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夢は枯野を駆け巡る

       夢は枯野をかけ巡る

八代亜紀さん・谷村新司さん・KANさんなど、
一世を風靡した「歌い手」の訃報が続いています。
この人たちは、さぞや「無念」なことだろうと思います。

「やりたいこと」が、まだまだあったことでしょう。
「やれること」も、たくさんあったことでしょう。
唄うことで、多くの人を元気づけてきたのですから、
能登半島地震を前にして「夢は枯野をかけ巡る」でしょう。   

      

     「夢は枯野をかけ巡る」は、誰の俳句ですか?

これは「誰の俳句ですか?」 勿論、知っていますよね。(失礼)
松尾芭蕉の「辞世の句」として有名ですが、
芭蕉は、完成品ではなく、これから「まだ推敲しよう」としています
強い!!
辞世の句というより、「生前最後の句」という方が正しいでしょう。

正式には「旅に病んで夢は枯野をかけ巡る」ですね。松尾芭蕉51歳。
なぜ大阪で亡くなったのでしょうか。

いろいろな説がありますが、私は、芭蕉は「長崎に行きたかったが、その途中で体調を崩した」という説に賛成です。
長崎に行けば、「南蛮(西洋)の新しい物品やニュースがある」と聞いたので、大阪まで来たのです。
勿論、別の所用もあったとおもいますが・・・

芭蕉は、地球儀で、「日本の向こう側にある国」のことに関心を持っていたでしょう。興味津々というところだったと思います。
それなのに、旅の途中で病気になってしまったのが悔しい・・・ですよね。       

      「好奇心」満々の芭蕉にとって、長崎は・・・

いかにも芭蕉らしく、”やる気満々“の男らしいから・・・
こんなところで死ぬもんか!」という気概にピッタリの句です。
勿論、他説もありますが、私は、芭蕉の「気概は弱くない」と思います。

松尾芭蕉が、長崎まで行っていたら、「どんな俳句」を詠んだでしょうね。
きっと、『奥の細道」の世界とは、全く異なる世界を拓いたと思います。

オランダ経由で「西洋詩の世界」を知ることは、芭蕉の句を変えていくのは必定でしょう。
「わび」「さび」「かろみ」の世界とは異なる世界ですから・・・

     同時代の異国の詩人たち

17世紀後半のイギリスの詩人でいえば、ジョン・ミルトンです。
失楽園」で有名ですね。旧約聖書を素材にした叙事詩です。
芭蕉と同時代の人の詩といっても、伝統や背景は違うけれど、非常に刺激的だったと思います。
東・西の偉大な詩人の交流ができなかったことは、残念です。

「夢」は、新しい「刺激」と共にあります。
さぞかし、芭蕉は西洋文化を知る機会がなかったことが「無念」だったでしょう。
好奇心に燃える俳人の歎きが、時空を超えて伝わってきます。  

      芭蕉は隠密(スパイ)だったの?

芭蕉にとって「時間はあがき」だったでしょうね。
私は、三重県:伊賀上野に行ったことがあります。知人もいます。
伊賀は、隠密の里です。
間地で食べるため「技」「巧」のマスターは必要だったでしょう。
甲賀忍者と比較されますね。

芭蕉はこの土地の出身ですから、
幕府から情報収集を依頼された隠密(スパイ)だったという説もあります。実際にあり得ることです。
文人・旅芸人が、行った先の事情を報告することで、「隠密の役割」果たすことは、どこでもあることですからね。諜報部員の仕事です。

私も体験しましたが、ロシア(旧ソ連)など社会主義国では、
旅人の宿は市街の外の地域に指定されていました。現在でも同じでしょう。
SNSを取り締まっている時代でも・・・情報は人を動かしますからね。

芭蕉の訪問地は、風流を解する「経済的に豊かな支援者」がいる地域です。ゆとり風土・文化がない地域では「句会=勉強会」は成立しません。
「奥の細道」で訪問した土地は、どこでもよかったのではなく、
支援する富裕層がいる場所に限られていました。

現在でも、田舎の公民館で、クラシック音楽会の開催は不可能です。
プロの演奏に耐えられる楽器が準備できないからです。
先日、私の街で行われたピアノコンサートは酷いものでした。
演奏者が可愛そうでした。企画者の見識不足です。

芭蕉が弟子の曽良と「貧しくトボトボと・・・」という風情の絵をみて、
田舎の小父さんの旅だと解釈する人がいますが「とんでもない」です。

   いま、やれることは「何でもやる」

戦争を含めて「殺人」以外は、やりたいことを全部やるのがいいです。
何でもやることができる「時間は有限です」から。
そして、振り返った時は「もう遅い」のです。

「夢」は遠いところに置くものじゃないと考えて
いま、手元に引き寄せて、実現するための「ロードマップ」を書き
実行すことが重要だと思います。

過ぎ去った過去への「悔恨」は必要ではありません。
前を向いくことだけが、能登半島地震を克服する力のように・・・

芭蕉のように、夢の実現には「体力」が必要です。
良く寝て、よく食べて、よく運動して、好奇心を燃やさないとできないです私の周囲の「高齢になった友人・知人」をみると、痛烈です。

「夢を持とう」・「夢を実現するために頑張ろう」・「夢を捨てない」というけれど、
夢は、頭と希望と意志だけで実現できるものではありません。
体力が必要です。
明るく・楽しく・元気で行きましょう!!!


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