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人間のエゴ と 韓国人慰安婦

人間のエゴイズム

日常生活の中で嫌なことがあると、人間って醜な~と考えることがあります。

でもこんな日常とは比較にならないくらいの理不尽を強制されている人がたくさん存在します。そしてその理不尽は、現在だけでなく、過去にもたんさん存在します。

動物社会では、基本は強い者が、弱い者を支配します。しかしながら、社会性の発達した動物では、弱い者を助ける場面も多々存在します。武器が発達した社会では、それを使いこなす智恵が強い者の条件とも言えます。強い者はそのコミュニティーを存続させるために何が必要かを考え、行動します。

結局弱い者を助けるとしてもそれは、自分、もしくは自分のコミュニティーを守るためなのかもしれません。そうなると、人権問題として提起されてきたそれぞれの事案も、ひどい話ではありますが、そのような話が起きてくるストーリーには納得できたりもします。

現在におけるこれらの理不尽を少なくするには、過去の事例を学ぶことが近道の一つです。過去の事例を学ぶことにより、悪徳非業な行動がその先のコミュニティーに有益にはならないと理解できると悪徳非業は軽快するのかもしれません。

 

第2次世界大戦中における韓国人慰安婦

日本と韓国は海を挟んだ隣国ですが、既に関係者の多くがお亡くなりになっている第二次世界大戦の「慰安婦問題」によってお互いに感情的なしこりがあります。真実はなんなのでしょうか。

日韓の歴史

遅くとも7世紀から断続的に戦闘を続け、日本は繰り返し、朝鮮半島の侵略を試みてきました。頻度はともかく、朝鮮半島側からも日本への侵略の試みも断続的に行われたきました。国境を接するとはいえ、海で隔てられている2国間の戦闘は、ヨーロッパの戦闘の歴史ほどは頻繁ではありません。

1910年には日本が韓国を併合し、植民地化し、中国大陸に進出していきます。

その中で、日本は、アジア各地の何万人もの女性を日本軍兵士に奉仕させる目的で、軍の売春施設に送り込みました。それらの犠牲者は「慰安婦」として知られるようになりました。

韓国は、日本が主導してこれらの慰安婦システムを作り、少女を含めて強制的に送りこまれたと主張します(非常に大雑把には)。これに対して日本は、日本軍が主導で少女たちに強制した事実はないと主張します。

「帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い」(著者 朴裕河)

数年前に「帝国の慰安婦」(著者:朴裕河)を読みました。韓国の国民(の一部)からは、「嘘を並べた」と反感を買い、日本からは比較的前向きに評価されることが多いようです。ただ、韓国国内では、著者が裁判となり、一時的なのかもしれませんが、有罪となっています。

「歴史上の事実に、自分の意見を述べた」著書に対して、学問的な反論ではなく、有罪を突き付けることの意味を検討しました。結局、客観的な事実で反論することができないということなのでしょう(いろいろな事象において「異なるということを証明すること」はしばしば困難ですが)。過去の事実を証明することが難しいのはその通りですが、”ある言論”に対して国家が有罪を宣言するのは、ありきたりの言い方なりますが「言論の自由」を侵しています。

詳細の内容は実際に読んでいただきたいのですが、自分が全て読んだあとの印象は、「真実は多彩なのだろう」ということです。

韓国人が金儲けになるという理由で、地域によっては”ほとんど全てを韓国人が主導で作り上げた売春システム”もあり、逆に”日本軍がほぼ主導で韓国人の補佐を得ながらシステムを作りあげた”地域もありそうです。そしてその中間が多数??

日本軍の進出した地域が広大で、売春施設も多数存在することを考慮すると、システムの作り方は統一されていないと考える方が自然と思いました。

多彩なソースがあるので、自分が主張したい内容に沿った一部の事実を強調しているというのが真実なのではないかと思いました。現在でも多くの人々が討論するときは自分の主張に沿った事実のみを強調しています。小さな個人間の喧嘩も、国同士の喧嘩も、同じことが起きています。


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