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サイタマのザリガニ釣り 2

六畳ひろむの場合

六畳ひろむはスクラップの山のてっぺんに登り辺りをへいげいしていた。
河川敷のはずれ廃品置き場。古タイヤ、ハンドルのとれた自転車、壊れた冷蔵庫、洗濯機、わけのわからない鉄くずたち。その集積によってできた山の頂。
しばらくすると、近くの作業現場から、地面に何かを打ち込むような音が聞こえてくるはずだ。だが、今は静かだ。物音ひとつしない。静かな風音とひろむの作業服の衣擦れの音。

早朝、朝露があたりに生い茂る雑草を濡らし、朝日がスクラップの山をきらきらと輝かせていた。ある意味、アート作品。
ひろむは、アートという言葉は知らなかったが、きっと、その本質のようなものは理解していたに違いない。なぜなら、いつも、ひろむは自身の仕事場にあるそのスクラップの山を誇らし気にうっとり見つめていたから。

そして、自分の人生になんらかの変化が起こることを願っていた。
それは、どこか遠くからくるような予感がした。それで、彼は毎朝、スクラップの山に登り、その遠くを見つめた。

ひろむは学業はかんばしくなかった。掛け算は四の段でつまづいた。
シシ、ジュウロク・・・、
ひろむには、それが、シシは獅子で、ジュウロクは、時代劇に出てくる町人、じゅうろくをイメージした。
それは、数値であって、そうした意味はない。その数値の並びを記憶、暗記するように教師は辛坊強く教えたが、ひろむのなかでそのイメージは消え去ることはなかった。算数の時間の間、じゅうろくが暴れる獅子をとりおさえているシーンが頭のなかで何度も、何度もリピートされた。

ひろむの父は、ひろむが小さい時に亡くなり、母親は近くのプレス工場で働きながら、ひろむを育てた。ひろむの学校での成績など気にしなかった。気持ちをいつもきれいにしておけば、いいことをは向こうからやってくると、いつも話していた。質素な公団住宅での二人暮らし。ほかにとくに必要ものはなかった。ひろむと母親の二人どちらかの誕生日にはごちそうを作りバースディケーキを買ってお祝いした。クリスマスにはそれにチキンが加わった。毎年、ひろむは子供用のシャンパンでどういうわけか酔っぱらった。夢のような時間の記憶。

母親が仕事から帰ってくるのをひろむは待ち続けた。夕方、玄関の外の階段で足音がタン、タン、鳴ると、ひろむは玄関のドアのところまで飛び出していった。そして、のぞき窓でそれが母親であることを確認すると、母親がドアの前でバックから部屋の鍵を取り出す寸前に扉をあけて出迎えた。まるで、自動ドアのように。そして、母親は、ただいま、とにっこり微笑むのだった。

それは、ひろむが中学生になっても続けられた。
ある日、母親の帰りが遅かった。母親は、職場の仲間に食事を誘われてもいつも断っていた。仕事が終わると、何より、真っすぐに帰宅するが常だった。夕方、七時をまわって、あたりは暗くなった。それでも、母親は帰ってこなかった。ひろむは心細いながらも待ち続けた。
だが、その日、階段から、そのタン、タンという足音は聞こえることはなかった。
その日、母親は工場で倒れ、救急車で病院に運ばれた。そして、そのまま帰らぬ人となった。突発性の心筋梗塞だった。

中学を卒業して、ひろむは母親の働いていたプレス工場で働くこととなった。最初の仕事は簡単だった。
アルミの素管に取り付け穴の切り込むを入れる作業、素管をプレス機に差し込み、足踏みのペダルを踏む。それだけ。
ただ、それには、決まりがあって、千本加工するごとに切りカスを掃除すること、刃物に油を塗ること、そして、三千本で金型を交換することだった。

作業主任が作業で使う通い箱を渡しながら、ひろむにこう説明した。
「いいか、この箱に素管が百二十本入るようになっている。数えなくてもいい。きれいにそろえて重ねるんだ。それがいっぱいになったら、それで、百二十本だ。そしたら、この帳簿に正の字のはじめのーを記入する。最初は千本だから、八箱と四十本だな。それで、切りカスを掃除する、刃物に油を塗る・・・」作業主任はそういって、ブラシで切りカスを掃除し、ハケを使って油をぬった。「いいか、わかったな」
ひろむはこくりと頷いた。

