マイ卒論is物騒。動詞「kill」と「殺す」は違う?

【次の英文を和訳しなさい。】

Cancer killed people.


これ、なんて訳します?

「人々は癌で死んだ」?「癌が人々を殺した」?

あれ、殺すってどういう意味?死ぬとは違うの?

これが私の卒業論文の出発点でした。


卒業論文を書き終えた私は、根拠を持って一つの答えを導き出せます。

「人々が癌で死んだ」です。



ドイツの哲学者アルフォンス・デーケンは、人は身近な誰かの死を受け止める時、11のプロセスを経ると言います。(気になる人は悲嘆のプロセスで調べてね。)

そのなかに、怒り・恨み・罪意識などがあります。

要はお医者さんに「お前のせいだ!」と叫ぶのも、「あの子は、私のせいで死んだのよ。」と泣くのも、「なぜ私を置いて死んだ?」と故人を責めるのも、気違いの所業なんかではなく、れっきとした死を乗り越えるためのプロセスなわけです。

絶賛そのプロセスにはまっていた若き日の私は、この構文を発見した時、なんて都合の良い構文なんだ!と感動したわけです。

Cancer kills people.

だって、その人は病気で死んだわけでも、医者に殺されたわけでも、私のせいで死んだわけでもなく、ほかでもない癌が殺したという捉え方ができるからです。癌を責めればいいんじゃんか。平和的解決です。

でも、癌って人を殺せるのでしょうか?殺せる!と思う方もいるかもですが、そういうことではありません。「癌が人を死という状態に至らせる能力を持つ」と「癌が人を殺す」は別物ですし、「癌で人が死ぬこと」と「癌が人を殺すこと」も別物です。要は癌にとって「kill」は出来ても、日本語の動詞の「殺す」は出来るのかということです。伝わります?



もっと分かりやすい例えを紹介しましょう。

日本語の「酒を飲む」「薬を飲む」「毒薬を飲む」を英訳してみます。

"Drinking alcohol", "Taking medicine", "Swallowing liquid poison"

あれま、飲む=drinkではないのですね。

これを言語学やってる人からするとレジェンドの鈴木孝夫は『ことばと文化』で、ことばと文化の関わりの例として挙げてました。要はこの単語を他の言語に訳したら、この単語だ!っていうことは厳密にはあり得なくて、その話者の文化に合わせて話すおかげで、対称関係に多少のズレが起こるのです。



さて、「kill」と「殺す」はどう違ったのでしょう。

めんどくさい調査の手順は省きます。

まず、killは確かに病名、国名、災害、事故などの無生物名詞を主語に取ることができます。ただ、その場合ある制限を持つ傾向が見られました。

限られた時間の中で、動詞の表す行為の「受け手」をまとめて、「動作の主」を一番大きな責任を持つ「もの」にするのです。

The earthquake killed numerous civilians. 

(地震がいくつもの市民の命を奪った。)

切り取られた時間の中で、犠牲者の特徴を市民という枠組みでまとめ、その全ての死の原因である地震を主語としています。


Cancer killed a lot of people last year.

(昨年、癌は多くの人の命を奪った。)

昨年という時間の中で、癌の死者をまとめて受け手とし、その責任をもつ癌を主語としています。


といった具合に、多くの死が起こった時間を切り取り、それを大きく語るために人ではなく「もの」が主語になるのです。



また、じゃあ日本語ではどう言えばいいのよ、という問題もあります。

これは「ーで死ぬ」が良いのではないか、ということになりました。

なぜなら、癌などの死の原因を語る場合、日本語は「で」という助詞を用いますが、「ーで殺す」の場合、兵器や攻撃などの戦闘的な名詞を用いることが多く、「ーで死ぬ」の場合は病気などの健康に関わる名詞を用いることが多いためです。癌は兵器というより、病気なので、後者です。

また、同様に「ーが殺す」という時には、調査ではその95%が「人」を取ることが分かりました。これが「癌が殺した」への、私の違和感の正体だったのですね。日本語では、「癌で死ぬ」ことはあっても、「癌が殺す」ことはあまりない訳です。



以上がざっくりとした私の研究内容でした。学生時代にやっていたような、英文和訳のアルティメット版みたいなものです。


【次の英文を和訳しなさい】

Cancer killed people.


一見シンプルな問題に広がる宇宙。

それを追い求める物好きの集まり、英語学。

アカハラはあったけど、一問の英文和訳ができるようになるくらいには成長できました。コーパスとも、もう、マブダチです。


では、以上で発表を終わります。

ご清聴ありがとうございました。

Best regards.


#わたしの卒業論文

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