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葉月の終わり

夏が終わる。

否。終わってたまるか。まだまだ夏を味わいきっていないのに。俺たちの夏はこれからだ!

とはいったものの、確かに夏は少しづつこの場を去ろうとしている。照りつけるような暑さは相も変わらずだが、蝉たちの合唱も幾分か控えめになったようだ。
時間は平等に、そして残酷に刻一刻と過ぎていく。

後悔がない訳ではないが、それでも今年の夏は近年稀に見る満喫度合いだったと自負している。

UVERworldの日産ライブに参加した。
Liella初の夏のツアーに参加した。
スイスに行った。
ビアガーデンに行った。
祭りに行った。
花火を見た。
夏山に登った。
実家に帰省した。
地元の友達と会った。
大学の同期と会った。

全てを網羅しているとは言えないが、それでも大方の夏のイベントを体験したような気はする。
ただこうして羅列して気づいたが、海に行っていない。
なんてことだ。これは由々しき事態だ。
今すぐ勢いのまま新潟県側に北上し日本海に飛び込んでカツオノエボシと格闘するのも悪くない。

いや、至極悪い。最悪である。
そもそも全てを網羅することが重要ではない。
夏のイベント数で競おうなどという愚かな行為は慎みたいものだ。、

結局のところ、とにかく夏が楽しかった。それに尽きる。それ以上の言葉は無い。
noteを書いて言葉を紡ぐ者として、そんな諦めともとれる発言をして良いのかは定かでないが、この世には確かに言葉にできない感情があるのもまたどうしようもない真実だ。

夏に対して抱く感情、そして情景や心象風景はそれほどまでに容易に言語化出来ない複雑怪奇なもの。
今はそれを完璧に表す言葉を見つけることが出来ない。
だがいつの日か、その言葉を見つけだして、そして紡いでいきたい。

夏が内包する切なさ、そして儚さは、その終わりが近づくと共にさらに加速する。
だから昔は夏の終わりが嫌いだった。
楽しい時間が終わってしまうようで、ただひたすらに寂しかった。
しかし今になって思うのは、寧ろ今だからこそ理解出来たのは、あの時感じた寂しさはけっして負の感情ではなかったということだ。
終わりゆく夏を惜しむあの時間こそ、何ものにも変え難い人生の一部分に他ならない。

だからこそ、夏の終わりはどこか美しい。

ということで夏は終わろうとしている。
だがそれすらも楽しくて仕方がない。
俺たちの晩夏はまだ始まったばかりだ!

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