自分の国は自分で守る

自分の国は自分で守る
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」166/通算597 2023/4/18/火】通勤で駅に向かう人の数がコロナ以前のようになってきた。何となく嬉しくなるのは、人間は群れないと安心できないからだろう。孤老の小生もこのところ「小中学校時代の近所の遊び友達だった人を集めてサークルを創ったらどうだろう」と思ったりするのだが、政治の話になったりすると喧嘩になりそうで、簡単ではなさそうだ。

読書とブログと散歩と雀の餌やり、庭いじり。悪くはないが高揚が少ないのは精神衛生上よろしくない。そのうちしゃべる能力がゼロになりそうだ。静か過ぎる晩年・・・激動の晩年よりはいいかもしれないが、まあ「小人閑居して不善をなす」愚を戒めながらシコシコやっていれば、それなりにソフトランディングするか。

先週からの鬱は改善されてきたが、まだまだマイナス思考でブルーな気分。先輩は「ブルーが常態なのだと思ってジタバタしないこと、そのうち元気になるよ」と言うが、現役時代は締め切り商売でいつもジタバタしていたから、ジタバタしないと脳みそが活性化しない、気力が湧かない、のかも知れない。やっぱ「多動爺」・・・何となく元気になってきた。人生は挑戦、チャレンジだあっ!

スティーブン・C・マルカード著「陸軍中野学校の光と影 インテリジェンス・スクール全史」の内容を紹介する。まずは著者マルカードの「日本語版刊行にあたって」から。

<私が帝国陸軍中野学校の歴史について執筆を始めたのは1990年代後半のことだった。当時、自宅の本棚やファイルの中には、大日本帝国のインテリジェンスや軍事に関する書籍や記事がどんどん溢れていった。日本国外では本として取り上げられたことのない大きな主題が広がっていった。

こうして中野学校に関して初めての英語の本を書こうと決めたのだ。歴史に強い関心はあっても本を書いた経験のない私は、非常に険しい山の頂を目指す登山家のような心境で、この挑戦を始めたのだった。

ヴァージニア大学の学生であった1980年代初期、フランス語専攻にだけで堅実な人生を歩むことができるか悩んで、副専攻に国際関係論を追加し、日本語を学ぶことで可能性を広げることを思いついた。

国際関係論を専攻することで、フランス語教諭という仕事から、外交官や国際情勢分析官などの仕事へ幅を広げることができると考えていた。

なぜ日本語なのか。初めて日本語の授業を受けた1981年、日本企業は日に日に世界中の自動車、船舶、鉄鋼などの高付加価値産業の市場でシェを拡大していた。韓国、台湾、香港、シンガポールの「アジアの四小龍」の経済も波に乗っており、アジアでの可能性を検討することにしたのだ。

3年間の日本語授業を受け卒業した際、文部科学省の英語フェローとして熊本県の三つの高校で1年間、外国語指導助手を務めた。米国に戻り、コロンビア大学国際公共政策大学院に進み、国際関係論の修士号を取得した。言語に重点を置き、コロンビア大学での2年間の日本語学習に加えて、ミドルベリー大学の日本語学校で夏期講習も受けていた。

また、日本興業銀行ニューヨーク支店の調査企画部でのアルバイトに就き、銀行の報告書類の英訳を担当していた>
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米国の大学生は必死で勉強し、多くの資格を取り、即実践、即戦力の能力をつけ、良い就職先に採用され、高給をもって遇されることを目指す、という話は聞いていたが・・・いやはや凄い修業・修行歴だ。

日本の大学生は何となく「社会人になる前のモラトリアム」で、青春を謳歌するというイメージがあり、企業も「学業成績がいいのは当然だが、仕事に必要な能力は入社後に教えていくから、まずは素直で明るい元気な青年がいい」というのが多そう。

移住性の狩猟民族=能力重視と、定住性の農耕民族=協調重視の違いなのかもしれない。

今の最先端ハイテク重視の世界では、知恵、行動力、狡猾な人材が求められているのだろう。そのために、米国に限らず、できる人とできない人の格差はどんどん大きくなる。

しかし、それは社会不安のもとになるから、為政者はできない人への福祉を手厚くしたり優遇策を進めたりしている。ところが、この施策が「真面目に努力し人並みの暮らしをしよう」とはならず、「国家が貧しい者を保護するのは当たり前だ、もっと支援しろ!」となり、福祉依存症パラサイトが増えるばかりのよう。

米国の調査ではIQが同じレベルなら人種間の収入格差はないそうだ。IQが同じの白人と黒人の比較では、ハングリー精神で仕事への意欲の違いなのか、黒人の方が収入が上だと言う(2人の学者の共著「ベルカーブ」1994年)。

一般的に黒人は群れたがる性向があり、実力、腕力のある強いボスに従う傾向があるらしい。高いIQを活かして良い職につけば黒人コミュニティで村八分にされるため、結局、IQが高い人でも孤立を恐れて群れ続け、やがては刑務所行きというパターンが多いという(「ベルカーブ(ベル型の正規分布曲線)」の解説から)。閑話休題。マルカードの続き。

<帝国陸軍中野学校について知ったのはいつだったろうか。中野学校に関する書物を始めて読んだのはコロンビア大学在学中か、それから間もなくの頃だったと思う。第2次世界大戦の際、ビルマで従軍した英国軍の将校で、日本語学者でもあるルイス・アレンの戦記を読んだのがきっかけだったかも知れない。

中野学校については、そのほとんどが日本語で書かれており、この魅力的な歴史が日本の国外ではほとんど知られていないことに私は気がついた。そこで中野学校の歴史を英語で書くことにし、東京にいた頃は三省堂書店や八重洲ブックセンターなどの棚を見て回った。国立国会図書館では本や雑誌の記事を探した。米国では議会図書館や国立公文書館、マッカーサー記念館などで調査した。

