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凍結精子をめぐる最高裁判断について

美山みどり

また最高裁が国民感情からズレた、ヘンな判断を下してしまいました。

私たちの抱える性同一性障害という問題も、広く見れば「性と生殖をめぐる医療」から発する問題の一つだともいえましょう。性ホルモンと外科手術によって、ある程度条件が揃えば見た目上、生物学的性別とは逆の性別として社会的生活が営めるようになった、という医学的「進歩」から、私たちの問題が「社会問題」になってきた、という側面はあるのです。

科学の進歩によって提供されるものが、そのまま社会にとって有益だとするのは、楽観が過ぎるというものでしょう。科学は道具に過ぎません。「できるようになったから認めるべきだ」と短絡した判断をするのは、逆に科学をないがしろにするものだともいえるのかもしれません。

この文書は最高裁での意外な判決という事態を受けて、私美山みどり個人の見解を示しています。この中で提示される特例法戸籍変更取消事由を巡る提案は、美山個人のものであり、あくまで議論のたたき台として提示しただけのものです。もちろん会のメンバーにはまず読んでいただいておりますが、あくまで美山個人の責任の発言としてお読みください。


最高裁の判断に当事者は怒っている

性同一性障害特例法を使って女性に戸籍変更をした性別移行者が、凍結精子を使って女性との間に子供を作ったという背景がこの事件にあります。しかし、この裁判では、その子どもの側からの強制認知訴訟という形態の裁判になっています。ややこしいですね、形式的には子どもが原告、性別移行者が被告の格好の裁判になります。

もちろん遺伝的にはこの子供は性別移行者の「子」であることは疑いありません。ならば、「(今は法的には女性である)性別移行者の子」として認知されるべきだ….そういう議論はありえますし、最高裁は子の福祉を考慮して、そういう判断を下したわけです。

当事者はこの判断を歓迎したでしょうか?

こんな論調でこの最高裁の判断を批判する声が強いのです。

特にこの件は、経緯を見ますと(NHKの報道は時系列がやや誤解を及ぼしそうですし、一読すると当事者からの認知手続きが認められなかったことを訴えたかのように見えます…)

  1. 2018年、性別適合手術前に凍結保存した精子を使い、長女が生まれた

  2. その後、同年2018年に、戸籍性別を女性に変更した

  3. 2020年に、凍結精子を使って、二女が生まれた

このように戸籍性別変更のあと先によって、最高裁以前の判決では「長女出生時には戸籍上は男性だから、長女の認知を認める。しかし戸籍上女性になった後での二女の認知は認めない(東京高裁)」と分かれる結果になっていた模様です。

この経緯を見て、いい印象を持つ人は少ないのではないでしょうか?

もちろん子(その代理人である母親)が起こした裁判であるのだから、遺伝上の父である性別移行者の立場について憶測をめぐらして独断で述べるのには慎重ではあるべきではあります。しかし、この裁判では、

政治的なアピールのために、わざと問題になるような「ややこしいケース」を作り上げて裁判した

こんな疑いをかける人も多いのではないのでしょうか。最高裁の判断でも「子の福祉」を重視して認知を認める判断になったわけですが、逆に言えば「政治アピールの盾に子供を利用した」「特例法をオモチャにしている」ように見えてしまうこと、これが世論から歓迎されない一番の原因であるようにも感じます。

さらに言えば、とくに性別適合手術を受けて戸籍性別を変更した性同一性障害当事者の想いとしては、「自分が本当にイヤで手術して除去した性的機能を、わざわざ凍結保存してまで行使する」という行為自体への違和感・不信感があります。

美山個人としては「子どもを作りたい」と願ったことはまったくありません、また、自分に子どもを作る能力があると思ったこともありませんでした。

逆にジェンダー医療を受ける前に、精液の検査を受けて医学的に「妊娠させる能力がない」ことを確認し、やっぱり自分は男性としてはオカシいことが確認されて安心し、これで心置きなく性別移行できることにほっとした、という思い出まであります。もちろんこれは私個人の想いであり、

自分は性同一性障害だが、自分の血がつながった子どもが欲しい!

と主張する方がおられることは見知っております。一日診断など性同一性障害の診断書を「買う」脱法行為が蔓延している状況にあって、そう言う方のご主張を私は否定するつもりはありませんが、ただその方の性同一性障害の主張をあまり信用はしていない、というのが正直な気持ちです。

「未成年の子なし」要件を空文化?

