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酢屋 受け継がれる思い

酢屋。材木商。1721年開業以来の老舗で2024年現在も同じ場所で変わらず営業を続けています。坂本龍馬と関わり深く、彼の使用していた2階の部屋は開放され見学できます(大人500円、予約は不要)。1階では木製の箸、湯呑みなど販売しています。可愛らしい動物を模った小物類、軽く触り心地のなめらかで上品な食器類、ファンなら一枚は?いやもっと?飾りたいかもしれない、坂本龍馬ポスター、など魅力的な商品の数々。接客される女性の店主は上品で物腰も柔らか。入店しやすい雰囲気なので、坂本龍馬ファンや近江屋事件を深く知りたい方は是非訪れてみる事をお勧めします。

1階2階ともに店内は撮影禁止なので、そこはくれぐれもご留意ください。

酢屋外観。
2階は龍馬がいた当時のような格子にされています。



酢屋は坂本龍馬ゆかりの材木商。名前からして酢を売っていたのか、と思いそうになりますが、300年で酢を売っていた事実はないそうです。1721年に開業して以来、同じ場所で同じものを売り続けています。幕末期には、親交があった坂本龍馬が2階に下宿していました。後に龍馬が結成した海援隊の本拠となります。

坂本龍馬寓居の地。
ぜひ2階(撮影禁止)の空気は実際に行って感じて頂きたい。


酢屋の近くに高瀬川の舟入があり、交通の便は極めて良く、周囲にも多数の藩邸があり人の往来が盛んだった事が伺えます。しかし交通の便が良い事が災いして、幕末の混乱期においては数々の事件が起こりやすく、新撰組による池田屋事件や龍馬自身が暗殺される事になる近江屋事件の遠因にもなりました。

酢屋付近の高瀬川。
多くの舟が行き交った運河。今は穏やかな水の流れ。



新しい時代のため奮闘していた坂本龍馬ですが、次第に名が知られるようになり、身に危険が及ぶようになります。1866年、寺田屋で襲撃にあい、妻となるお龍の機転で危地を脱します。その後も、船中八策の立案、薩土同盟など活躍を続ける龍馬ですが、更に目立ちいよいよ酢屋に滞在している事が知られるようになります。そのため海援隊の拠点は酢屋におきつつも、自身はお世話になった酢屋から近江屋に居を移すようになります。有事の際に、酢屋を巻き込みたくないという龍馬の配慮もあったように思いました。しかし海援隊の拠点から離れ自ら孤立した龍馬の居場所は刺客にばれてしまい、1867年11月15日、近江屋事件の日を迎える事となります。

龍馬が暗殺された近江屋跡。今は河原町駅近くの繁華街。



龍馬を喪った悲しみにくれる暇なく戊辰戦争、明治維新と混乱の時代は続きました。そんな時代を生き商売を続ける事は大変な事だったと思います。その後も太平洋戦争、戦後と苦境を切り抜け現在に至るまで300年、同じ場所で同じものを売り続けるのは並大抵ではないです。記念に犬のストラップを購入しましたが、可愛らしさと優しい手触りに作り手の温かさ、300年連綿と受け継がれた思いが伝わってきます。

史跡としても重要なスポットですが、ぜひ実際に訪れて、思い、空気、温かさを感じて頂きたい。そう思える場所でした。

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