まずは順調だった。だが、四箱目が終わった時、どこからか若い男性があらわれて、その箱を何も言わず台車にのせて持ち去っていった。
五箱目の時も、「おい、新人、遅いよ、オマエ信じられないくらい遅いよ、それじゃ、残業になっちまう、もっと早くやれよ」
その作業者にスピードをあわせているうちに、ひろむは自分で何箱終わらせたのか、次第にわからなくなっていった。

夕方、結局、ひろむは、自分でもよくわからないうちに、四千本の素管を加工していた。
異変に気付いたのは抜き取りの検査員だった。ひろむの加工した素管約二千本に内バリが発生していたのだ。
工場長はみなを集めて言った。「これでは、出荷できないな。明日の出荷に間に合わせるために、みんな残業してくれないか」
その日、素管一本づつカッターで内バリを除去する作業でパート、アルバイトをのぞく社員は徹夜でその作業を行うことになった。

そんなことが三回ほど続いたある日、ひろむはプレス工場からクビを告げられた。
その後、ひろむは仕事を転々とした、引っ越しの手伝い、ガソリンスタンド、食堂の皿洗い、工事現場、だが、どれも長くは続かなかった。もって、二日、三日目にはいつも決まってクビが告げられた。

ある日、亡くなった父親の知り合いという男性から話があった。
「町はずれのスクラップ場で人を募集している。オマエ行ってこい、地図を書いてやる」
ひろむは、言われるまま、自転車に乗ってその場所に向かった。
どこまでも続くかのような河川敷。ダンプカーが通りすぎる道の両側には立派なすすきがこれでもかと押し茂っていた。その場所は確かにあった。
ゲートは開いていた。それを真っすぐ進むとそこに言われたとおり、プレハブ小屋の事務所があった。

ひろむは指示のとおり、事務所の扉を開けた。かび臭い匂いが漂った。
「まあ、かけて、」その年配の男性は言った。背は低かった。しみだらけの顔、まるで重油が沁みたような。机、椅子はみな不揃いだった。いや、そこにあるすべてが不揃いだった。みんな廃棄品なのだろうと、ひろむは思った。
「とりあえず、君はなにもしなくていい。ここにいてくれればいい」
その顔はまずそう言った。
「私はここの経営者、社長であるけど、私は忙しい、私はここにほとんどいない。だけど、法律上、管理者を一人立てねばならない。それが、君だ。」
ひろむは、黙って聞いていた。
「朝、君が通ってきた、ゲートを開ける。提携している業者がトラックで廃棄物を捨てにくる。君に話しかけることはまずないだろう。彼らはここだけじゃないから作業が終わったらさっさとほかの所へ行く。でも、会ったら挨拶くらいはしろ。ほかに、ここにある廃棄物を買いに来る客がいる。彼らのいうことはほぼ決まってる。”これ、まだ使えますか”だ、君はわからないと答えろ、本当にわからないんだから。もし、客が買うとなったら、客から金を受け取れ、値段については、私があらかじめいくつか値札を貼っておいた。その後は、君が決めろ、私の値段を参考にして。あとは、とりたてて、何もしなくていい。むしろ、されると困る。だから、君のような大人しい正直な人間を選んだ」
社長は、そうだろという視線で、ひろむを見つめた。
「台所でガスコンロが使える。使い終わったら元栓を必ず閉めろ、エアコンはないが扇風機が四台ある。暑くてどうしょうもない時は、外の水道のホースで水浴びしろ、シャワーヘッドを取り付けたばかりだ。冬は電気ストーブが五台ある。好きに使え。夕方、五時になったら、外のゲートを閉めて、それで終わり、何か、質問は・・・。」
「ないか、ないな、じゃ、明日から頼む」
ひろむは、ただ、こくりと頷いた。

