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薬学博士への道②


苦労は若いうちに

博士進学を決めた理由は、家庭的な環境の影響もありますが、それだけではなく、これまでの人生で苦労してこなかった自分に対する新たな挑戦でもありました。
私は、自分の人生において本気で頑張った証を持ちたいという思いを抱いていました。そこで、博士号取得という大きな目標に挑戦することで、自分自身に何かを証明したいという気持ちが芽生えました。
進学先は、教授の推薦もあり、某国立大の薬学系有機合成の研究室に内定していました。博士課程の学生が各年で複数人在席する等も理由の1つでした。
友人たちが就職を選ぶ中、私は異なる道を選び、不安と期待が入り混じった気持ちで大学院への入学を決意し、未知の世界への一歩を踏み出しました。

大学院入学(publish or perishの世界)

現実は入学1日目から厳しいものでした。私は早速挫折感に襲われ、自分の力量や選択に対する疑問が頭をよぎりました。研究活動に少し取り組んでいたとはいえ私立大学で国家試験合格を第一に考え、その対策に励んできた学生と、研究で成果を出し修士論文を書き卒業することを目指す学生との間には、まるで別世界のような違いが感じられました。
研究を通して世界と戦っているという自信に満ちた先輩、後輩たち。彼らは本当に優秀で、特に博士課程の先輩は最前線で活躍していました。彼らが持つ情熱と知識、そして研究に対する姿勢は、私にとってまさにカルチャーショックでした。
彼らの存在は、研究が何を意味するのかを私に教えてくれました。それは、ただ博士号を得ることだけではなく、世界の課題に立ち向かい、解決に貢献することを意味しているのです。
薬学部6年卒の博士課程は最短でも4年間が必要です、その間はまさに「忙殺される日々」と表現しても過言ではありません。卒業要件を満たすためには、論文執筆が必要であり、そのためには成果を出す必要があります。
私は理解力がないため、実験の前に事前に想定することが苦手で、失敗を繰り返しながら徐々に学んできました。そのため、まずは実験を多く行うことに重点を置きました。本来の正しい姿勢は論理的に考えて理論を構築し進めることですが、私は試行錯誤を繰り返すことで、何かしらの足がかりを探すという方法を取っていました。

ヒエラルキー

少し余談ですが博士課程に進む学生にとって、学振の採択は重要な関心事です。学振とは、「日本学術振興会」の略称であり、日本の研究資金を提供する主要な機関の一つです。学振は、科学研究費助成事業や特別研究員制度など、さまざまな研究支援プログラムを通じて、優れた研究者や研究グループに資金を提供しています。
これに採択されるかどうかは学生にとって重要な要素であり研究活動や将来のキャリアに大きな影響を与えることがあります。
私は当然ながら、学振に採択される機会は得られませんでしたが、幸運なことに少額ではありますが民間企業から給付型奨学金を受け取ることができました。その中には、ある飲料メーカーも含まれていました(今でも、そのメーカーの飲料を購入するたびに、感謝の気持ちを抱いています)。

続く厳しさと学び

今後は、現実の厳しさに直面しながらも、博士課程での経験から得られる学びや喜びをシェアしていきたいと考えています。振り返ってみると、当時は依然としてつらい日々が続いていました。この文章に書ききれないほど、他にも厳しい現実がありました。それでも、自分は幸運な人生を歩んでいると感じます。博士の称号よりも、この経験こそが私の宝物だと思います。


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