見出し画像

マンガレビュー『映像研には手を出すな』の巻

※この記事はマンガ新聞に掲載された記事に加筆訂正を加えたものです。

『新しい表現』というのはきっとこういう事を指して言うんだろう。
人は新しい感動に出会うとその才能にただただ震えひれ伏し感動に打ち震える、それに逆らうこと抗うことは不可能なのである。

映像研には手を出すな!』はマンガという表現方法というある意味完成された表現方法の中で作り手側、読者側に新しい景色を見せてくれる。
大げさに言うと


『マンガを創り直している』


どうやらそういうことらしい。

本作『映像研には手を出すな!』は「月刊!スピリッツ」(小学館)で連載されている、大童澄瞳センセイによる作品だ。

主人公である三人の少女たちが作り出す作品はマンガという翼を手に入れてどこまでも大きく羽ばたいていく。その“最強”のカッコ良さは圧倒的で破壊力抜群で見るものに感動すら与えてくれる。

物語の核になっていく主人公は三人の女子高生。

作品を作るために何より大事なのは“設定が命”という浅草みどり。
カリスマ読者モデルだけど本当はアニメーターになりたい水崎ツバメ。
お金儲けに己の総てをかけて命を燃やす金森さやか。

彼女たちは広大な学園を根城にしながら作品を創りだす。

それはありとあらゆるものを駆使しながら時に大袈裟に時に繊細に。

そこに“次元”だったり“現実や空想世界”なんて小さい事は全く意味をなさない、いや本当は意味はあるのだけどそれを突破してしまう勢いだったり熱量が彼女たちが生み出す作品には満ちている。

そこにあるのは自分たちの“好き”を現実にしていくという三人の情熱だ。
それを産み出すのはその深すぎる造詣や細かすぎる設定描写。なにより誰にも負けないという気持ちである。
そんな彼女たちが作り出すセカイはちょっとずつ学園に広がっていく。確かな熱量をもって。

この作品の一番のポイントは、本来“二次元”でしか展開されることのなかったマンガの表現方法を大きく逸脱した吹き出しの表現方法だ。
奥行きを使う、角度を変える、今までに見たこともなかった表現方法は読者への新しいマンガの読み方、表現の仕方を教えてくれたちょっとしたマンガの“発明”でありマンガという表現手段への“挑戦”だった。

そしてこの発明はきっと作者の心の声なのだろう、こだわること、誰も見たことのない世界や景色を読者に届けたい。
もっと言うとこれを、今、どうしても、描きたいんだという作者のメッセージはお話の中で、絵の一つ一つで設定で、そしてコマ割りからセリフの一つ一つにまでそんな作者のパッションが散りばめられている。

それはお話しの中で出てくる水崎ツバメのこのセリフがこの作品のすべてを物語っている

『チェーンソーの振動が観たくて、死にかかっている人が居るかもしれない
私はチェーンソーの刃が跳ねる様子を観たいし、そのこだわりで私は生き延びる。大半の人が細部を見なくても、私は私を救わなきゃいけないんだ。動きの一つ一つに感動する人に、私はここにいるって、言わなくちゃいけないんだ。』


画像1

誰にも理解されなくても、誰も見てくれなくても、それでも作りたい、どこかにいる誰かに届いてほしい。
それこそがクリエイターの本分だしそれが届いた時の言葉やリアクションこそが至福の時なのだろう。

画像2

クリエイターはそんな言葉で救われている。作家もそんな反応で救われる。
彼女たちはまだ若い、これから色んな苦難や現実がやってくるけれど、どんな時でも信じあって支えあえる仲間が居るということは幸せなことである。

映像研はまだはじまったばかりの物語。

物語の中の彼女達がどこへ行くのか、そしてその世界が僕達に何を見せてくれるのか?楽しみは尽きない。

彼女たちが織り成し紡ぎだす、新しいマンガの地平線の果てはまだまだ終わりが見えないからこそ面白いのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?