次の朝、スクラップ場に向かうと、やはり社長の姿はなかった。
ひろむは、ただ、事務所の机に座りぼーつとしていた。
とりあえず、事務所の窓を開けた。
しばらくすると、ゲートを通過する一台の軽トラックがみえた。
二人の男性が出てきて、荷台にある廃棄品をおろしはじめた。
まだ使えそうなものは、トタン屋根の納屋に、そして、あきらかな鉄ごみはスクラップの山へと投げ捨てられた。
ダン、ダダン、カン、キン、ドドンという音がしばらく鳴り響いた。作業が終わって、事務所の前を軽トラックが通りすぎたが、二人の男は、ひろむの姿に気づいたものの、確かに、その表情は変わることはなかった。

確かに、何もやることはなかった。その日、ひろむは、スクラップ場のまわりを散策した。秋の落ち着いた気配があたりをおおっていた。枯葉が重なった道とはいえない道を歩いた。それだけで、ドラマがあった。それを感じることができた。
午後、ひとりの男性がトタン屋根の廃棄品を眺めていた。ひろむが近づくと、男性は炊飯器を取り上げて言った。
「これ、まだ、使えますか?」
ひろむは「分からないと答えた」
男性は、しばらく考えた後、ひろむに二百円支払い。炊飯器を手にして帰っていった。
ひろむは、そのお金を事務所にある高級クッキーの空き缶に入れた。

そんな日々がただただ過ぎていった。
雨の日は、ただ、事務所の窓から外のスクラップの山に雨がしとしとと降る様子をいつまでも飽きもせず眺めていた。
そして、コンロでお湯を沸かしてスーパーの安売りで買ったティーパックで紅茶を飲んだ。テイーカップと皿は柄違いではあったが、すぐに廃棄品のなかから良いものが見つかった。
紅茶は母親と一緒によく飲んだもの。ひろむは、そのパッケージを憶えていた。

ひろむは、難しい漢字の本は読めなかったが、図書館から借りた小学生向けの海外小説を読むのが好きだった。
「ピノキオ」「海底二万里」「十五少年漂流記」「八十日間世界一周」そう、ひろむはジューヌ・ベルグの小説が大好きだった。
そして、そんな小説に熱中するあまり現実と夢物語の境界線をしばしなくしていった。勝手に空想をこしらえては、空想のなかに自分を解き放し、たまにぼーつとした。それは、確かに人に迷惑をかけることは少なかった。仕事さえ、からまなければ。そして、ひろむのそうした性質、それに気づく人もまれだった。中学生にもなって、小学生向けのノベルズ、ジューヌ・ベルグに固執する。何より異質なのは誰の目にも明らかであったはずにも関わらず。
さらにいえば、ひろむは、怠けものの子供は、ワシ鼻の御者が乗った馬車が迎えに来て、一生遊んで暮らせるこどもの国に行き、気が付けばロバにされているという「ピノキオ」のなかの話を小学高学年になるまで信じていた。

時に亡くなった母親のことを思い出して淋しくなった。だが、その淋しさの現実に、母親との思い出が鮮やかに交差していくことも知るのだった。哀しみを覆うかのように。それに、酔うことで、しばし、その淋しさの現実から逃れることができた。その思い出にひたる時、ひろむはその思いをどこまでも広げることができた。邪魔さえ入らなければ、その境地にすぐに入ることができた。そのそれは、まるで、亡くなった母親がすぐそばにいるかのようだった。ひろむは、夢見がち、そのメランコリックな思いのなかで、母親に話かける、すると、母親は、すぐさま、あの優しい微笑みで答えるのだった。きっと、うまくいくよ・・・と。

ひろむは、子供の頃から「チム・チム・チェリー」という歌が大好きだった。それが映画の「メリー・ポピンズ」の挿入歌であることは知らなかったが、それが、煙突掃除人の歌であることは知っていた。何か、自分が淋しいと感じる時、そのメランコリックな曲調は、ほかのどんな音楽よりも、ひろむを和ませるのだった。そっと寄り添うのだった。なにか、煙突掃除人の下位に生きる人たちのアイロニーを、ひろむはその歌から感じとっていたのかも知れない。
仕事終わり、スクラップの山のてっぺんで、ひろむはよくその歌を口ずさんだ。
そう、煙突掃除人が一日の終わりに、煙突のてっぺんで、誇らしげに夕陽に染まるロンドンの街並みを見下ろしながらこの曲を歌うように。