しかし多くの困難があった。帝国陸軍は大戦末期にほぼすべての記録を破棄しており、資料がほとんど残っていなかったのだ。当時、若手研究者の私には週末に執筆を進めるのがやっとで、内外の資料を集める時間も予算も不十分だった。

1980年代に英国の学者が「インテリジェンス*は世界史における『失われた次元』」と表現していたが、特に日本のインテリジェンスは、日本語を読める外国人研究者がほとんどいないために、日本以外ではその傾向が強いようだ。これが中野学校の歴史について書き、世界に発信したいという私の動機になった。(*:意思決定のために情報を分析して得られる知見、またそれを得る機構)

幸いなことに近年では日本国内外の著作家たちが日本のインテリジェンスに注目するようになった。冷戦の終結と、その後の日本を取り巻く国際環境の変化を受けて、元政府高官や内外の学者、識者が日本のインテリジェンス能力をより強固にするよう提言している。

自国の歴史に関心のある日本人にとって、本書は第二次大戦や、その後の冷戦期に内外で起きた出来事について「失われた次元」の一部を補完するものである。中野学校のOBや帝国陸軍の退役軍人の回顧録は日本の読者には馴染み深いかもしれないが、米国の保存資料やその他の内外の資料は新しい情報源となるだろう。

また、1945年8月15日の天皇の玉音放送や、9月20日の降伏式典で終わる大日本帝国の歴史に慣れている読者にとって、本書は1920年代から今世紀初頭までの出来事を包括する新たな視点を与えるだろう。

そして、帝国陸軍中野学校の創設と、その後の要員たちの活動を戦時、平時という国際情勢の文脈の中で描いた私の試みは、インテリジェンスを単なる異常、冒険、悪などとして描いた他の書籍を読んだ日本人読者にとっても興味深いものとなるだろう>(以上)
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著者のマルカードは大変な努力家で、イデオロギーや潮流に流されない、学術肌で資料・史料重視のなかなかの学者のようだ。IQもかなり高そうだが、競争社会の米国で学者、専門家としてのしあがるためには努力+IQ、さらに「魅力的な研究テーマ」は必須なのだろう。

もっともIQは善人とか悪人とかの指標にはならない。中国共産党員は9000万人と言われるが、IQは高くても面従腹背とか善人を装う人、私利私欲という党員は珍しくないらしい。党員になれば食いはぐれがないから、という人も多いようだ。

逆に自由諸国では本質的にアカ志向の学者、議員、弁護士、教員、労組専従、記者などは「我こそ自由民主主義者」と唱えているが、本音は中露北のような共産主義一党独裁国家を目指している。いずこの国も獅子身中の虫に悩まされている。

外交では相手が白だろうが赤だろうが良く観察して、誠意をもって付き合うか、距離を置くべきかを判断した方がいいが、実際には容易なことではない。

安倍晋三&森喜朗のタッグによる北方領土交渉は「誠心誠意で臨めば妥協点があるはず」との姿勢で臨み、結果的にはプーチン・ロシアへの認識の甘さから何も益がなかった。それどころかすっかり舐められて、今はロシア軍は中共軍と一緒に日本海のみならず津軽海峡から太平洋へ出て軍事演習し、日本を威嚇している有様だ。

政治体制や宗教など価値観の異なる国との外交は実に難しいもので、アメリカもサウジに裏切られて右往左往の様子。米国は「戦時にあっては敵、平時にあっては友!」と言っていたが、それは勝者のドライな論で、敗者は100年経とうが屈辱は忘れはしない。ウクライナは300年の屈辱を晴らせるかどうかの必死の戦争に踏ん張っている。

国家は警戒心を怠らず常に戦争に備えていないと侵される、侵されると主権を取り戻すために何百年もかかったりする・・・残念ながら現実はそういうことだ。

米軍占領下の1951年生まれの小生は、父が近衛兵の職業軍人で、敗戦で武装解除されたものの占領軍の米兵の乱暴狼藉(母は黒人兵を恐れた)から家族を守るために1963年あたりまで拳銃と実弾を秘匿していた。当時はそういう人は珍しくなかったのではないか。

父はその後も米国人を「アメ公」、ロシア人を「露助」と呼んでいたから対米・対露不信感は生涯変わらなかったろう。小生が米国、正確に言えばFDRルーズベルト的な「正義を装うワル」米国民主党を嫌うのは、父の血を受け継いでいるのかも知れない。取材で歩いたオシャレなビバリーヒルズの一歩裏側はゴミだらけ、それは米国民主党そっくりだった。

「陸軍中野学校の光と影」の本文を読まないうちに図書館の貸出期限を迎えてしまったのでAmazon で発注した。便利なのは結構だが・・・「過ぎたるは猶及ばざるが如し」、Made in USA の戦後体制も何やら限界点になってきた印象だ。

GAFAM(Google、Amazon、Facebook、Apple+Microsoft)、LGBTs(Lesbian、Gay、Bisexual、Transgender+その他)、IPCC( Intergovernmental Panel on Climate Change、国連の気候変動に関する政府間パネル)、さらに対話型AI「チャットGPT」などなど。人間は発展から劣化へ進んでいるような不安感を小生は覚えるのだが・・・

戦後世界は概ねMade in USA だらけで来たが、今の世界は平和=安定になっているどころか、ロシアのウクライナ侵略、中共の台湾威嚇、北朝鮮の核武装、フランスの中共擦り寄り、サウジの反米化など、世界大戦前夜のようなガラガラポン、きしみが始まっている。「自分の国は自分で守る」を原則とした上で「友好国と相互安全保障を進める」、そういう政策に全力を挙げて取り組む必要がある。

*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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