自分が楽になるためにコミュニケーションをとる - 2023/12/19
なんのために日記を書くのかといえば、自分のことを好きになるためである。たしかそんなことが『さみにしい夜にはペンを持て』に書いてあったような、なかったような気がする。
自分はフリーランスのフロントエンドエンジニアなのだけれど、さいきん仕事でタスクが滞っていてしんどい時間を過ごしている。そもそもの原因は自分の見積もりが甘かったせい。ここでちゃんと自分のせいだと言えるのはえらい。
自分はフリーランスのフロントエンドエンジニアなのだけれど、さいきん仕事でタスクがキャパオーバーになるということが起きた。
会社員のころだったら、ぜんぶひとりで抱えて、残業して、徹夜して、期日までに終わらせてたと思う。PM に「タスク遅れてます」と報告しなくても、徹夜して遅れを取り返せば良い。バックエンドに「サーバ側の調査お願いします」と依頼しなくても、自分で調査すればいい。PM にタスクが遅れているといえば怒られるかもしれない、バックエンドに調査依頼すれば負担になって嫌われるかもしれない、そんなことを考えながら、全部自分ひとりで抱えて仕事をしていた。
器用貧乏だけが取り柄なのでひとりでなんとかできてしまっていた。小さい頃からそういう性質で、誰かに迷惑をかけるということがなぜか極端にできない。そのなぜかというのが、他人に嫌われることが怖いから。
器用貧乏で八方美人。それが自分の短所だと気づいたのは、わりと大人になってからだった。
真面目な性格だね、とよく言われてきた。でも自分が誰よりも不真面目だということを自分だけがよく判ってる。
他人に嫌われるのが怖いから、できるだけ他人と関わろうとしない。その結果「1 頼んだら 10 やってくれるね」とか「丁寧な仕事するね」とか言われる。「1 頼んだら 10 やってくれるね」は、コミュニケーションが発生するのが面倒だから、依頼されたことから派生するであろうタスクをあらかじめ全部やって渡していただけ。これだと一発でコミュニケーションが終わる。「丁寧な仕事するね」も似たようなもので、できるだけ話したくないので、伝えるべきことがちゃんと伝わるように図を入れたり、画像を編集したり、コメントを細かく書いたりして渡すようにしていただけ。それがプラスの方に評価されるからどんどん息苦しくなっていく。
フリーランスになってからそれをぜんぶやめた。
これまでコミュニケーションを取るのが嫌で、ぜんぶひとりで完結させようとして、自分で自分に負荷をかけまくっていた。無駄に神経質になって、無駄に時間を使って、無駄にストレスを溜めて、毎日がなにも楽しくなかった。だから自分に負荷を書けないようにした。つまり、とても当たり前のことなのだけれど、コミュニケーションを取るようにした。
さいきんタスクが抱えきれなくなった。以前なら徹夜してでも全部期日通りに終わらせていたと思う。でもいまは PM に「すみません、タスク遅れてます! 修正の影響範囲が想定より大きかったです。工数 + 2 人日ください!」とか「影響範囲が調査はバックエンドの領域かと思いますので、バックエンドの方、調査お願いします!」とか「タスク終わりそうに無いので、暇な方いたら巻き取ってもらえると助かります!」とか、ぼんぼんチャットで投げるようになった。
その結果、工数は伸びて、調査は別の人に依頼して、タスクも巻き取ってもらえて、キャパオーバしていた自分のタスクリストが平穏を取り戻す。むしろ暇なくらいだ。でもそれでいいんだと思う。自分が暇じゃないと、誰かを助けることもできない。
自分が暇であることに罪悪感を覚える必要もない。誰かがしんどいと言ってきたときに助けてあげれば良い。そしたら次にまた助けてもらえるかもしれない。そういういい循環ができるといい。水槽の水も循環しないと腐っていってしまう。風通しの悪い環境では何もかもが病んでいく。だからコミュニケーションは、そういう循環とか、風通しとかいう意味で欠かすことができない。
けっきょく自分が楽しいことがいちばん大事なのだから、残業してる場合じゃないし、徹夜してる場合じゃないし、うつ病になっている場合でもない。いまが楽しくないなら、なにかを変えないといけない。自分はコミュニケーションは心底嫌いだけど、自分が楽になるためにコミュニケーションをとることにした。
自分が楽になるためにコミュニケーションをとる、そう考えるとちょっとだけ積極的にコミュニケーションを取ろうと思える。それでいい。
おわり。