モフ味が足りない…BBAR、ペットロスになる

今月10日、BBARの使い魔が亡くなった。
18歳だった。
キジトラの雑種猫で、婆さんのくせにやたら小さい。しかも、尻尾がちょっとクランクしてる。ちょっとみすぼらしい。
そんな、どこにでもいる使い魔だった。 

亡くなる前の数週間、使い魔は癌を発症していて、神経症状が顕著に現れていた。
足がもたつき、すぐに転ぶ。
ゆえにトイレに入れない。
痙攣発作を頻繁に起こす。
頭がふらつき、食事ができない。水が飲めない。

毎日毎日動物病院に行って点滴してもらい、体を温め、脚をマッサージ。
モジモジしだしたらトイレに運ぶ。それもうまくできなくなったら紙おむつをつけた。
自分で体を舐められなくなったので、赤ちゃんのおしり拭きで拭いてブラッシングした。
4時間おきに水と流動食をシリンダーで突っ込む。
食事と水の量、排尿回数と便の状態、発作の長さと回数を毎日記録しては病院で報告した。
買い物は娘に使い魔を預けて、猫グッズだけ買って走って帰った。
睡魔もままならず、毎日毎日を使い魔の世話だけに消費した。

その時は、しっかりと覚悟をもって迎えた。
朝一に動物病院で「もうしてあげられる事がなくなってしまった」といわれ、納得して看取った。
すごく冷静にペットの火葬業者に連絡し、翌日の夜には使い魔は白い骨壺と写真になっていた。

日常に戻ろうと思った。
猫の介護ばかりで、猫の部屋以外はゴミだらけになってしまっていたから。
だが、なんだかソワソワ動き回っているばかりで、どうにも落ち着かないし効率も悪い。

気づいた。
使い魔がいない生活が『非日常』だって事に。

朝、使い魔から起こされてエサを食べさせる。
足元を気にしながら部屋を歩く。
使い魔が心地いいようにエアコンの温度を設定。
使い魔が危なくないようにガスコンロをこまめにチャイルドロック。
使い魔が欲しがるような料理は周囲を警戒して食べる。
それがBBARにとっての『日常』であった。
完全に使い魔の奴隷である。

使い魔不在の今、これまで使い魔への配慮が介入していたひとつひとつの行動が、なんの意味もなくどうでもよく思えてしまう。
部屋が寒いと感じて「エアコンつけて、お湯沸かして、部屋があったまるまで床に電気毛布…」と考えて立ち止まる。
「あぁ、別に部屋が寒くてもいいんだ。もうあいつはいないんだもんな」
そこで自分の好きな温度設定にすれば良いものの、どうでも良くなって布団に丸まる。
万事がこの調子で、BBARはなんだかセルフネグレクトになりそうな。

見かねた夫が「亡くなったからすぐに交換するみたいで嫌かと思って言い出せなかったけど、そんなに寂しいなら新しい猫を迎えてもいいんだよ」と言った。娘達も賛同した。
新しい猫…新しい使い魔…いや、使い魔じゃなく本質はご主人様か。

夫は保護猫でメスなら良いと言う。
長女は2匹欲しい。1匹は白猫が良いそうだ。
次女は自分で名づけたいし一緒に遊びたいから子猫がいいと言った。

この条件に合致する猫をネットで探しはじめたところ、BBARはみるみる働き者になった。
猫が来る前に、部屋の片付けをしなきゃ。
大掃除をしなきゃ。
猫がいたら作業が大変だから、キッチンのリメイクをやってしまおう!

次々とやる事が思い浮かび、それを障害物走の如くクリアしていく。
『日常』ではなかったが、猫のためだと思って行動できるのが嬉しかった。
使い魔にしてやれなかった事をやってあげたい。
使い魔の性格上やらせてもらえなかった事(オモチャで遊ぶとか)出来るかもしれない。

使い魔と比べちゃうかもしれないし、また別れはいずれ来る。
でも、使い魔との日々で培ったスキルは無駄にしたくない。
そんな思いだった。

使い魔は雑種の保護猫だった。
18年、最後のガン闘病以外は風邪ひとつひかず、怪我もなく過ごした。
BBARはこの実績に自信があった。
次もきっと良い猫との関係が築けるだろうと。
しかし、この思いは打ち砕かれ、またもやセルフネグレクトに突入しようとしている。

使い魔を迎えた18年前とは、保護猫を迎えるためのハードルが格段にあがっていた。

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