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【凸凹子育て】願いと呪い

ロキソニンプレミアムが効かない頭痛、何事かと思ったらなんと副鼻腔炎でした。直前まで歯が痛いと思ってたんですが、ググった時「この時期上の歯が痛いっていう人7割くらい副鼻腔炎です」って言われてるのを見つけて、土壇場で歯医者じゃなくて耳鼻科に行きました。
頭と歯に響くくらい顔の一部(鼻の横)がハチャメチャ痛いし、今朝は鼻かむたびに悪臭で地獄だった。薬で治ってくれ…

先日のアカデミー卒業打ち上げと、年末に前部署の仲良し女子で集まって子連れランチしたとき(意外なことに、大人になってからは女子会ができる、一応)どちらにおいても、初見の同僚先輩上司から
「息子くん、めっちゃコミュ力あるね!!」
と褒められて戸惑った。
実際のところ、アカデミー打ち上げではちょっと目を離したら上座のソファでくつろいでじゃがりこを食べながら男性社員に遊んでもらっていた。
少し早めに離脱してホテルに入った時、その男性社員がくれたブラックサンダーを「明日の朝食べるんだ♪」と大事に冷蔵庫へしまっていた。
一瞬だけ「この子小田原の民になってしまうんか…?」と謎の心配が頭をよぎったのはここだけの話。

しかし、息子はASD(書面上はHFPDD)で、言語面の遅れはだいぶよくなったものの続いていて、気づいた時より減ったっちゃ減ったけどパリラリア(反復言語・音声チック)がある。
気持ちの切り替えもまだまだ難しい場面が多いし、コミュニケーションの課題がある子として療育を受けているので、平場で「コミュ力がある」という評価が出てくるって矛盾するよね。

しかし、実のところ息子は0歳10か月で保育園に入って以来、先生や年長さんを魅了し、いつも誰かにお世話されている天然人たらしで
転園で友人関係がリセットされたはずなのに半年くらい経ったら「最初からいますけど?」風情で年長さんとも遊ぶようになっていた。
たまーに公園で保育園のクラスメイトに会うと、勝手気ままに走り回る息子を皆が追いかけているという謎のカリスマ性。
昨年は年年少の子に気に入られて「〇〇ちゃんのむすこくん♡」と兄?認定する子もいたらしい。どういうことなの
最近だと、屋内のプレイランド系に連れて行くと必ず一人はその場で出会った子と一緒に遊んでいる姿を見る。先日も初対面の兄妹に混ざって追いかけあったり、小さな子とパパと一緒に遊んでいて私がびびった(というか、私がちゃんと相手しろって話ではある…)

多分だけど、息子にとって誰かとわかりあうにあたって言葉はむしろ邪魔なのかもしれない。じゃあどうやってるんだろうって思うけど、これがまた親から見ててもいまいちつかめない。何せ、本人の要求を言葉にされなくて一番困っているのは親なので…
ノンバーバルコミュニケーションと広く括るのもちょっと違うけど、あえて言うならば敵意のなさかなとは思う。怒りや攻撃性も出てはいるけど、他者を傷つけるモチベーション自体はない。
言葉が出る前から親を試すようないたずらもしない子なので、そういう発想がそもそもないんだとは思う。

子育てって恐ろしいなと思うのは、親の「あなたは〇〇ね」という何気ない言葉が成長の願いにもなるし、成長を妨げる呪いにもなる。
良かれと思って自由にさせても愛着とは離れてしまうし、何かができた方がいい、と褒めてもそれが他者に許されるための手段に成り下がってしまったり。親は子を呪わずに育てられないという過激な言論も見かけたことがあるけど、私はその通りだと思う。

多くの人と分かり合える人間でいてほしい、と願うことすらもためらいながら、その背中を見て今日も戸惑っています。

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