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【凸凹日記】ただここにいたいだけ

今年度は夏ごろから子供が習い事(パソコン教室)を始めたので
朝家事をやっつけてから療育に送り、お昼食べてちょっとリフレッシュさせたら習い事に送る、ほんで行ってる間に買い出ししたり子供とは行きづらい系統の買い物(商品を吟味したいとき、自分の服とか)を済ませて迎えに行き、帰宅してちょろっと休憩したら晩御飯作るという
改めて言語化するとめっちゃハードな1日を過ごしている。
普段、メラトベルで誘発される眠気に30分以上抗う子供もこの日ばかりはスパッと寝る。

この生活をこなせる時点でお前発達障害じゃないだろって意見もあるのは承知なんですが、一方でトイレ掃除は隔週レベルまで落ちてるし風呂掃除も怪しくて時々眼鏡かけたまま風呂場に行って床の色見て悲鳴上げながら掃除するし、晩御飯はおかず1品作ったらもう息切れである。
あと私は破滅的に化粧ができないんで、土曜日でも最悪眉毛描くのすらあきらめるというか、忘れる。
あと今日もハンカチを忘れた←
ちなみに今日は少し早めに児発に着いたからって車で15分くらい寝た。子供にすげー文句言われた。
児発に行ったら、以前記入した生活アンケートに書き漏れがあったよと言われた。
化けの皮もかぶれていない…

NINOさんの動画はめっちゃ勉強になるのでオヌヌメです。

多分ここからが本題(前置きの長さよ
事業案を考えるにあたって、当事者がある程度集まっている場所で大喜利的に「これがあればもっとマシなのに」と「カスタマイズAI作れるとしたらどんな機能が欲しい?」と聞いてみたら

「不労所得」「1日元気に動き回れる体力」「ベーシックインカム」「強靭なメンタル」…とまぁ前半は仕方ないとして
AIについては意外と「励ましてほしい」「寄り添ってほしい」といった、実用性(もちろんスケジュール管理や休憩リマインドなどの意見もありましたが)より心情に寄り添ってほしい方面の意見が目立ちました。

これをそのまま事業案には当然落とせないんですが、
聞いてみて思ったのは別に発達やメンタルで困ってる人って、抜本的にどうにかなりたいみたいな強烈なニーズは抱いていないのかもしれない。
変化を渇望することにもエネルギーがかかるから、そのエネルギーが枯渇している人はそもそも「もっとよくなりたい」じゃないんですよね。

もっと言うと、ある程度自己受容が進んでいる発達民は結構「今更定型になりたい」とは思わないのがマジョリティだそうで、私も特性がさっぱり消え去った自分って想像したらちょっと気持ち悪い。
特性はあっていいんです。
ただ、人に迷惑かけたくないとかもっとしっかりしたいって思うのは、社会という得たいの知れない世界での存在を許してほしいというちっちゃな欲望の現れなのかもしれない。
特に義務教育期間中、あの「みんな一緒に赤信号渡ろうぜ!」みたいな世界で下手したら頭数からも抜け落ちてしまう、一緒に赤信号に踏み出せない私たちにとって、そこに存在してもいいという安心感は努力しないと得られないものです。

急にぽえみーなこと言い出したんですが、実は事業ゼミでこっそりフィードバックしてくれるという素敵なシステムを提供してくださっていたので投稿した結果を見て、
「果たして今私が成そうとしていることは当事者が本当に望んでいることか?」を再考した次第。
”発達障害のある人、という当事者像が広いから難しいんだよね。。”はそろそろ言い訳な気がする。
近々支援職の方とお話しする機会をどうにか作ったので、その勇気を糧に今度は対抗相手になる先行事業者へのアポを検討しようかな。
そんなことを考えた連休頭でした。

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