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『寝煙草の危険』 マリアーナ・エンリケス 著 宮崎真紀 訳 感想

スペイン語圏のホラー小説と聞いて読んでみたのですが、昨年読んだ『ペトロ・パラモ』を連想させるところがあった
湿度の高い雰囲気や、死者が隣人としてわりとそばにいることとか、それを特に苦にしない(話によってはする)乾いた語り口とか
乾湿の緩急の調和が気持ち良く、しかし起きてることはかなり気持ち悪い、でもそれが面白い短編集でした
各話の感想を簡単に書きます


『ちっちゃな天使を掘り返す』

幼くして亡くなった祖母の妹にあたる亡霊に憑きまとわれている女性の話
大叔母にあたる赤子は実態がある幽霊で腐肉が落ちたりもするが、見える人と見えない人がいるようで、それが奇妙
女性の幼少期の庭での泥遊びの場面が、すごく荒っぽくて生き生きしていて良かった
赤子の亡霊はストレスが過多な女性の妄想という読み方もできそう
『ブリジット・ジョーンズの日記』みたいなアレ

『湧水池の聖母』

とても邪悪で訳が分からないが、まだ十代の頃の都合のよい恋愛の妄想や性欲をもて余す感じはすごくよくわかる でも経血を使った呪術は不衛生だからやめろ、『ミッドサマー』じゃないか
そんな具合に語り手の側の女子どもも、喰い殺された奴らとどっこいどっこいの感じの悪さだったので、まとめて喰い殺されてもいいと思った
スカっとするホラーショート動画みたいな幕切れと、ざまあみろな展開ではある
怪談として日本で通じる定番感があるのが面白い
日本が舞台でもまったく違和感がない展開に読めた

『ショッピングカート』

町中で排便をした黒人のホームレスの老人に対して、暴力や罵倒を行ったり軽蔑する眼差しを向けた、とある街の1ブロックの住人たちに次々と不幸が襲い誰も彼もが破産して最低限のインフラも維持できず、その区画だけ治安が最悪化する話
題名はホームレスの人が押していたおそらく唯一の財産を載せたカートのことだけど、それにしてもこれがホームレスからの報復による呪いなのだしたらあまりにもやり過ぎではないだろうか
だけど、元々のこの区画の住人はろくな書かれ方をされておらず、酷い目に遭ったところで(こいつは面白れえ)って読めてしまう
社会から見捨てられる恐怖や絶望を想い知れ! という怨みを持つ側がやりたいことを徹底的にやった結果だとしたら、胸のすく想いもする
でも、最後の母の焼いていた肉ってどういう事なのか、というかどちらの物なのか分からなかった
煙が正面の家のベランダに届く ということは、焼かれたフアンチョが家に帰って行ったということ?
それとも焼かれたホームレスが煙化してフアンチョの家に直接的な報復に出掛けたということ?
お母さんはくそったれの年寄りに手を貸さざるを得なくなったという解釈でいいんだろうか

『井戸』

家族総出である場所に旅行をした後に、とてつもない怖がりになってしまった女の子が、その解決法を見出だすことも出来ずに項垂れるまでの話
辛い、とんでもなく
なに一つ良いことが起きない上に手酷い裏切りを隠蔽されていたことを知っても何も出来ない、死を選ぶことも出来ない、狂気に陥って朽ちてゆくまでどれほどの年月がかかるのだろう
恐怖する女の子の幼少の頃の怖いものを羅列する箇所にすごく共感しただけによけいに辛い話だった

『悲しみの大通り』

スペインのバルセロナのとある地区に住む友人の家に旅行に来た女性が、その地区にまとわりつく悪臭に鼻に皺を寄せている そして徐々にこの地区を覆う呪いを知る話
『ショッピングカート』を連想させる部分もありつつ(排便や死者の残り香など)目につく実害は無いので妄想と呼べなくもない話、ちょっとパンチがないかも

『展望塔』

とある保養地の宿泊施設に住む亡霊の一人称で進む話
亡霊が取り憑いて悪さをしたい相手を探しているのかと思ったら、より踏み込んだ利用を望んでいる
プロデュースとプロファイルの能力が巧みな亡霊による、さらっとした読み心地の幽霊話

