短編小説 : 時計は時を刻む残酷な機械

僕は東京出張の仕事を終え、4時少し過ぎに新宿駅に到着し、午後5時発の特急あずさに乗るため1番線ホームに行った。 
売店で夕食用のサンドイッチと缶ビールを買いベンチに座り、特急あずさの到着を待った。
僕は腕時計を見て時間を確認した。
すると、白髪の品の良い老紳士が僕の隣りに座り、
話しかけて来た。

「きみは、自分が死ぬまでの時間がそんなに気になりますか?今、腕時計を見ましたね?時計は1秒また1秒とあなたが死ぬ時間に近づきましたよ、と教えてくれている機械なのですよ。
あそこにも自分の死ぬまでの時間を気にしてる男がいる。困ったものだ。」
「僕はただ、あずさの到着の時間までどれくらいあるか知りたくて・・」
「でも時計はあなたが死ぬまでの時間に、1秒また1秒近づきましたよ、と教えてくれているのですよ時計は時を刻む残酷な機械です。残酷な物を常に見ているのは決して趣味の良いことだとは思えませんがね。
失礼ですが、きみの腕時計は、そんなに何回も見るほどの価値のある機械ですすか?拝見させてもらいますよ。」

そう言うと、その老紳士は僕の左腕を掴み、僕の
腕時計を自分の目の前まで持って行った。凄い力だったので抵抗出来なかった。
その老紳士は、僕の腕時計を見て、

「ふん、趣きのない時計だ。秒針がスーッと動いている。秒針というものは1秒ずつカチカチと刻まなくてはならない。クウォーツ時計だな。
人間は余計な物まで発明する。安くて便利ばかりがいいのではない。身につける物には、風情がなくてはいけない。まったく・・」

と言って老紳士はため息をついた。
そしてポケットから何かを取り出した。

「この時計をあげるから、そんな腕時計は捨ててしまいなさい。」 

その老紳士がくれたのは、見事な金の模様の入った懐中時計だった。

「こんな高価な物は貰えません。」
「構いませんよ。私が作った物ですから。」
「時計職人の方なんですか?」
「昔しはね。昔しは、政治家も財界人もみんな私の作った時計を持っていましたよ。ところが、ある日私は、時計は時を刻む残酷な機械で、自分が死ぬまでにまた1秒また1秒近づきましたよ、と教えてくれていることに気づいたんですよ。
時計が怖くて作れなくなりました。
家中の時計を全て捨てようとしたのですが、妻に反対されましてね。目覚まし時計が1つとこの私の最高傑作が残ってしまったのですよ。
妻は肝心なことを理解していない、困ったものだ。」
「でも、最高傑作を見ず知らずの僕が貰っていいんですか?」

僕がそう言うと、老紳士は嬉しそうに微笑んで、

「今、貰っていいんですか?と言いましたね?
勿論です、どうぞ。
今日、私が、あずさに乗ろうとしていたのは、その懐中時計を捨てに行くためだったんですよ。
こういう物を下手なところに捨てると、警察が必死になって持ち主を探すのですよ。
もっと他にやるべきことがあるのに、です。
富士の樹海に捨てようと思いましたが、自分が樹海から出られなくなったら終わりですから、捨て場所をずっと探していて、今日は山梨長野方面に捨て場所を探しに行くつもりだったんです。
ところが、きみが貰ってくれると行った。
感激です。
まさか、新宿駅に来て直ぐに、その懐中時計を手放せるとは思っていなかった。素晴らしい。
きみの恩は決して忘れませんよ。ありがとう。
では、私はこれで失敬します。」

そう言うと、その老紳士はさっさと歩いて行ってしまった。

翌朝、僕は自販機の珈琲を飲みながら、会社の自分のデスクで老紳士から貰った懐中時計を見ていた。
すると部長が来て、
「鈴原くん、何処でそれを手に入れた?」
と言った。
僕が老紳士の話しをすると、
そうか・・と言って羨ましそうに僕が持っている懐中時計を見た。
僕が、
「よかったら部長にお譲りしますよ。」
と言うと部長は、
「本当にいいのか?ありがとう。」
と言ってその懐中時計を自分のデスクに持って行き
眼鏡を外して嬉しそうに見ていた。

その次の朝、出社し、自販機で珈琲を買って自分のデスクに行くと部長が来て、
昨日の懐中時計のお礼だ、と言って僕に箱に入れて包装紙に包んだ物をくれた。
僕は、ありがとうございます、と言って受け取った
中を開けて見ると、最新式のダイバーウォッチが入っていた。
僕は、時を刻む残酷な機械が1つ減ったのに
また1つ増えてしまった、と思った。


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