見出し画像

1流(留)の1浪大学生現る!!!

記事を読んでいただきありがとうございます。
拙者の名前はShimonです。よろしくお願いいたします。<(_ _)>

まずは、拙者がどのような経緯で、専門外のプログラミングに興味を持ったかを説明します。

理由はいたって単純

プログラミングってなんかかっこよくない????

っと高校3年生の拙者は考えておりました。本当にあほw

さて、次は拙者の生い立ちについて紹介します。
父上・母上・兄上・ご妹・拙者の5人家族で、アパートに住んでいました。

ピカピカの小学生

小学校2年生からスバルという塾に通い、中学受験をする予定だったのですが、バスケにはまり中学校受験を放棄…..おそらくここで勉強が嫌いになった気がする…..

非常に恥ずかしい….中学生

中学校の頃は見事に厨二病という稀な病気にかかり、学校にひそかに反抗し、謎に不良のようなものに憧れていました……(今考えると非常に恥ずかしい….)
勉強はほとんどしなくても、平均より少しいい成績が出てたので
「あれ?拙者もしかして天才なんじゃね??」
っと恥ずかしながら慢心しておりました…….
しかし、この慢心は高校まで続きます。

慢心にあふれた高校生

拙者は高校の時は、
朝は朝課外なるものを駐輪場でサボり
昼の授業は寝て
夕方の部活の弓道か応援練習をして帰る
といういかにも勉強をしない子供として生活していました。
この頃に作り上げていたのは"過去の栄光"による己への慢心でした。
"過去の栄光"ってなんぞや?前述した「平均より少しいい成績」のことか?っとみなさんは思われるでしょう。

違います!!

しかし、みなさんが分からないのも当然です。だって書いてないもんw
何を片手に己に過剰な自信を持ち、イきり散らしていたのかというと….
話は中学校の頃に振り返ります。
中学で最初に受けたテストでノー勉で、理科は学年3位(他の科目は忘れた)、全科目の順位10位という成績を取ったことが異常な自身へとつながってしました。
この結果により拙者はおろかなことに6年間「まぁ、拙者はやればできるし….」っと思い続けてしまったのです。
いざ3年生になると実感しました。
「まっっっっっっっっっったく分からん」
そんなことを感じてあきらめ、ぼーっと生きた結果、もちろん落ちました。
そして、拙者の浪人編が始まります。

おっす拙者は浪人生

大学を落ちた後拙者は考えておりました。
「長崎に住んでメリーランド州立大学に入ろう!!」っと….
正直今でも入りたかったと思っていますが、これは父上からの一喝により止められてしまいました。
そして、拙者は浪人生となりました。
久しぶりにたくさん文章を書いて疲れてきたのでざっくり説明します。
8月まではたらたらとやり続け、9月から頑張ってなんとか偏差値35くらいから50くらいの公立の大学に合格できました。
この頃に己の無能さを自覚し、少し頑張れました。
しかし、これと引き換えに自分への自信が消失しました。

いざ大学へ!!

大学生活でキラキラした生活や楽しい恋愛を!!!っと思っていましたが、大学はそんなに楽しいところではありませんでした。
拙者の家庭はあまりお金がなく、3人兄弟のため奨学金を借りて家賃と学費を払い、生活費と光熱費は己で稼ぐ生活をしております。前述したキラキラした生活や楽しい恋愛なんてものはお金があってこそ成り立つもので、大学と生活費を稼ぐアルバイトと家事をしながらの生活では無理でした。

大学1年次は、成績の良い友人に恵まれわからないところを聞いたりしてなんとかついて行け……なかったですね。友達にわからないことを口実に写させてもらう事が多く、己が何を学ぶために大学に来ているのか分からなくなっていました。そしてだらだらと2年生になります。

大学2年次は、さらに勉強が難しくなり前期の時点で、ついについて行けなくなりました。毎日毎日意味の分からない問題を意味の分からないまま写し続ける毎日に飽き飽きし、学校はサボるようになり、バイトとちょこちょこ学校に行く毎日になりました。この頃は若干やんでたなぁ….
そんな時、高校生の時に一瞬憧れていた、プログラマーなるものに触れてみようと思いました。今考えればただの現実逃避ですが、気力が抜け落ちていた自分にはいい薬になりました。
この時に初めてコードを書いてみました。

さて、ここで問題です!
拙者は何の言語に触れてみたでしょう??

正解は……「VBA」でした!
VBAとはエクセルの作業を効率化するための、マクロと呼ばれるものです。

自力で何とかレポート指定の仕様にした表やグラフを入力したらボタン一つで生成してくれるコードを作れました!動いてくれた時の達成感は今でも忘れません。

実際に自力で組んだVBA
実際に自力で組んだVBA

っとまぁ、プログラミングを楽しんでいたのですが、ここで悲劇が…..
前期の単位が半分もない!!!!
そう、拙者は死にかけていたのです。この時後期も頑張ろうとしますが、結局単位が3単位足りず留年してしまいました。

そして大学生2年生2週目に突入です。
拙者には仲いい友達が何人かいます。その中でもとりわけ仲のいいMr.Kがいました。本当に最近の出来事なのですが、Mr.Kが大きなボランティアに行き、ある人の話を聞かせてくれました。
その彼は日本に住みながらアメリカの企業にプログラマーとして就職し、リモートで働いているそうなのです。
スーパー引きこもりの拙者は、感化されるとともに、プログラミング楽しかったなという気持ちが戻ってきました。
それで、またプログラミングをしてみたいというわけです。

人生は一回きりなので
後悔しないように生きたい


をモットーにこれから頑張っていきたいと思いますので、これからの記事も読んでくださるとうれしいです。
ここまで、拙い文章でも呼んでくれたみなさん、ありがとうございました。

何か進捗があり次第、記事を書くのでよろしくお願いします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?