またこの判断には大きな問題も、特例法に関して起こしまいます。

 十八歳以上であること。
 現に婚姻をしていないこと。
 現に未成年の子がいないこと。
 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律 第三条

となっており、確かにこの性別移行者は凍結精子の存在とそれを使った子作りを隠して「戸籍変更の請求の時点で、(認知した)未成年の子はいない」という申告をして、戸籍性別の変更が認められたことになります。その後で、認知訴訟の結果、東京高裁で容認されましたから、逆に言えば長女に関しては存在を隠して「家裁を欺いて戸籍性別変更を申請した」ということになります。

これは法の前提となる「クリーンハンズ原則」を犯したものです。特例法の趣旨をないがしろにして、法を欺く申請を当事者がしているわけです。このような「明らかに当事者側に瑕疵がある」請求を容認したことに、当事者としては

性同一性障害を盾にして、自分勝手なことをするならば、今まで認められてきた社会的な評判も大きく傷つき、世論から冷たい目で見られるだけだ

という危機感さえも抱く状況になりつつあるのです。裏口から法を無視し、明文で定められた「未成年の子がいないこと」の要件を嘲笑うような行為は、けして利益に繋がらないと私たちは考えます。無法な行為には「ひどいしっぺ返しが来る!」と恐怖さえ感じます。

「凍結精子」による親子関係は認めなければならないか?

特例法とは別にも、この凍結精子を始めとする「先進的な生殖医療」には、さまざまな法的問題があり、何度も問題になっていることはご存知ですか?

実は2006年9月4日に、最高裁は「凍結精子による夫の死後生まれた子供の認知を認めない」判断を出しています。

この凍結精子の問題は、さまざまな身分上の問題を引き起こします。それに対して、今まで法的な対応が泥縄式にされてきたことは否めません。まさに、

医学の進歩が問題を引き起こし、社会的に対立する問題になる

ことの別な現われであると言えるでしょう。凍結精子を使った遺伝的な親子関係を法的にそのまま認めるのならば、凍結精子を盗んで妊娠した子の権利を主張して遺産を請求するような、明らかな詐欺行為も可能になってしまいます。医療と法、どこで線引きするのか、という大問題を「医療の進歩」が引き起こしてもいるのです。

「医学的に可能だから、それを社会は受け入れるべきだ」

こう主張するのは、科学の傲慢というものではないのでしょうか?

たしかに問題の性別移行者は親であることは間違いがないのです。だから、子にとっては親子関係があると定まることは「権利」と言えるのです。ならば養育してもらう権利や相続権は、親子関係が確定しなければ不利益になります。

しかし、裁判所を騙して「男性→女性への性別取り扱いの変更」をしてしまった、この親はどうなのでしょう。もちろん「子の利益」は尊重されなくてはなりませんが、そのために性別変更を申請した親の欺瞞行為が明るみにでるのであれば、「性的少数者への理解」を増進するのではなくて、まったく世論の同情を得られるものではないようにも感じます。

もはや「性同一性障害ならば、女性への欲望がないから、性加害の可能性はない」とお気楽に信じる国民は少数になっていることでしょう。明らかになった女装者の性加害事件は数多いわけですし、この性別移行者にしても「女性との間に子供を作りたい」という欲望が強くあったからこそ、この裁判の結果になったわけです。

もちろん「マイノリティは道徳的に正しい聖者である」などという神話を信じる必要はありません。しかし、あまりに法を悪用するかのような振る舞いが増えれば、今までのような「世論の好意」は期待できなくなります。それどころか、

今の私たち性同一性障害当事者を巡る世論の眼は厳しいものに変化した、それも昨年の2つの最高裁の判断(※) によって厳しくなった

と私たちは去年から実感してきています。
まさに最高裁判事各位の猛省を促したいのです。

「性別変更取消規定」がもしあったら?

