アンチ論-ほんとに提灯記事ですか?-

一応自分はこれまでインターネット上で様々な「◯◯界隈」と接して来たんです。で、この書き込みのベースとなる思想を思いついたのはテレビドラマ、特に朝ドラ界隈の人の複数の言説に触れたことがきっかけ。
その時自分が見てた意見の持ち主は当時の朝ドラに否定的な人で今の自分みたいにブログでお気持ち表明してた訳。でその中に以下のような趣旨の発言があったんです(無論うろ覚えなんで丸写しとかじゃないです)。

「そしてまた提灯記事が役者間の褒め合いとかくだらんことを書く。そんなことよりお前らがこの酷い作品の何処を良いと思うのかが知りたいんだよ」

私はこの提灯記事という表現に猛烈な違和感を覚えた。
まずさ、作品が酷いっていうのは単にこの人がそう思ってるってだけで別に客観的な事実ではないじゃん。不適切な表現が炎上してるとかならまだしも単純にクオリティーの話だし。
この人が嫌いな作品は撮影の裏話が記事になることすら悪だとでも?提灯記事って言うのは例えば今このタイミングでダイハツの素晴らしい生産ラインが……みたいな記事を出すことであって、繰り返しになるけど「(あなたが)酷い(と思っている)作品が褒められている」って言うのは客観性と実効性(さっきのダイハツの例みたいな明確に罰せられるような悪)に欠けるのです。

結局自分が嫌いな作品があるなら単に自分はこの作品が嫌いだと言えば良いんです。そこに勝手に(周りは褒めてるけど)っていう但し書きを付けた挙げ句にそれを「『周りは褒めてる』なんてのは存在しないステマだ!だって自分はこの作品は酷いという『真実』に気付いてるんだから」って方向に持ってくのマジで止めません?自分の反対意見をすぐエコーチェンバー現象にしようとする人達と根っこが同じだよ。社会の意見を無理矢理自分と同意見だってことにしないと説得力を出せないのはヤバい。

似たような問題は結構色んな所で起こっている。前ニチアサ界隈に自分の大嫌いなとあるライダーに少しでも肯定的な人全員をエアプ呼ばわりしてる人がいて、「自分の好きな作品に同じこと言われたらって考えてみたら?」って言ってみたんです。そしたら「それはそいつが間違ってるだけだから関係ない 今は俺が正しいから俺の行為も問題ない」って……ここまで来るといわゆる論破バカとも根っこを同じくしているのか……?

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