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note一日目、noteを誰に向けて書くのか? そもそもOutputレベルが低いんだから、そんなこと考えてたら書けない。とにかく書いてみるのは大事。

要するに、書くために書く。手段の目的化。でも、当面はそれでいい。公開版Evernote(著作権と秘匿情報にだけは注意しよう)ぐらいの感覚で。ゆくゆくはブロガーになりたいけれど、目標を10年後とかにしないと、まわりと比較して挫けそうだからそうしてる。これまで二桁年で仕事以外では書いてきてないし、知識もゼロなので、noteを書いている自分以外の全note民が自分よりも秀でていると思ってしまうぐらいのゴミさを自覚している。なので、ここ(2024年猫の日)から10年でいいと、本気で思っている。

それでも文末どうしょー?とかしょーもないことで悩んだけど、それって、人にどう見られるかを考えて、自分を大きく見せようとしてるだけなんだろう。だって、自分の記事が一番ゴミなんだから気にしなくていいはずなんだ。なので、見られていることは極力考えない。鍵のない家ぐらいの感覚で書いていきたい。方向性定まってないんだからゴミ記事で当然だし、文末は「です」とか「である」とか、本来はマジで(「マジで」という知性の低いとされる言葉を使うことさえ)どうでもいいはず。自分のブランディングなんて、書けて方向性定まってからやればいいし。うん、やっぱり、とにかく思いついたことを何でも書いていこう。

そんなこんなでnote生活一日目が終わろうとしている。やる前は全然書けないやろなぁーと思っていたし、最初の記事は仕事でたまたま調べたAWSのTipsだったので、仕事に毛が生えたような作業で何やってんだかなぁ、、これじゃ100年経ってもブロガーになんてなれないやろなぁ〜と思いながら自信喪失して、いつも通り仕事をゆるりゆるりとやり過ごしながら半日過ごした。でも 、いざ度胸出して自由にやってみると、noteのプロフィールアイコン設定したってだけでも記事になるんだなぁと感じる。なんで書けたのか? 適当に引用してリンク貼っただけだとなんだか殺風景で味気なかったし、文書を整えたくなる衝動に駆られた。でも、これって一体なんなんだろう。ゴミ記事でいいやって思っていた筈なのに矛盾したことをしていた。そこで気付いた。もしかしたら、これこそが創作活動の原点であり、面白さなのかもしれないなって。誰に向けて書いてるわけでもないけれど、自分の作ったものがそこにあって公開されてるってだけで、何かを残せている感覚がある。残すからにはもっとこうしたいなとか、自然と考えている。でもまだまだ、人からバカにされたら恥ずかしいとか考えてしまうので雑念がいっぱいある。それでも、書くのってなんだか楽しいかも。40代半ばのオッサンなのに、仕事で顧客等に向けて書く文章では全く味わえなかった、10代の頃のようなフレッシュな気持ちを少しだけ感じる。 こうやって自由に書くうちに、色んなことが気にならなくなるといいなって思えてきている。これからも、本当に純粋な気持ちで楽しく取り組んで行きたい。

そして、もしもこの先、万が一、自分がブログで成功することがあったら、最初の日に書いたこの記事を思い出して、初心に返ったりするのかなぁなんて。夢物語でもいいよね。別に誰に向けて書くわけでもないしね。自分で楽しんだもの勝ちだなって思う。


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