『どこにあるの、心臓』

幼少期の頃には物語の中の病を得ている人の描写に溺れるように過ごし、長じて人間の心臓の鼓動の音に性的な興奮を得るようになった人物が相性ばっちりの病人に巡りあってめちゃくちゃ愛し合ってる話
フェティシズムが高じるあまりに社会不適合者になってしまう人っていいよね

『肉』

おそらく最もセンセーショナルな派手な内容の話
心酔するロックスターが若くして亡くなり、その墓地を掘り返して彼の腐肉を食べたバンギャルちゃんの物語だけど、個人個人が何を考えていたのかという描写はせずに、その行為が社会に与えた影響やそれに呼応する同類の子達の反応を描くごく短い話
亡霊などよりも“現実でも起きてもおかしくない事件”感が強いので、面白いけど、いい意味の胸くそ悪い話であった 

『誕生会でも洗礼式でもなく』

顧客の要望に従ってビデオ撮影をする人物とその女友達が、悪魔憑きのような症状を示す女の子の模様を保護者からの要請により、治療のための撮影をする話
ビデオ撮影をする彼は人の欲望の実現に手を貸しつつ、その楽しみのお裾分けを受けるような気持ちで楽しんでいたのだと思う いい性格してる
だから被写体と近く接して、思わず自分の欲望がビデオに写り込んでしまったことに居たたまれなくなったのだと思う 女の子も撮影者の彼も、きっとそのうち飽きて気にも留めなくなるなのではないか

『戻ってくる子どもたち』

行方不明になった赤ちゃんや子どもなどの記録をまとめている寂れた部署に勤めている女性の視点から語られる、失踪時のそのままの姿で、あるいは死亡した子どもが亡くなる直前の姿で戻ってくる子どもたちの話
子どもたちの帰還の現象が始まるまでに描写される語り手の生活ぶりと特定の失踪した少女への執着心が面白い 帰還する死者というモチーフの作品は世にあまたあるけれど、かなりの救いのない話に仕上がっている再会の喜びや甘やかさなんかまるでない

『寝煙草の危険』

吸っていた寝煙草の火で焼死した老婆の話からはじまり、冷凍しておいた鳥のミラノ風カツレツの解凍に四苦八苦して、ようやく焼いたオーブンではガス漏れはするしカツレツは酷い味だった…と愚痴りだして、ちょっとだけマスターベーションをしたり、寝煙草の燠火でシーツを燃やす火遊びをしたり、寄ってくる蛾を追いたてたり、歯茎からの出血や湿疹などの身体の不調にうんざりしたりする、夜中に寝付けなくてわたわたしてるぼっち文学って感じですごく普遍的な話に読めた というかめっちゃ共感した

『わたしたちが死者と話していた時』

ウィジャボード(海外版のこっくりさんのような、死者と交流する文字盤)で身近な失踪人を探そうとする女の子たちの話…だけど『湧水池の女神』の女子グループとはまた別方向でイライラする子達であった
割りを食った形になる子が何か悪いことをしたとは思えず、来訪者の“気に障った”から害してくるのって悪辣すぎる
でもティーンの頃ってこっくりさんとかやりたがるよね…ろくなことにならないのに
そしてやっぱり、日本の怪談に通じる話の気配も感じた

ところで、ラテンアメリカ文学と呼ばれている作品は『ペトロ・パラモ』とボルヘスの『伝奇集』しか読めてないのですが、“スペイン語圏の小説”と“ラテンアメリカ文学”ってどう違いがあるのだろう
後者は前者の中の1ジャンルになるのか、それとも二つは隣り合った別の体系にあたるのだろうか

あと、装丁がすばらしく美しい本です
昆虫の中でも蛾がだいすきなので、箱入りの状態で見た時の覗く蛾の黒目の愛らしさがたまらない
日本での海外ホラー小説ランキングで1位となった作品だそうですが、装丁の美しさに惑わされて手に取って、その内容のおぞましさと儚さのギャップに参っちゃって投票されたのかなあなんて、想像しました

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