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夕陽との往復書簡(創作)

→往路→

許された文明に常に認められるように、カヌーがゆるやかに流れていきます。カヌーとは、壊れかけたラジオから漏れるかすかな声に近い、声ではない声であり、あぶりだしでしか確認できない【滑り】を意味します。コウモリは私たちが予想するよりも善良な生きものだと信じます。

スローカーブを投げた後に、なんの変哲もないストレートを投げますが、それは緩急投法であり決して投手の手指の【滑り】ではありませんでした。失投とは違う、体感球速170kmのそれをスラッガーは易々とバックスクリーンに運びました。

フルスイングとは力の発現ではありません。
それは、砂時計の砂が全て【滑り】切る直前に、逆さまにすることであり、時間の流れは途切れないと主張する一派への小さい皮肉、あるいはJ-POPでした。
別言すれば、ゴール直前で逆走するマラソンランナーの所業です。逆走するアスリートにもその人なりの美学があるはずです。その砂時計を私は守りたい。

人々の足元には夕陽が流れ込んできます。
それを使って、人々はマーガレットをしたり、デンマークカクタスをしたり、そして、シクラメンをしたりもします。

地球は回る、このことを科学以外のコトバで説明したいのですよ。
分かってください。分かってくれますよね。
金のおもちゃはまだ、あるところのものではなくあらぬところのものであり続けており、カタツムリの歩みを全肯定する一派に私は手を貸すことにします。許されない文明があるとしても私は許しますよ。

先日頂いた「部室のような風味のきゅうりのぬか漬け」というフレーズが、右のこめかみの奥で小刻みにずっと揺れています。

それではまた。

(つづく、かも)

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