前の『時事新報』と福沢諭吉」から。

<今から135年前の1883(明治16)年4月4日、日本で初めて「天気報告」が新聞に掲載されました。載せたのは、福沢諭吉が発行した『時事新報』。なぜ「天気予報」ではなかったのでしょうか?

【気象台はまだ天気予報を出さなかった】『時事新報』が初めて掲載した「天気報告」には、「天気ハ一般ニ陰天ニシテ日温暖ナリ 北方二三ノ測候所ニ於テハ雨雪ヲ降ラシ 南東部ハ快晴ナリ」と載っています。「天気予報」ではなく「天気報告」とあるのは、4月1日午後2時の天気だからです。

当時、東京気象台(後の気象庁)は天気予報を発表していなかったため、3日前の天気を掲載したのです。その理由を『時事新報』の主宰者である福沢諭吉は次のように述べています。

「この天気実況の掲載により米相場の抜け駆けはなくなるし、航海にも役立つ。だいいち日本国を縮小してこれを一呑みにする天気実況の掲載により、日本人の小胆近視という悪い癖がなくなるだろう」

「天気報告」には、全国22ヵ所の測候所の気圧、風向、風力、雨量、気温、天気も掲載されています。これらの天気実況が、度量が狭く先を見ようとしない(小胆近視)日本人の国民性を変えるだろうとは、いかにも諭吉らしい発想です。

『時事新報』が「天気報告」の掲載を始めて2ヵ月後の1883(明治16)年6月1日から東京気象台が「天気予報」を発表しました。しかし、8時間先までの予報だったので、新聞が読者の手元に届く頃には予報期間が過ぎていました。

1888(明治21)年4月に天気予報が24時間先まで延長されると、他の新聞も天気予報を掲載するようになり、天気予報が広く普及するきっかけとなりました。

NHKがラジオ放送を開始して天気予報を伝えるようになったのは1925(大正14)年。それまでは新聞だけが天気予報を知る唯一の手段だったのです>

それにしても文明開化以来150年経っても「乙女心と秋の空」、半分くらいしか当たらないのはなぜか。ネットには「一つの要因として、陸上には測候所が多数設置され、収集情報が予報に反映され精度アップに役立っている一方で、海上に測候所が設置できないために海上方面から気候変動が起こると情報不足で予報が外れやすいそうです」という指摘もあった。

片平敦氏(気象解説者/気象予報士/防災士/ウェザーマップ所属)の「舞鶴海洋気象台が廃止 「有人」気象観測の意味とは」2013/10/1から。

<きょう10月1日は、下半期の始まりの日。気象庁でも大きな変化がありました。各地の気象台などの組織改編が行われ、そのなかには「舞鶴海洋気象台」の廃止もあります。

今回の組織改編では「海洋気象台」のうち、函館・神戸・長崎はすべて「地方気象台」になり、舞鶴は「廃止」されました。海洋気象台で担ってきた海上予報・海上警報などのいわば「海の天気予報」は、すでに別の気象台で行われるように業務移行が進められていましたが、今般、制度上もいよいよ「海洋気象台」が無くなった、ということになります。

海洋気象台はなくなりますが、陸上・沿岸の気象情報と海上の気象情報の作成・発表を同じ気象台で一体となって行うことによって、一層の防災効果を高める狙いがあると言われています。

海洋気象台の大きな業務のひとつであった「海洋気象観測船」による観測については本庁集約の方針のもと、すでに全国の海洋気象台に5隻あった観測船が本庁所属の2隻(凌風丸、啓風丸)だけになっていました。舞鶴に関してはついに「気象台」としての役割も終えたことになります。

気象庁の年間予算は600億円弱。国民一人当たり、1年間で600円くらいになります。気象業界でよく言われるのが「コーヒー予算」。喫茶店でちょっと高価なコーヒーのセットを頼む程度の予算で、全国の気象観測網が維持され、注意報・警報や天気予報が日々休むことなく発信され、国民の生命・財産を守る努力が続けられている、というわけです。

また、緊急地震速報や次世代気象衛星、特別警報の運用など、最新鋭の技術を開発・導入・維持するための新規予算を拡充するのはなかなか難しく、そのためにはどこかで予算を削らなければ・・・というのが実情です。その際に「防災上、問題ない」という観点で、限りある予算を配分する優先順位として「有人観測の廃止拡大」という選択肢をとることも仕方のない面があると考えます。

ただ、私は、そうした議論が本当に十分に広く行われてきたのかが疑問に思えてなりません。日本で最も古い気象観測所は、図らずも今回「海洋気象台」から「地方気象台」に改編された函館で、観測開始は1872年。多くの気象台は戦前からの60年、70年以上にわたる綿々たる有人観測の歴史を持っています。

その日々の観測の記録を私たちの代で途絶えさせて良いのか、自動観測のデータのみにして良いのか、十分な検討はなされたのでしょうか。地元の防災拠点のひとつが無人化され、別の気象台から電話で対応します、というだけで十分な「安心」は得られるのでしょうか。

限りある予算ですから、優先させなければならない事業も当然沢山あるでしょう。しっかりと吟味し、本当に必要なものに対して大切に使うべきです。ただし、有人の気象観測業務がここまで軽々と切り捨てられてしまう業務とは、私には断じて思えないのです>

2011/3/11の東日本大震災(死者・不明1万8425人)、2014/9/27の御嶽山噴火(同63人)・・・誰も予測できなかった。「自然災害は予測できないこともある」ということがようやく分かってきたという感じだ。

気象庁は長らく気象業務を“独占”してきたが、今では「気象業務支援センター」が民間の参入を促している。許可を得た業者を「予報業務許可事業者」と言うそうだが、気象庁(国土交通省)の天下り先なのかも知れない。気象庁によると、

<一般財団法人・気象業務支援センターは、気象庁と民間気象事業を結ぶセンターとしての役割を担うとともに気象予報士試験の実施機関である。以前は国土交通省気象庁所管の財団法人であったが、公益法人制度改革に伴い一般財団法人へ移行した。

予報業務許可事業者(気象・波浪)令和4年9月5日現在(85者)、予報業務許可事業者(地震動)令和3年3月12日現在(48者)>

事業者で有名なのは日本気象協会、ウェザーニューズ、ウェザーマップなどがある。気象予報をビジネスとして始めたのは米国企業で、ウェザーニューズはそれを買収し、発展させ、今では世界でも有数の天気予報会社になったようだ。同社のサイトにはこうあった。

<海から始まった気象サービスの市場は、空・陸へと広がり、「いざというときに人の役に立ちたい」を合い言葉に、世界約50カ国のお客様へ、24時間365日、リスクコミュニケーションサービスを行っています>

「有料でも信頼性の高い天気予報を知りたい」という強烈なニーズがあるのだろう、同社(社員数1120人)の連結売上高は196億5千万円 (2022年5月期)。東証プライム市場に上場しており、ヤフーファイナンスでは「民間気象情報で世界最大手。航海・鉄道・航空向けの交通気象に強い。個人向けも積極展開」とプラス評価している。

小生は現在、日本気象協会のtenki.jpを気に入っているが、調べたら「1950年5月10日に運輸省(現・国土交通省)所管の『財団法人気象協会』として設立された』」という老舗だった。小生が現役時代、運輸省航空局には世話になったが、ビルの廊下は「おっしゃる通り」と言われるほどキレル・デキル官僚がいたものだ。その血を引くtenki.jpの今日と明日の予報は秋晴れ、ペンキ塗りがはかどりそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
https://note.com/gifted_hawk281/n/n9b3c7f4231f9
https://www.facebook.com/shuichi.ishii.14
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?