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ウエイン・ショーター追悼 内向的な青年にはじまったジャズ・レジェンドの道

ウエイン・ショーターが2日にロスアンゼルスの病院で亡くなったとのニュースが入った。ジャズの歴史を刻んできたレジェンド、89歳だったという。今回の訃報は、私にとって胸をチクリとさせるものがあり追悼の意味を込め改めてウエイン・ショーターについて書いてみたいと思う。

しかしながら、私にとって、ウエイン・ショーターのアルバム群は手ごわいものであったといえる。
楽曲はいたって謎をおびてミステリアスなナンバーが多い。例えば、マイルス・デイヴィスの「MILES SMILES」にウエインが提供したアルバム冒頭”ORBITS”は、もはや、ミステリアスを超え、どこか不穏な空気を呼び覚まし、ひどくおどろおどろしいとすら感じる。

そんな未知の恐怖ともいえるテーマの後で繰り広げられるソロ、これがなんとも理解を超えた感覚なのだ。それは、どこか堂々巡りするような、起承転結しない、行き場所が見定まらない、どこか息苦しさを感じるものさえある。さらには、リズムを無視したかのようなアンバランスな独特の間のとり方。後のジャズ・メッセンジャースのメンバーでもあったジャヴォン・ジャクソン(ts)でさえ、「ウエインの演奏には、ときどき理解しがたいものを感じる。それは、プレイしながら彼が絵を描いているからだ」というような発言をしているくらいだ。フリー・ジャズの理論の束縛からの自由のそれほどではないが、それらにはどことなく、分かりやすい分かりにくさを秘めている。

ウエインのこの独特さは何処からきたものなのだろうか・・・。

ウエイン・ショーターは1933年8月25日にニューヨーク州のアイアンバウンド地区で生まれている。幼少期は絵を描くことを好み、12才の時には市の美術展で優勝するという天才肌の少年だった。

ウエイン坊やの誕生の翌年、1934年、アメリカでもっとも人気のあったSF物のヒーロー、フラツシュ・ゴードンがコミックストリップ(新聞連載漫画)としてスタートする。(ちなみにこの年に辛辣な発言で有名なSF作家ハーラン・エリソンが生まれている)それはその4年後の1938年に「フラッシュ・ゴードンの火星旅行」として映画化される。米のスペース・オペラの絶頂期にウエインショーターの出生の時期はピタリ重なることになる。

この時、ウエインは5才ということになるが、私はこの映画を幼いショーターは観ていたのではないかと思う、というか大いに刺激を受けたのではないだろうか。

そういったことに影響されたか定かではないが、ウエインは15歳で長編漫画を描いている。この漫画が今も残るとすれば実に興味深い。恐らくこの漫画とは、SF漫画であったに違いない。そう、この頃、ウエインはSF漫画オタクだった。

時代は前後するが、ウオルト・ディズニーの名作「ピノキオ」が公開されたのは1940年だ。この「ピノキオ」を7才のウエインは観ていることを私は確信する。なぜなら、ウエインは後にマイルス・デイヴィスのアルバム「Nefertiti」に「Pinocchio」というナンバーを提供しているからだ。

しかし、このナンバーは、ウオルト・ディズニーのそれとは大きくイメージを異にする楽曲である。本当のピノキオ、19世紀のイタリアで出版された本書オリジナルは、人の言うことはまったく聞かない悪童を主人公として、貧困や欲望、人間の醜さをダークな感覚で社会風刺したものと言われている。

人の言うことをきかない、自我自尊、猪突猛進、ダークな感覚で社会を風刺する。ここでイメージがふと重なるのがマイルス・デイヴィスである。この頃、マイルスのバンドのメンバーは、マイルスのことをプリンス・オブ・ダークネス(the Prince of Darkness)と呼んでいたと言われているが、ウエインはまさにこの「Pinocchio」をプリンス・オブ・ダークネスことマイルスをかさねて作曲したのではないか、この楽曲のムードからそんなことを深読みしてしまう。
話しはややそれるが、あの時代のマイルス・デイヴィスの一連の作品、悪の華、黒魔術、オリエンタリズム、そこはしこに漂うダークなムード、それが、SF好きのウエイン・ショーターによってもたらされたものだとしたらどうだろうか。そのウエインショーターの注入成分とマイルスの個性、キャラクターが実に見事にピタリはまったのだとしたら。

ブルー・ノートでの初吹込み「Night Dreamer」(1964年)のライナーノーツではウエインによるこんな発言がある。

「ここで表現したかったのは、いかに物事を判断するかってことだ。アリのような極小のものから人間まで、さまざまな生き物をどう判断するかだよ」

小川隆夫著 JAZZ歴史的名盤 ジャケ裏の真実 ジャズ・ジャイアンツ編より 

本書で小川隆夫氏も書かれているが、このコメントの感覚は視野が広いというどころか宇宙的なのである。以下はウエインの発言に対する小川隆夫氏の文章。

「彼とのインタビューはいつも奇妙な話題で終始する。煙に巻くというか、ストレートな表現はほとんどしない。たいていの場合は興味を持っている宇宙の話である。宇宙のさまざまな事象に自分の音楽をオーバーラップさせて説明するーーそれが、ショーターの得意技だ。それがこのときはアリと人間だったのか」

