自己肯定感って難しいね、という話

突然ですがワイは自己肯定感が低いゴリラでした。
今でも特に高いわけではないのですが、40年弱生きていれば多少神経が図太くなるもので、若い頃より何倍も生きやすくなった実感があります。

元々あまり褒められない子供でした。きょうだいが多くて構ってもらえないのもあったし、愛想が悪かったし、器用貧乏な面があるのでなんでもそつなくこなすが突出したものはない、という子でした。
それでも幼少期はそれなりには生きていたのですが、思春期で重めのうつ病になってから自己肯定感の低さに人生が振り回されるようになりました。

人様には言えないような大変な思いもしましたが、16年の時を経てうつから抜けることができたんです。
非常にまれ、というか他に聞いたことがないのですが
ある夜に辛くて辛くて声をあげて泣いていたところ、急に視界が輝き始めて目の前が色鮮やかに見えたんです。
脳がセロトニンの分泌を急に再開した、という感じのうつ抜けでした。その後減薬、断薬を経て通院もやめ、現在に至ります。まあ今は産後うつを発症したので通院と投薬はまたしてるんですけどね。

うつから抜けると、頭が軽くなり自分の心と向き合う余裕ができたんだと思います。ワイは何かあるたびに立ち止まって自分の心を見つめる作業をすることにしました。
マイナスの感情になった時、なぜその感情が生じたか、きっかけとその時の状況を思い出して分析し、ひとまずそれを受け止める。自分の気持ちも再確認したうえで「こう思ってしまうのも自分」と飲み込む。
こんな自分、しょうがないなぁ。と自分で自分を慰める感じです。
嫌な自分を自分で認められるととても楽になります。そこまでがすごく難しいところなんですけどね。自分への理解を深めるには体力も精神力もいるので、焦らず少しずつ、ですね。

話は変わりますが、ワイの夫は非常に自己肯定感が高い人です。ワイは夫にそれはもうたくさん助けてもらいました。1番心が乱れていた時も夫は隣にいてくれました。
理解のある彼くんなのかな?とは思いますが、夫が違うのは励ましたり慰めたりのほかに、怒りや悲しみも全力でぶつけてくれた点です。
そばにいてくれて、真っ当に生きることを教えてくれました。
そんな夫は、基本的に他人に興味がありません。
交友関係も広くないし、人並みの社会性はあるけれども人に合わせるかどうかの線引きをしっかりします。
他人に興味がないということは他人と比べない、ということです。他人のことをよく知らないので、比べる対象にならないし比べても無駄なことをよく知っています。
SNSをほとんど利用しないため、「たぶん同級生には死んだと思われてる」らしいです。
ネットに書いてある他人の話はまともに捉えず、人の行動については「好きにしろ」としか思わない、と夫はよく言います。
夫のスタンスからは学ぶことが多く、ワイも生きる参考にしています。

とはいえ、人と比べがちな自分をすぐには変えられないのも確か。ワイもいまだにネットのセレブ(?)の投稿を見かけて羨望と嫉妬の間の感情を持つことがあります。
でもそれって考えてみれば本当かどうかわからないし、本当にしろ嘘にしろ自分には関係ないことで、ただ願ったところでセレブになれる可能性は限りなく低いわけです。ディスプレイの向こうの人間に嫉妬したって意味がないんですね。そこに気づくと楽になります。

メンがヘラる要因は人それぞれですが、自分の心を大事にするためにはちゃんと自分の感情を受け止めること、そして他人からの刺激には適切な距離をとること。
ワイはこれらを心がけることによって、自己肯定感が低くても自分を責めないメンタルケアができているように思います。

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