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「日本オラクル初代代表 アレン・マイナーの軌跡」| Oracle・Salesforce等の日本事業を立ち上げた日本VC界の重鎮にインタビュー1/4

この記事はGHOVCのYouTubeチャンネル「日本オラクル初代代表 アレン・マイナーの軌跡」| Oracle・Salesforce等の日本事業を立ち上げた日本VC界の重鎮にインタビュー」を元に作成しています。


| Speaker

アレン・マイナー :GHOVC Founding Partner オラクルジャパン・Salesforceジャパン・Marketoジャパンの創業メンバー /米国フォーブス誌のMidas Listに選出された最初の日本投資家/サンブリッジのFounder /CEO
安永謙:GHOVC Founder/Managing Partner / アメリカにてVCを共同創業・海外投資家から資金調達 元INCJベンチャー投資のManaging Director 内閣府・文科省・経産省のStart-up関連委員を歴任


アレン・マイナー氏の生い立ち

安永謙(以下:安永):皆さんこんにちは。GHOVCの安永です。ベンチャーキャピタルの世界でご活躍のアレンさんをお迎えしています。とても有名なアレンさんですがまだご存じない方のために自己紹介をお願いできますか?

アレン・マイナー(以下:アレン):もちろんです。私はアメリカのユタ州で育ちました。ユタ州はほとんどの人が“超田舎”と認識している所です。またモルモン教の総本山としても有名です。私は熱心なモルモン教の家庭で育ちました。

小さい頃はとてもいい子でした。19歳になるとモルモン教の青年たちは海外での宣教活動を期待されます。そこで私は自ら志願して北海道に派遣されました。なので大学に行く年頃の2年間を札幌や釧路そして函館で過ごしました。留萌という小さな町にも8カ月程滞在し。モルモン教の教えを広めていました。

初めて日本に来たのはモルモン教の宣教師としてでした。その時から日本の文化や人々が大好きになりました。日本に来る前の専攻科目はコンピューターサイエンスで、副専攻の哲学にも力を入れていました。コンピューターサイエンスはキャリアのためで、哲学は自分のための勉強でした。

でも帰国後に副専攻を哲学からアジア研究に変えました。アジア文化特に日本文化に興味を持ったからです。日本で2年間を過ごす前の私は哲学とコンピューター専門でしたが。

帰国する頃には日本に夢中になっていました。私が仕事を探していた頃はオラクル社の社員数は500人ぐらいでした。今では約10万人です。当時は500人程の社員で年間収益は5千万ドルに届きそうでした。そしてオラクル社が大学生を雇った初めての年でした。

オラクル本社へ入社

アレン:1986年に46人がオラクル社に新卒入社しました。人事担当者と面接をした時のことです。プログラマーとして応募したのに履歴書を見て最初に言われたのは「君は日本語が話せるのか」でした。日本語は話せますが質問の意図が分かりませんでした。

オラクル社は日本にビジネス展開するにあたって、ソフトウェアの翻訳が課題となっていました。そこで必要だったのがソフトウェアの日本語対応を任せられる人材でした。プログラマーとして日本と関われるなんて最高だと思いましたよ。アジアに関心があるし日本語スキルも生かせます。

私はいろんな会社に行ってたくさん面接を受けましたが、中でもオラクルは魅力的でした。そして何よりもこの仕事は私にぴったりだと思ったんです。

1986年からオラクルで働き始めました。日本語版の制作を担当して翌年に代理店のアシスト社と協力すべく日本に移住しました。その時点で日本にはアメリカから来たオラクルの社員は私だけでした。

そこから代理店と協力してビジネスを成長させました。代理店のおかげで日本での年間収益は約25万ドルから3年後には1千万ドルになりました。当時のオラクルでは前年度の売上を基に予算を策定していました。

日本オラクルの創設へ

アレン:前年度の売上を2倍にするだけです。予算を立てるのは簡単ですが達成するのは困難です。毎年頭を悩ませていました。「チームや顧客数を倍にするには?」とね。でも顧客が500万人から1千万人になりさらにそれが2千万人になれば。

私は対処しきれないしアシスト社でも抱えきれません。このぺースで事業を拡大していくためにはそのための人材が必要でした。そこで日本オラクルの社長候補を探すために1年で約40人も面接し佐野力さんと出会いました。彼は80年代後半に日本IBMの社長の座を競っていた4人のうちの1人でした。

最終的には北城さんがIBMのCEOになり佐野さんを獲得しました。

安永:でも1千万ドル規模の会社を育てたのはあなたです。スタートアップ企業の売上をゼロから1千万ドルにするのは誰でも苦労するはずです。

アレン:ゼロからというのが一番きつい。

安永:そうですね、最初が難しいのです。

アレン:さらに成長させる過程でも苦労します。まず100万ドルくらいが最初の壁となりそこから500万ドル1千万ドルと続きます。私はゼロから1を生み出すことはできる。でもそこから20や100へと成長させることは私にはできないと思ったんです。

スタートアップ企業が最も苦労するのが“ゼロから1”です。もちろん20や40にすることも言うまでもなく大変なことです。

安永:そのとおりです。でもこれを見てくださっている起業家の皆さんは、やはりゼロから生み出すことに苦労していると思うんです。次回は、ゼロから1にすることについて話していきましょう。

この記事はGHOVCのYouTubeチャンネル「日本オラクル初代代表 アレン・マイナーの軌跡」| Oracle・Salesforce等の日本事業を立ち上げた日本VC界の重鎮にインタビュー」を元に作成しています。



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安永謙X:https://twitter.com/ken_yasunaga



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