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魂の旅にはまだほど遠い ①

変わりたいと思っていたのに変わりたくなかった。

今年で45歳になった。
毎日が光の速さであっという間に終わる。

今日1日何もなし得ぬまま、同じような1日が終わる。

朝起きて、子供たちを起こしバタバタと学校へやる。
時には朝から準備の遅い子どもらにイライラしそのまま怒りのっ矛先を夫へ向け。
時には朝から穏やかに、機嫌よく送り出し、を繰り返しながら。

予定がない日は洗濯掃除。
夜見れなかったドラマをTverで追っかけ。
気づくと子どもたちが帰宅する。

耳障りなYouTubeの音にイライラしながら子どとたちと過ごし、
宿題を促し今日あったことの話を聞いたり習い事へ送迎。
あっという間に夕飯、お風呂、次の日の準備をほぼ私がする。

仕事がある日は家事はままならず散らかった部屋にイライラし、
ケータイゲームに余念がなくこちらを見もしない夫に家事を丸投げされたような気がして自分は奴隷だと嘆く。
喚き散らしたところで反応もなく、独りよがりで自分ばっかり疲れて終わる。

そんな生活にうんざりしながらもう何年だろうか。

好きなことがやれないわけではない。
欲しいものもそこそこ買っている。

でもいつも満たされず、自分が生きてる意味を探しては絶望し
死にたいとか消えたいとか、自分の存在価値を見出せなくて
悲しみと怒りでいっぱいだった。

イライラする自分が頭おかしいんだと思った。
子供に怒鳴り散らしながら、これは虐待とかの類なのではないかと自分が怖くなる。
でもやめられない。

子供が産まれてからの自分は特にヤバさが浮き彫りになってノイローゼ気味だったのだと思う。

長くなるのでまた別の機会に書くと思うけど、元々生きるのがしんどいタチだ。
そこにきて思い通りどころか斜め上をいく育児に絶望し気づけば自己啓発系のブログやら本やらに手を出していた。
そこには
大丈夫だよ、あなたはそのままでいい。
良くがんばったね。
と耳障りの良い言葉が並べられ、
好きなように生きていい。
生きてるだけで愛されてる。
わがままでいい。
親のせいにしていい。
などなど、今思えば全部向き合うことから逃げるような優しい言葉が綴られていた。

そしてそんなことを歌っている人たちは、みんな豊かに見えた。
お金持ってるし、周りに取り巻きがいて何不自由なく人生を謳歌しているように。

そして私はそんな人たちが羨ましくそういう人にこそ価値があると思い込んでしまった。

故にさらに自分の価値がないものと落ち込むループに入る。



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