しかし、最高裁の判決が出てしまった、という事実は覆せません。

この件では「特例法の規定をすり抜ける」ことが白昼堂々となされていたことが明らかになったのです。ですから、逆に私たちはこのように提言します。

特例法による戸籍変更について取消規定を設ける

これは、手術要件の廃止などの「条件を緩める」法改正には必須であり、また、「思い込みで性別変更してしまったが、後悔しているので元に戻したい」というニーズにも即したものだと考えます。手術要件がないのならば、医師による診断の重みは今までとは比較になりませんから、今は「医師であればだれでも書ける」診断書ではなく、家裁に提出する診断書には何らかの加重的な専門資格を求めることが必要になるでしょう。そしてこの医師の判断に不正がある場合には、その医師に対するペナルティも議論されるべきです。

たとえば、で考えてみましょう。これはこの文章の筆者である美山の試案に過ぎません。

以下の場合には、戸籍性別の変更を取り消す
一、移行後の性別を利用した性犯罪を犯した場合には、その裁判の確定をもって戸籍性別の変更を取り消す。
二、戸籍性別変更を申告した本人の取消申告による審判。診断に過失がある場合、戸籍変更を容認する診断を下した医師に対する、本人の損害賠償請求を妨げない。
三、性別変更条件について、診断にあたる医師を欺罔して性別変更の審判を得た場合。この場合、利害関係人による申し立てにより、取消の審判を行うことができる。

これのような戸籍性別変更の取消があった場合には、診断を行った医師に対する行政的な処分がなされることをその特別な資格を認めた法で別途規定すべきですし、悪質なケースでは本人及び医師への有印公文書偽造同行使の刑事罰も課されるべきです。取消と連動した民事刑事行政上の責任追及が、無責任な診断書発行を抑制できることになるでしょう。
今回の当事者(訴訟被告)の場合には、三の「医師を欺罔した」という疑いを持った利害関係者(たとえば、子の養育を押し付けられた「生みの母」)が、強制認知の上にさらに、性別変更の取り消しを要求する可能性も生じるでしょう。制度の悪用が裁判で明らかになったわけなのだから、利害関係者の判断によってはこの取消の審判の可能性もあるのではないでしょうか。

手術要件を廃止するのならば、このような規定が必要になると当事者として考えます。

実際、今までも戸籍性別を「思い込み」で変更してしまい、後悔した方が戸籍性別変更の取り消しを訴え、容認されたケースがあります。

このケースでは医師の診断が「誤診だった」と医師自らが認めるかたちで決着しています。

しかし変更後の生活に心身ともに支障が生じ、思い込みだと気付いた。昨年6月に取り消しを求めて家裁に申し立てをした。家裁は当初診断した医師の「客観的指標がない中、本人が誤って信じた内容で診断せざるを得ない」との意見書を基に誤診を認め、申立人が元の性別で日常生活を送っている点なども踏まえて変更を取り消した。

同記事より

この場合では医師自らが元患者の依頼に積極的に応じて、自らとしては不利益にしかならない「誤診」を積極的に認めたことで丸く収まったのですが、ここで医師が自らの責任を回避する挙に出ていたら、「錯誤」による取消判断は出なかったものと考えられます。法に明文で決まっていないことを実現するハードルは高いのです。

このような思いを抱える「脱トランス者」は水面下では一定数いるものと考えられます。取消規定は「戻したいけど、自業自得だから….」と思って諦めている当事者の救済にもつながるのです。

特例法改正論議は慎重に

立憲民主党案ではシンプルに手術要件を廃止することを要求しましたが、そんなことで片付く単純な問題ではないのです。

拙速ではない、しっかりとした議論が、とくに特例法改正については必要です。これはけして特例法の対象となる「特殊な人たち」の問題ではなく、広く社会に影響を及ぼし、すべての国民が利害関係者であるというべき問題なのです。また同時に、社会的な問題だけではなく、「世論の合意とはかけ離れて進歩する医療」の問題と、その医療によって実現可能なこと、また野放図な医療を規制する医療行政の問題も含めた、「大問題」なのです。

このように領域が多岐にわたり特別に難しく、合意形成にも時間がかかる問題を、単純な条文削除で対応することは不可能です。時間がかかっても、社会的な軋轢が少なくかつ当事者の利益を守る法律として、慎重に特例法改正を扱うことが国民すべての利益になる、と当事者の立場から訴えます。

ぜひ国民すべての身近な問題として、この特例法の問題を議論するようにしていきましょう。これが私たち性別移行者すべての利益につながることであると、私たちは確信しております。

以上

※ 参考

2023年7月 経産省トイレ裁判の最高裁判決 判例とニュース
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/191/092191_hanrei.pdf
https://www.sankei.com/article/20230711-2XY73MQSXJMGXA64JNPA7UIJUU/

2023年10月 性同一性障害特例法についての最高裁決定 判例とニュース
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/527/092527_hanrei.pdf
https://www.sankei.com/article/20231025-PHRZXWXMHBPZTB3MDTZENUM3CE/


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