そんな現実と夢のはざまを行き来しているひろむであったが、ひとつだけ、この頃の若い男の子と同じ感情をもっていた。
それは、同じ年ごろの異性と話しをしてみたいという思いだった。
スクラップ場には、時たま、エッチな本が運ばれてくることもあった。
ひろむは、それを半日、眺めて過ごすこともあった。だが、最後にはいつもむなしくなった。なにか、その思いと、それは、近くて、遠いようにも感じた。

素晴らしく天気の良い日だった。誰しも多少のやっかいごとに目がつむれるような日だった。自転車を押した若い女性がスクラップ場を訪れた。
髪をショートにして両サイドがはねたスタイル。からし色のセーターの細いジーンズ。ひろむと同じ頃の年齢に見えた。
「すいません、廃棄品は、こちらでよろしいですか」彼女は言った。
自転車の荷台には、電子レンジらしいものが括り付けられていた。
ひろむは、トタン屋根のある納屋を案内した。
若い女性が電子レンジを荷台から降ろすを、手こずっているのを見て、自然と、ひろむは手をかした。
その時、母親とは違う、女性の匂いがした。
「これ直せばまだ使えるかしら。それともただのスクラップ行き?」
彼女はにっこり微笑みながら言った。その微笑みは、電子レンジを地面に降ろすことを手伝った、そのお礼であるように、ひろむは感じていた。
「少し直して使えそうなものは売れていく。買うより安いから」
ひろむは、きっぱり言った。
「そう、壊れてるけど、この電子レンジにはお世話になったし、なんだか可愛そうで、母はもう新しいのを買ってしまったんだけどね。でも良かった。わざわざもってきた甲斐があったわ」
ひろむは、そこで少し誇らしい気分になった。それは、ひろむのなかではじめて芽生えた気持ちでもあった。
「それじゃ、どうもジャンク屋さん。また、廃棄品が出たらもってくるわね」
そういうと、彼女はもときた道を自転車を押しながら帰っていった。
ひろむは、彼女がゲートを出るまで、じっと、いつまでも眺めていた。
その、どうもジャンク屋さん、という言葉を何度も嚙みしめてながら。その言葉の意味もわからぬまま。

ある時、廃棄品のラジオをかけながら紅茶を飲んでると、ふと、ある言葉にひろむは反応した。洋楽のラジオ番組だった。
「さて、次の曲は、ポール・マッカトニーのソロ・アルバム、”マッカトニー”から、”ジャンク”のリクエストがきてるよ。」
ひろむは、ぐっとラジオに近づいていった。
「”私は、この曲の淋し気で、それでいて、暖かい感じがものすごく好きです。ビートルズは解散してしまって、大ショックですけど、このような曲が聴けること、とても嬉しいです。”ポールの花嫁さん、リクエストありがとう! それでは、ポール・マッカトニーで、”ジャンク”です」

いらなくなった自転車、ハンドル
二人の自転車、まるで失恋の祝祭さ
パラシュート、アーミー・ブーツ、二人用の寝袋
まるで、センチメンタル・ジャンボリー
買って!買って!とショー・ウインドウのサイン
どうして?どうして?となかに置かれたスクラップ
ロウソク立て、積み木
新しいものも古いものも君と僕との思い出
買って!買って!とショー・ウインドウのサイン
どうして?どうして?となかに置かれたスクラップ

『Junk』Paul Mccartney 和訳

もちろん、その歌われている歌詞の内容は、ひろむには理解できるわけもなかった。だが、ここにある世界のようなものが、そっと、ひろむの心のなかに入ってきた。自分でも驚くほどに。「チム・チム・チェリー」をはじめて聞いた時のような。それは、今、ひろむがいる場所と共通する世界、そして、求めている何かのように思えた。

