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【ジャーロ】評論・コラム ★全文公開中

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ミステリー誌「ジャーロ」より全文公開。 【note連載中の評論・コラム一覧】 日本ミステリー文学大賞の軌跡 新保博久⇔法月綸太郎 往復書簡「死体置場で待ち合わせ」 名作ミステリ… もっと読む
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#法月綸太郎

原典に忠実でないことへの不満と、英語と米語の違いへの悩み|新保博久⇔法月綸太郎・死体置場で待ち合わせ【第7回】

▼前回はこちら 【第十九信】 新保博久→法月綸太郎 /「藪の中」から「茶碗の中」の方へ 法月綸太郎さま  今回は、何からお話ししましょうか。  芥川龍之介も罹患したというスペイン風邪――病名に国や地域名を冠するのは、その土地への憎悪を煽りかねないのが困るところです。「トランプ前大統領は新型コロナウイルス感染症についてしつこく「中国ウイルス」と言い続けていたけれども、ならばまずはスペイン風邪を「アメリカ風邪」と訂正してからにしろよ、と言いたく」(『文豪と感染症 100年前

小泉八雲「茶碗の中」もまた、読後の想像を喚起させる……|新保博久⇔法月綸太郎・死体置場で待ち合わせ【第6回】

▼前回はこちら * * * 【第十六信】 法月綸太郎→新保博久 /「藪の中」から「茶碗の中」の方へ 新保博久さま  前回は夢野久作「瓶詰地獄」リスペクトで手紙の一部をスキップしましたが、ようやく第十三信の「暫定的結論」と第十五信の「改訂版」を拝読。「藪の中」の東京タトル商会版の英訳で、武弘がTakehikoになっていたという逸話がツボにはまったので、メインディッシュに取りかかる前に、福永武彦とバークリー『毒入りチョコレート事件』について少しだけ寄り道をしておきましょう

まずは芥川龍之介「藪の中」に分け入ってみると……|新保博久⇔法月綸太郎・死体置場で待ち合わせ【第5回】

▼前回はこちら * * * 【第十三信】 新保博久→法月綸太郎 藪をつついて謎を出す 法月綸太郎さま  今年もよろしくお願いします。  特殊設定ミステリと日常の謎――対照的なようでも実は同じコインの裏表にすぎないとは、第十二信で仰せの通りながら、しかし裏と表とでは正反対だと、強弁するのも野暮なこと。昨今の特殊設定の持て囃されぶりが、それ以前の日常の謎流行への反動ではないかと私が申したのも思いつきにすぎなくて、それほど信じているわけじゃないんです。  ところで、「昨

フーダニットとの共存、特殊設定との両立|新保博久⇔法月綸太郎・死体置場で待ち合わせ【第4回】

▼前回はこちら * * * 【第十信】 法月綸太郎→新保博久 ラスコーリニコフ・イン・USA 新保博久さま  第九信の冒頭に「心理試験」の被害者が「もう六十に近い老婆」「ということは、五十八、九歳」云々とありましたが、先月の半ば、私も誕生日を迎えて五十八歳になりました。ところが、よりによってその前日、入浴中に髪を洗っていたところ、左肩をいわして(痛めて)しまったのです。  いわゆる五十肩というやつで(アラ還なのに「五十肩」とはこれいかに?)、何年か前にも一度やってい

特殊設定ミステリを語りつつ、倒叙ミステリに立ち返る|新保博久⇔法月綸太郎・死体置場で待ち合わせ【第3回】

▼前回はこちら * * * 【第七信】 新保博久 →法月綸太郎 /特殊設定ミステリなんか怖くない 法月綸太郎さま  出版社の各賞のパーティが自粛されるようになってまだ三年足らずですが、往年の活況を思い出すと、ずいぶん久しい気がします。一昨年は関係者のみの贈賞式に縮小された日本推理作家協会賞・江戸川乱歩賞ながら昨年は、従来は協会員や出版関係者しか参加できなかったのに一般読者にも一部開放される形で行われたのに続いて、今年も十一月七日、同様の形で開催されるらしい。乱歩賞の最

都筑道夫とクリスティーとポーと倒叙ミステリ|新保博久⇔法月綸太郎・死体置場で待ち合わせ【第2回】

▼【第1回】はこちら * * * 【第四信】 法月綸太郎 →新保博久 /もう一人のメアリーの遁走 新保博久さま  都筑道夫氏の名前が出たところで、私も謝辞を記さなければなりません。『猫の舌に釘をうて』(徳間文庫)の解説は、新保さんがお書きになった「文庫コレクション〈大衆文学館〉」(講談社、一九九七年)や「都筑道夫コレクション《青春篇》」(光文社文庫、二〇〇三年)の解題をずいぶん参考にしましたし、八月に出る『誘拐作戦』(徳間文庫)の解説を執筆した際も、「爆烈お玉」のリラ

「モルグ街の殺人」|新保博久⇔法月綸太郎【新連載 第1回】死体置場で待ち合わせ

エドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人」* * * 【読者への公開状】 (エラリー・クイーンふうに) 新保博久  よく言われるようにドストエフスキーは優れた探偵小説家でもあるとして、水村美苗氏は「ふつうの探偵小説とちがって、なぜ『カラマーゾフの兄弟』は再読再々読が可能なのか」と自問自答し、自分なりの回答へと話を進めたことがある。  あ、『カラマーゾフの兄弟』の話をいま私はしたいわけではない。水村氏の意見がどういうものかは、辻邦生氏との往復書簡形式の文学談義エッセイ『手紙