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三鷹市吉村昭書斎に行き、堪能しました

ついに私は!吉村昭書斎に入りました。

三鷹市吉村昭書斎

開館前に2回ほど見に行っていた場所です。
昨年の夏は、着工直後の地盤整備の様子まで見に行ってしまった。
好きなのものは生まれる前から見たいのですもの。

そして2024年3月9日にオープンしたのが吉村昭書斎です。パチパチパチ

井の頭公園駅から徒歩3分。花散らしの雨です

三鷹市は、作家吉村昭の仕事場であった書斎を移築し、整備して公開しました。

三鷹市吉村昭書斎
左が交流棟、右の建物が書斎棟

吉村昭(1927-2006)は、昭和44(1969)年に三鷹市井の頭に家族とともに転入しました。(略)妻で作家の津村節子が移転先を探し、この地に新居を決めました。

この家には、夫婦のそれぞれの書斎がありましたが、十年も暮らす間に吉村の書斎は執筆資料や書籍で溢れかえってしまいました。そのため、自宅の敷地内に6畳の書斎と4畳半の茶室から成る10坪の離れを建てます。茶室は茶道に親しむ津村の希望で備えられました。(略)
のちに吉村は、書斎を「この世で一番安らぐ場所」と表現し、深い愛着を示しました。

『三鷹市吉村昭書斎解説シートvol.1』より

館内は「交流棟」と「書斎棟」から成ります。交流棟は無料、書斎棟は入室料100円です。

パンフレットより
交流棟から書斎棟へ続く通路には、吉村・津村の人生年表がありました

この先が書斎棟です。

書斎には執筆途中の机が再現され、開いたままの資料、地図、付箋が貼られた厚い本と書きかけの原稿がありました。
コピー機もあった。時代を感じる古いタイプの機械です。
メガネなどの愛用品や推敲を重ねた原稿も、ケース内に展示されています。

書斎の一部
屋根裏へとどく本棚。ハシゴが備えてありました

書斎棟内を見学し、交流棟へ戻ります。
交流棟では、吉村昭と津村節子の作品や夫妻の関係資料を読んだりながめたりしながら、快適に寛げました。

館外に出ると、井の頭線がのんびりと走り、少し歩けば緑豊かな井の頭公園があります。
こちらは何度も訪れたくなる所ですね。

ファンが多い『羆嵐』

『羆嵐』吉村昭/著、1982年

住民が里山でクマに遭遇したという話は、今日もニュースで頻繁に耳にします。

この小説は、大正時代に北海道の三毛別(さんけべつ)で実際にあった事件のことを書いています。
冬眠をし損ねて飢えた熊が北海道の開拓村を襲い、2日間で6人もの犠牲者が出たのです。

吉村昭の文章で、読んでみてください。
怖くて冷酷で目が離せません。
獣や血のにおいを感じ、音まで聞こえてきます。
怖いけどすごいぞ。吉村昭。

雪深い山で、この危険な熊をどう退治するのか?
一人の猟師に白羽の矢が立つ。
その男は村人から厄介者扱いされており、村を離れ、長いこと山で生活をしている熊撃ちであった。

いったいこの後どうなるか。最後まで見逃せません。

『羆嵐』のファンは多い。
有名人にもいますよね。ラジオパーソナリティの赤江珠緒さんとか。たしか作家の羽田圭介さんも好きだと言っていた気がする。

私も好きです『羆嵐』。
吉村昭の小説をみんなも読んでみてねー!

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