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ぼくのエポックメイキングを回想する-1

 今、振り返って、あれがぼくのエポックメイキングだったんだ、と思うことを書いていきます。結構たくさんあるようだが、そうでもないかもしれない。というのも、ぼくは、あれこれ夢見る方だけど、歩いてきた道はそれほどはじけたものじゃないからです。
 でもって、この先どうなるのか、確たるものもなく、1回目です。

 ぼくは、昭和16年生まれです。西暦で、1941年。
 そう、戦争が始まった年です。「トラトラトラ」の年です。これが分かる人、少ないでしょうね。
 4人兄弟の末っ子。すぐ上の姉と、12も年が離れています。母親は出産可能なギリギリの年齢でした。
 ぼくが生まれたことで、世間様から大変な祝福を受けたと、後で両親から聞いたことがあります。
 というのは、1941年の1月、当時は近衛内閣でしたが、「産めよ育てよ国の為」というスローガン(国策標語)が閣議決定されました。「1家族に平均5児を目指し」「産児報国」を、などの言葉が並び、多産家族には表彰制度もあったというのです。
 その数年、出生率が下降気味だったそうですが、その理由を、当時の朝日新聞は「(若者の)西欧文明にむしばまれた個人主義、自由主義の都会的な性格がいけないのだ」などと論じています。
 でも、これって、明らかにまちがいです。男性は次々に兵役に徴集されたからです。
 このあたりの、国の人口増加策の雰囲気って、何か、現代を感じます。個人や夫婦と国のあり方や政策は、当時と今では目的はあきらかにちがうけれども、どこか同じ匂いがします。
 で、ぼくが生まれたのは1941年で、その前年は、1940年です。
 1940年は、皇紀2600年でした。「皇紀」は日本独自の紀年法です。日本には、それまで、というか今も使っている、元号があります。「大化」に始まって、「昭和」「平成」と続き、今「令和」です。
 ところが、明治の世になって、この元号のほかに、もう一つ作っちゃえ、それも純粋に日本特有のもの、つまり、日本は天皇を中心とする国だから、初代天皇である神武天皇が即位した年(紀元前660年)を元年とする、皇紀という紀年法を使うべし、と明治天皇がおっしゃっているよ、と天下に布告したのです。(明治5年 太政官布告)
 で、繰り返しますが、1940年は皇紀2600年にあたります。
 時は、1937年に宣戦布告なく始まった日中戦争、1939年ドイツ軍がポーランドに侵攻して第2次世界大戦が勃発、アジアでも日本軍がインドシナに進駐を開始し、アメリカ、イギリスと武力衝突は避けられない、という頃です。それぞれの国が、それぞれのスローガンのもとに、覇権を得んと、戦いを繰り広げている真っ只中が、皇紀2600年だったのです。
 よって、国を挙げて、皇紀2600年を祝え、その祝賀ムードを戦意高揚に役立てよ、と国中が沸き立っていました。
 この年、父と母が旅行したんです。
 行き先は橿原神宮(奈良県)と伊勢神宮。「ぜいたくは敵だ」「遊楽旅行は廃止」の時代でしたが、皇紀2600年の奉祝参拝旅行は、別格というか、国の推奨で、割引乗車券も発売されたといいます。神武天皇をお祀りする橿原神宮には1000万人が参拝したそうです。
 で、ずいぶんと長い前説となりましたが、その翌年、月満ちて、ぼくの誕生となったわけです。
 となると、わが心身はさぞかし光輝く神々しさに満ちあふれておるであろう、と思われますが、内も外も、裏も表も、どこから見てもフツーであります。 
 どうでもいいことですが、産まれた時、満潮だったそうです。

 ちなみに、昭和16年にできた歌は「船頭さん」です。「村の渡しの船頭さんは」って歌です。そのあとの歌詞に「今年六十のお爺さん」とあります。今、60歳の人に「お爺さん」って話しかけたらひっぱたかれます。
 この歌、一見、のんびりした農村の渡し船の情景と思われますが、2番の歌詞を見ると、昭和16年らしい緊迫感がただよった内容となっています。
  雨の降る日も 岸から岸へ
  ぬれて船こぐ お爺さん
  今日も渡しで お馬が通る
  あれは戦地へ 行くお馬
  ソレ ギッチラギッチラ ギッチラコ

 みなさまは、みなさまの生まれた年にできた歌、流行した歌を、ご存知ですか。
 そんな、自分が生まれた年の歌の話なんて、それがどうだって言うんだ、とおっしゃる方もいるでしょうが、でもでも、こういう、何の役にも立たないようなことに、洒落っ気というか、ゆとりというか、「あそび」というか、人生の本筋からちょっとそれたところに目をやるのもいいものです。
 ぼくたちの生きる道には路地裏がいっぱいあって、時にはそこいらに迷い込み、彷徨するのも面白く、意外にも「ああ、そうだったのか」と、今になって納得することも多々あります。
 本題から逸れてしまいましたが、ぼくのエポックメイキング第1回は、これまでといたします。

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