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【凸凹事業検討】「○○の」

起業ゼミの有志企画として、不定期で事業検討会をやっています。
私はご飯作ったり子供の相手したり車運転してたりですごいドタバタしながら参加してたんですが、今日初めてちゃんとダイニングテーブルに落ち着いて参加しました。まぁ子供うろちょろするし話しかけてくるし見た目のドタバタ度あんま変わらなかったけど……

先日起業ゼミの講義が全て終わったんですが、散々パッション的なマインドセットや結果事例をゴリゴリに繰り広げてきた最後の最後に

「幸せってなんやろね?」

なんてふわーんとしたお題目がぶち込まれて
下手したら腹たった人いるんじゃないかな…電流爆破で相殺?

どんでん返し感はさておき、まず私は事業案のタイトル変更を余儀なくされ
今夜はひたすら「発達障害者が幸せになった姿」を考えていた。
とりあえずググった使えそうなソース

二つ目に向谷地さんと当事者研究の言葉が登場しててびびる。最近オープンダイアローグに興味を持って、横道誠さんの「唯が行く!」を読んだばかり。
ちなみに別のウェルビーイングシンポでも「ダイアローグ」という言葉が出ていた。

ちなみにこの「○○のウェルビーイング」とか「○○・ウェルビーイング」って表現は私の知らぬ間にかなりたくさんできてるようで、朝参加した事業検討会にフックすると「ファイナンシャル・ウェルビーイング」という、幸せとお金の関係を説く本があった。
人がお金とどう向き合うか、のマインドセットは事業検討の原体験ないしn=1を揺るがす要素だから侮れない…。

同じように考えると、幸せな発達障害者ってなんやろね?は捨ておけない話になる。
そこで問題なのが、ウェルビーイングないし幸福論を説いてくださった前野隆司先生によると、これが揃うとより幸せ!と言われる4つの因子があるそう。

  1. 「やってみよう!」因子

  2. 「ありがとう!」因子

  3. 「なんとかなる!」因子

  4. 「ありのままに!」因子

…おわかりだろうか。
自閉の民にとって、だいぶハードルが高いものが列挙されている…。
特に「なんとかなる!」や「ありのままに!」を維持するのが難しいのが我々なのだ。
生い立ちや特性によっては「やってみよう!」もかなりのハードルになる。
なんせ、自閉の民が好む「変わらない、見通しの立つ日々」とは真逆のそれ。

多分著書にこのあたりはきちんとフォローがある(はず)んだろうけど、一当事者の立場で、私はとにかく「ありのままに」が至難の業。
どこでも好き勝手してるけど、これが天然100%の自分ですかって聞かれると答えはNOだったりする。
空気読まなくていいならもっと言いたいこともあるわって時もあるし、もう喋る気しない勘弁してって思いながら社会をやっつけているときもある。
だって、ありのままが否定される人生だからね、私たち。


これはおそらく「○○のウェルビーイング」の○○ごとにある葛藤ではなかろうか。
発達障害の話を毎日バカスカやってるけど、なにも自分が特別にスペシャルなんて思ってない。みんな違ってみんな大変。
だから「不登校児のウェルビーイング」にも「女性のウェルビーイング」にも「デュエリストのウェルビーイング」にもなんがしかある。
それを考えてね!が学長の意図(にかすってる何か)なのかなーと思ってます。

キャッチアップしきれるかわからないけど、いいフレームワークなので使いこなしたい。
障害者の社会参加、ではなくキャリア形成やその先の幸せを模索できるところまで手が届くことに、先人の努力に感謝と敬意を忘れずに。
やれるとこまでやったりましょう

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