小川隆夫著 JAZZ歴史的名盤 ジャケ裏の真実 ジャズ・ジャイアンツ編より

さらなるウエインのコメント、
「そのことを象徴しているのがハルマゲドンだ。これは最終戦争のことだよ。善と悪とのね。まあ、ほかのものでもいいけど、そうした戦いの中でわたしたちがなにを見つけるか、それから、なぜそこにいるのか。そうした戦いの中でわたしたちがなにを見つけるか、それから、なぜ、そこにいるのか。そうした考えの過程で《判断》が下される。そのことを考えてみたかった」

小川隆夫著 JAZZ歴史的名盤 ジャケ裏の真実 ジャズ・ジャイアンツ編より

これら発言とSF小説との関係性を結びつけるのは強引かも知れないが、この時代でハルマゲドンという言葉を使っていることがまず特異である。この時代にこんな言葉を使う人間がいるとすれば、それはやはりSF作家おいてほかにいないだろう。まして、ジャズ・ミュージシャンでこの言葉をつかい自分の作品を説明するものなど誰もいなかったはずだ。

そして、このアルバムの代表曲「Black Nile」において、アラン・ムーア・ヘッドの「ザ・ホワイト・ナイル&ザ・ブルー・ナイル」にインスパイアされて書いたものだとウエインは語っている。この作家は、SF作家ではなくノンフクション分野の作家であるが、膨大な資料の山からのその古代史にはきっとウエインに刺激を与えるような想像力も含まれていただろう。

ライナーノーツの引用の最後に、ウエイン・ショーターのデビュー・アルバム「Introducing Wayne Shorter」(1959年)のライナーノーツに彼自身こんな言葉を寄せている。

「わたしにとって音楽の世界に身を置くのは決して生やさしいことではない。音楽に集中して生活することは不可能に近い。というわけで、サックスをケースに戻し、ベッドの下に仕舞い、私は仕事を探しに行く」

小川隆夫著 JAZZ歴史的名盤 ジャケ裏の真実 ジャズ・ジャイアンツ編より

自分のこれからだという華々しいデビューアルバムのライナーノーツのしかも冒頭に、当時のウエインはこのような弱気とともとれる発言をしているのだ。だが、何か、私は、この発言は他のジャズ・レジェンドにはない、ウエインショーターの人柄、本音、ウエインショーターそのものを表しているような気がする。少なくとも、このレジェンドは自信満々にデビューを飾ったわけではないことは確かなのだ。

ライナーノーツに何気なく載ったこのひとこと、今、改めて感じるのは、ウエインショーターという人は、漫画オタクの幼少期をえて、SF小説を愛する内向的なティーンエイジャー・ナイト・ドリーマー(夜の夢想家)そこからはじまっていったのだなという思いを改めて感じることとなる。
そして、アートブレイキー&ジャズ・メッセンジャース、ハードバップ大学、マイルス・スクールの編入、そして、マイルス・デイヴィス黄金のクインテット時代で、鍛え上げられ、磨かれ、世の現実をクールに見つめ、タフで思慮深いミュージシャンへと成長していったのだ。青年時代にSF小説で養われた大いなる想像力、イマジネーションを翼のように広げながら・・・。

ジャズとは、イマジネーションが必要とされる音楽だと思う。それは、プレイヤー側、いや、ヤル側も聴く側も、それが必要とされると思う。イマジネーションによってどれほど表現が飛躍できるかが鍵となってくる音楽なのだ。

当時、ウエイン・ショーターの音楽が手ごわいと感じた理由、わからないと感じた理由、それはSF小説によって養わられたウエインの並外れた想像力にあったといえるのかも知れない。ウエインの想像力の源、それはSF小説にあった。
ハーラン・エリソンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」に多くの人が理解しえないと同じ意味において。並外れた想像力、そう、ウエインは、プレイしながらストーリーを語り絵を描いていたのだ。15歳で長編漫画を描き上げたあの頃のように。イマジネーション、それはヤル側にとってもちろんのことだが、あの頃のジャズ初心者の私に、聴く側のイマジネーションがまだまだ不十分だったということである。あの頃の自分に言いたいのは、ジャズを聴くことに必要なのは、ありあまる知識ではなくそれを聴く想像力だということ。
それを教えてくれたのが、私にとってこのウエインショーターというミュージシャンだったというのは言うまでもない。

ウエイン・ショーターのデビュー・アルバム「Introducing Wayne Shorter」ライナーノーツ(ダウンビート誌バーバラ・J・ガードナー)の結びにジャズの未来を担う期待の新人に贈る言葉がある。私は、今回その部分を読むにつけ、胸がきゅんとなってしまった。この記事の最後にその言葉を引用する。

ウエイン・ショーターさんのご冥福を心から祈る。

「Ssy "How do you do" to Wayne Shorter」

 ”ウエインショーターに(会ったら)お元気ですかといってあげてください”


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