シリーズ映画(の一部)を回想する
10代の前半から20代の半ばまで、やたら映画を観ました。大袈裟じゃなく、食事と同じ、生活のごく一部でした。
で、お前は映画から何を得たか、と問われるかもしれないが、そんなことは一度も考えたことがない。家族と毎日を過ごす、と同然の存在でした。
数日前、テレビのBS放送で「日本俠客伝」をやってました。懐かしかったです。
終わった後、そういえば、いろんなシリーズ物の映画があったなあ、と思い起こしました。邦画、洋画ともにやたら作られました。
そんな中で、シリーズの全作品を観た、と確信をもっていえる映画はー。
ここでは邦画に限定、一応5作品以上で、1950年代から70年代あたりに限定したシリーズ物を思い出してみたら、これが、ある、ある、あるのです。
たとえば、
駅前シリーズ(森繁久彌)24作
社長シリーズ(森繁久彌)23作
座頭市(勝新太郎)26作
「日本一」シリーズ(植木等」10作
眠狂四郎(市川雷蔵)12作
悪名(勝新太郎)16作
兵隊やくざ(勝新太郎)9作
若大将シリーズ(加山雄三)18作
旗本退屈男(市川歌右衛門)19作
いれずみ判官(片岡千恵蔵)18作
新諸国物語・笛吹童子・紅孔雀(中村錦之助)8作
昭和殘侠伝(高倉健)9作
日本俠客伝(高倉健)11作
網走番外地(高倉健)18作
銭形平次捕物控(長谷川一夫)17作
若さま侍捕物帖(大川橋蔵)6作
新吾十番勝負(大川橋蔵)5作
快傑黒頭巾(大友柳太郎)9作
右門捕物帖(大友柳太郎)7作
などなどです。
ぼくは、上記のシリーズの全作品を観ています。が、ほかにも「ホントに全作品を観たか」と問われると自信がないものも多数あります。作品数の多さと、似たり寄ったりの内容で、十分な自信がないのです。ですから、多分相当もれていると思います。
シリーズ物を製作するということは、映画各社は柳の下にはドジョウがずいぶんたくさんいると考えたのでしょう。でも、この安易さが、その後の映画衰退にもつながっていくのです。
そのほかの、まちがいなく全作品をみた映画のうち、特に心に残る作品といえば…。
「月光仮面」(映画版)第二東映 6作
第1作は、1958年7月30日。ぼくの17歳の誕生日でした。だからといって、どうということもないことですが、あえていえば、大学受験の前々年だったということです。主演は大村文武。モノクロで、1時間ほどの作品です。はっきりいって、お子様向きです。最終作が作られたのが1959年8月です。「月光仮面」といえば、テレビ版の方が知られています。大瀬康一主演の方です。テレビ草創期のドラマとして、熱狂的に子どもたちに迎えられました。面白いのは、テレビ版の開始は1958年2月、最終回は1959年7月。つまり、映画、テレビがほとんど同時進行していることです。原作者川内康範によると、正義の味方、月光仮面は月光菩薩をイメージしているとか。モットーは「憎むな、殺すな、赦しましょう」。どんな悪人も絶対に殺さずに、懲らしめました。ほとんど観客のいなかった映画館で(そのころわが町では、小学生の映画観覧は禁じられていました)、「月光仮面」をボーッと眺めていた受験生の自分が恥ずかしいと思ったかというと、そういうことは一切考えませんでした。受験体制に抗して、という考えもなかったです。これ、ホントです。
「二等兵物語」 松竹 10作
1955年~61年に作られました。主演は伴淳三郎と花菱アチャコ、後に三木のり平も。お話は終戦末期。中年親父の伴淳(町の発明家)とアチャコ(靴修理業)にも召集令状が来ます。この凸凹初年兵の兵営生活が、あるときはドタバタ調に、あるときは人情劇風に展開します。上官の理不尽な暴行やいじめ、物資の横領や隠匿などのシーンも描かれます。映画は、1作目の最後で伴淳にこう語らせます。「いつまでも平和がつづく機械を作るのだ」。いやいや、何ともすごいセリフです。ぼくがこの映画を観たのは10歳でしたが、この言葉の深さは映画館では十分には理解できませんでした。が、脳みそのどこかに居着いてしまったようで、戦争が語られるとき、かならずといっていいくらいに思い出すのです。その後、苛酷で悲惨な戦争を描いた映画は数限りなく観ましたが、ぼくには「二等兵物語」が最高の反戦映画なのです。ただ、8作目以降の映画は、乾いた怒りに終始して、殺伐としたシーンが多くなりました。戦争を描くことの難しさを感じました。
「男はつらいよ」 松竹 48作
ご存知、「寅さん」。ご存知、渥美清。ご存知、山田洋次。ぼくは「寅さん」全48作を、全部映画館で観ました。これって、スゴイことなのか?
フツウのことなのか? 40作あたりからガラガラの客席で、一度だけ、ぼく一人のこともありました。大分市の映画館で、です。映画が、ごく一部のヒット作か、アニメ作品が中心となり、ぼくが「こうあって欲しい」という「映画」が消えていく時期でした。第1作「男はつらいよ」が公開されたのが、は1969(昭和44)年です。観た後、「よっ、寅さん。面白かったぜ」といえたのは、「おいちゃん」が森川信の8作まで、だったような気がします。それからの寅さんは、どこか知的、どこかヒーローになって、ぼくの手が届かない存在になってしまいました。でも、そういいながら、17作「寅次郎夕焼け小焼け」(マドンナは芸者ぼたんの大地喜和子)は一番好きな作品です。日本画家の大家(宇野重吉)と寅さんが、画家の故郷(兵庫県龍野)で再会するお話です。ぼくは、寅さんと一番相性がいいのは、ぼたんであると本気で思っています。ふたりが所帯をもっていたら、「寅さん」映画もずいぶんちがった展開になったでしょう。19作目の、愛媛県大洲市を舞台にした「寅次郎と殿様」も面白かった。殿様は嵐寛壽郎、マドンナは真野響子でした。一番笑ったのは32作「口笛を吹く寅次郎」(マドンナは竹下景子)。舞台は岡山県高梁。寅さんが、二日酔いの住職(松村達雄)に代わって、博の父親の三回忌に僧侶姿で現れ、お経を読み、お説教をする場面です。その時のさくらの表情が忘れられません。
こういうお話をいたしておると、「どうにもとまらない」状態になります。ぼく以外の皆さまには、さぞ退屈なことでしょう。
ということで、このあたりで「終」、または「完」、または「THE END」、または「FIN」といたしましょう。
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