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第三セクター鉄道シリーズ並行在来線 第1部



プロローグ


 現在(令和5(2023)現在)、整備新幹線開業に伴い発足した並行在来線型の会社は、全国に8社。第三セクター鉄道の、主たる勢力のひとつとなっている。
 主要幹線の座を降りたことを逆手に取り、地域輸送に力を入れる路線もあれば、観光鉄道化に挑んできた路線もある。あるいは多くの路線は経営分離後も、貨物輸送の大動脈として機能している。
 この動画では、並行在来線転換型の三セク鉄道に関する沿革、またその特徴や経営努力と、その成果などについて解説していく。

第1部:並行在来線型3セク開業前史

1-1 公共事業としての整備新幹線

整備新幹線開業により、〇〇本線と呼ばれてきたような主要幹線の一部区間が、“並行在来線としてJRより分離された。これに伴い、沿線地域が主に出資する第三セクターに、経営移管*された」。
*一部の区間はJRが引き続き運営・信越本線横川~軽井沢は廃止・バス転換

 この旨は、多くの人がご存じであろう。
 ではなぜ整備新幹線が開業すると、JRの在来幹線は経営分離されるのだろうか?
 それを理解するには「整備新幹線」における独特の建設費用の分担方式を、解説する必要がある。この方法では、新幹線運行を引き受けるJRに過度の負担にもならないが、実はあまり利益にもならないことがポイントである。このためJRが新幹線の収益を以て、並行在来線を維持することは難しいのである。
 まず整備新幹線とは現在、一般的に「整備五線」と呼ばれる5つの路線を指す言葉である。


整備五線(整備新幹線)の一覧

 整備新幹線の建設方法の特徴には、以下3点が挙げられる。

1.国の法律(全幹法)に基づき公して建設されること。
2.運行委託先(=JR)に、損失「は」出ない仕組みとなっていること。
3.国と地元自治体が建設費用を一部、負担する約束となっていること。


 整備新幹線建設は、国が主体となって計画・発注する公共事業である。それゆえJR独自の事業ではない。JRは公共事業(の運行・インフラ保守)を受託する主体と位置づけられている。このためJRからの純粋な、費用の持ち出しが生じないようにされている。また新幹線沿線となる都道府県や市町村経済効果に見合った、相応の費用を負担することが取り決められた。

1-2 整備新幹線 建設までの経緯

 東海道新幹線開通により、新幹線が“国土の開発”や“地域振興”にも寄与すると評価・期待されるようになった。
 その高速性により、全体的に鈍化していた鉄道旅客輸送量の中でも、東海道新幹線のそれに限っては、大幅な伸びがあった。また、多くの用務・出張を日帰りとさせた。利用数も1.5倍に増加した熱海・静岡などは、東京の一部に化したと、昭和41年度運輸白書はまとめている。
 かくして新幹線は、東海道本線の輸送力の増強にとどまらず、新たな旅客輸送需要を開拓した。
 また新全総(新全国総合開発計画)(昭和44(1969)年5月)では、全国に7200kmに及び新幹線網を延伸することが構想された。国鉄も同時期、全国に「広軌新幹線方式」による路線網を建設するとの、基本的方針を打ち出していた。

1-3 「整備五線」着工までの経緯

 こうした政府や国鉄内にあった動向に加え、「全国新幹線鉄道整備法(全幹法)」が昭和45(1970)年に、議員立法により制定された。
 同法はいわゆる整備新幹線に関する計画から建設、運行のあり方、ならびに費用の調達に至るまでの、包括的な方針を定めた法律である。
 同法は国土交通大臣により、整備新幹線の「基本計画」や「整備計画」が、定められるとしている。基本計画とは、路線名やその大まかなルートといった、概略段階の計画である。これに対して建設費用の概算等、詳細が検討されたものが整備計画と呼ばれる。
 かくして整備新幹線は、事業者主体ではなく、国の法律に基づき計画・敷設される。
 また同法に基づき、昭和48(1973)年11月13日、整備五線は基本計画路線群の中より、整備計画路線に選定された。すなわち他に優先して、開業させる路線と位置づけられた。

1-4 「整備新幹線」の範囲:「整備三線」と「整備五線」

 「整備新幹線」とは、公式に定められた用語ではない。
 先に説明したとおり、全幹法による整備計画決定により、路線着工が現実味を帯びてくる。ここからそれらの路線が報道により、そう呼ばれるようになったといわれる。
 現行の国土交通省の資料では、整備新幹線とは整備五線のみを指すものと記されている。
 しかし全幹法に基づき敷設された路線は、整備五線のみではない。『整備三線』と呼ばれる新幹線路線もまた、全幹法に登載された路線である。

メモ:整備三線
・東北新幹線(東京~盛岡=盛岡以南)
・上越新幹線(東京~新潟 全線)
・成田新幹線(未成・民営化後一部のインフラが、成田空港へのJR東日本と京成スカイアクセス線に転用)


上越新幹線と北陸新幹線では、車両の一部は共通運用となっているが、その建設スキームは大きく異なるものであった。


 同じ法律に基づき建設されたにもかかわらず、なぜ国鉄民営化後に開業した整備五線と、国鉄時代に開業した整備三線は、異なる扱いを受けるのか?
これは両者が、一線を画した費用負担方式により、建設/運行されているためである。
 国鉄改革を契機として本格的に、沿線自治体による建設費用の負担が導入された。
 民営化前は新幹線建設費用を、国鉄が自前の収入で賄うことが基本であった。
 上越新幹線では、日本鉄道建設公団(現・鉄道建設・運輸施設整備支援機構)による建設代行がなされた。しかしこれ以外となると、政府からの補助は同公団に対する、利子補給程度しかなかった。
 新幹線建設に限らず、大規模な建設・改良工事などが政府から一方的に要求され、かつ十分な補助もないまま、国鉄はその実行を押しつけられていた。
 これが国鉄を、必然的な破綻に至らしめた。
(続)

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