それから、しばらく、ひろむはまたこの曲がかからないかと、ラジオのつまみをぐるぐると回してみた。ビートルズの曲は流れた、が、この曲ではなかった。この曲名、”ジャンク”はしっかりと記憶された、シシ、ジュウロクは何度、聞いても頭のなかを流れていくだけだったが。
ただ、ポール・マッカトニーのマッカトニーは忘れてしまった。それで、ひろむは、ビートル、ポールの”ジャンク”と憶えることにした。また、ふたたびこの曲に出会うまで。
あのラジオ番組にリクエストすれば、またこの曲をかけてもらえるのだろうか。だが、その方法は、分かるわけもなかった。
あの電子レンジをもってきた女の子に聞けば、その方法を聞けるかもしれない。
ひろむは、スクラップ場にあらわれた彼女、そして、ラジオからビートル、ポールの”ジャンク”が流れることを待ち続けた。
だが、どちらのそれも叶うことはなかった。

ただ、ひとつ、感じたことがあった。それは、ひろむにとってとても重要なことのように思えた。そのなにかのきっかけは、またなにかのきっかけに繋がっていると。世の中はそんなふうにしてまわっているんだと。この”ジャンク”という言葉のきっかけは、きっと、自分にとって、大事な何かのきっかけに繋がっているんだと。ひろむは、成績はひどく悪かったが、そうした意味を理解する力はそなわっていたのかもしれない。だが、だからといってひろむは何をしていいのかさっぱり分からなかった。

秋が終わり冬がきた。
スクラップの山を霜がおりて雪山に変えた。
空気が押し黙っていた。
トタン屋根に異様に大きいカラスが一羽とまってあたりを見まわしていた。
スクラップ場のゲートから原付バイクがリヤカーを引いたものが入ってくる。それを、ひろむは、ただ見ていた。
原付バイクはそのまま、トタン屋根の納屋の前で停車する。
リヤカーの荷台から廃棄品を降ろしている様子が見える。
ひろむの視線に気づいたのか、その男性は事務所に向かって歩いてくる。
「兄ちゃん、悪いけど、ちょっと手かしてくれないか」
ひろむは、作業者服の上にジャンパーを羽織ると、その男とともに納屋に向かった。
「これ、降ろすのに、手伝ってくれないか」
男性は、老人といっていい年齢に見えた。
リヤカーの荷台には、大きな金庫がのようなものがのっていた。それは、黒い鉛の塊だった。
「これ、捨てて来てくれっって言われて金もらってる。なんでも鍵がぶっ壊れて使いものにならなくなってるらしい」
老人は、リヤカーから廃品である金庫を持ち上げようとしたが、それはびくともしなかった。
ひろむも重量を確かめるつもりで金庫に手をかけた。と、同時に老人は片側を持ち上げた。その片側が浮いた。
ひろむそのまま、力を入れ、反対側を持ち上げた。
金庫はリヤカーの荷台から浮いた。場所はすぐ真下でいい。
その時、老人が手を滑らせた。
金庫の重さが、ひろむの片側に集中した。耐えられるわけもなく。金庫はそのまま、ひろむの足を右足の上に落ちた。
ひろむは、悲鳴をあげた。

その後のことは憶えていない。あまりの痛みにひろむを気絶してしまったのだ。気が付いた時は、病院ベットの上だった。
ひろむの足の親指は煎餅のようにぺしゃんこになった。
三日三晩、痛みでうなされることとなった。熱をだした時に看病してくれた母親の夢をみた・・・。
一週間が過ぎ、スクラップ場の社長が、ひろむを引き取りにあらわれた。

その後のことを、ひろむはあまり語りたがらない。聞いていて、あまり、気持ちのよい話でもないし、今さら、何を、どうのといっても仕方がない話しなのだ。だから、物語も、この件についてはこれでおしまいにする。

春になった。スクラップ場のあたりを春の気配が覆った。濃い土の匂いがした。鳥が空のうえで歌った。

六畳ひろむはスクラップの山のてっぺんに登り辺りをへいげいしていた。
河川敷のはずれ廃品置き場。古タイヤ、ハンドルのとれた自転車、壊れた冷蔵庫、洗濯機、わけのわからない鉄くずたち。その集積によってできた山の頂。
そして、自分の人生になんらかの変化が起こることを願っていた。
それは、どこか遠くからくるような予感がした。それで、彼は毎朝、スクラップの山に登り、その遠くを見つめた。

「ひろむ、きっと、うまくいくよ」「それじゃ、どうもジャンク屋さん」


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