箱庭ダンス 第一章「物語の始まり」その2


第一章 物語の始まり その2

4.

雨上がりの“森”で両手を上げた女に見とれているアキムはどこからか流れてくる音を聞いた。

流行りのハードなリズムのロックではない。
かといって昔のロックやポップスとも違う。

微かなモスキート音(この森にだけ蚊はいる。街は乾燥と暑さで虫は全部死に絶えた)に似た鼓膜を揺るがすような、路面電車(周囲が砂漠で地下鉄は無い)で設定をミスった時代遅れの“外耳イヤホン”から漏れ出すような音だ。

どこから聞こえてくるのが興味をそそられ、アキムは樹の陰から身を乗り出した。
相手が“掃除人”だったらこの場で射殺か、逃げても執拗に追いかけられて刺殺かそんな危険な行為をアキムは取った。

音は女の口からしているようだった。

アキムはひいじいさんから聞いた“口笛”というのを思い出した。
正しくはひいじいさんの“脳チップ”からの情報だ。アキムは“機械化”をしていない。その情報は“脳チップ”を介したスクリーンに映し出された“映像”で過去の様子を観たものだ。

か細い口笛を吹きながら、女はユラユラ身体を動かしている。
伸ばした手をまた身体に巻き付け、腰や肩を揺らす。ステップを踏みながらクルクルと回転し、頭を揺らす。
アキムは『この動きはアレだな』と思った。

【ダンス】

アキムは女の動きがダンスだと気がついた。
リズムに合わせて身体を動かすダンスは“ロボットやアンドロイドのプロ”が、性を売り物にするいかがわしい店で踊るのを見たことがある。しかし、人間がこうして口笛で音楽を奏でながら身体を動かしているのをアキムは見たことがなかった。

綺麗だった。

いかがわしい店で踊られるセクシャルなダンスではない、伸びやかでしなやかなダンスだ。

太陽が沈み、赤い月が街を照らし出しても女のダンスは続いた。

気付くと、アキムは女のすぐそばで呆けたように立っていた。女はそれに関心がないように踊り続けていたが、つい、とアキムの方を見ると微笑んで、そして仰向けにゆっくりと地面に倒れた。

口笛はまだ続いている。暫くするとその微かな音も無くなり、辺りは虫の音と女の呼吸だけになった。

数時間踊っていたのだろう。月はドームの真上にあった。

軽い呼吸がしている。女の寝息のようだ。踊りつかれた“踊り子”は、地面の上で眠ってしまったようだった。

アキムは時計を見た。ホログラムの砂時計がもうすぐ尽きようとしている。もうすぐ“雨時間”だ。今までの彼なら『君子危うきに近寄らず』『好奇心猫を殺す』などと呟いて女を放って置いたに違いない。だが、今日は、この満月がきれいな今夜においては、彼は女を雨に濡らすのは忍びないと考えた。

 アキムは女を抱き起こそうとした。体格はほどほどの自分なら、この華奢な女を肩に担いで自分の安アパートに連れ込むなど容易いと思った。しかし、意外なことが起きた。

女が異常に重かったのだ。

5.

ずぶ濡れで“森”を抜けたと思ったら、街も雨だった。月に数回不定期に、街全体にも雨を降らせる(“地下水”をポンプで汲み上げて、地面から空に高圧で噴射する)時間があった。

たまたまその月に数回の“雨時間”に当たってしまい、アキムはレインコートの中の服や下着までびしょ濡れだった。

そして、安アパートに着いた頃には疲れはてていた。
予想外に重い女の脚を持ちながら、死体を運ぶようにずるずると引き摺って来たからだ。
変異したネズミとシティマン(くどいようだが、大昔のホームレスだ)しかいない下水道を、ゴーグルで街を統括して警備するAN-ZENの監視カメラの死角を見つけながら“誰にも”見つからないように慎重に慎重に来たために既に朝を過ぎていた。

 アキムは、死体袋に入れた異常に重い女をマンホールから下水道へ降ろす時と、地上へ上げる時は仕方なくシティマンに金を渡して補助をしてもらった。

「なんだこの死体は。やけに重いな。アンドロイドか?」

シティマンの質問にアキムは答えられなかった。

「まあ、金さえ貰えばなんでもいいが」

筋肉を増強させる外骨格のパワードスーツを身につけた“荷運び”のシティマンはIDなしのクレジットキーに一晩高級娼婦と遊べるだけの金を入れて渡すと喜んで運んでくれた。

“森”から“荷運び”のシティマンに金を渡してアパートまで運んで貰えれば良かったが、万年金欠病に悩んでいるアキムはマンホールに降ろす時と上げる時の分しか金を払えなかった。

 「毎度」

アキムは疲れはてていたが、アパート近くのマンホールから仕事を終えて去っていくシティマンの頭にジャックして“記憶を消す”のは怠りなかった。

スラム街の一角で、あまり人が住まない(つまり、“汚染”レベルが高い)地区の安アパートの一階の一角まで死体袋を運ぶと、ゴーグルで念入りに周辺に警備がいないかをチェックしてから鍵を開けて中に女を引き摺って入れた。
一階の角部屋で本当に良かったとアキムはため息を吐いた。

女はまだ眠っている。恐らくこの異常な重さはアンドロイドに違いない。だとしたら、バッテリー消耗抑制の“スリープ”状態かもしれない。

アキムはコンセントにコードを差し込むと、その反対側を女の首の後ろに繋いだ。そこで気が付いたのはこの女はアンドロイドではないということだ。
 脳は“生身”で身体は“義体”のサイボーグだ。
 (この違いはよほど腕利きの闇医者でしかわからない。アキムは“ゴミ拾い”での経験でこの些細な違いに気が付いた)

“スリープ”状態から充電状態に移行した軽い電子音がする。
このまま放っておけば、1時間もすれば女は目を覚ますだろう。

アキムは濡れた犬のように全身をブルブルと震わすと、役に立たなかったレインコートや水を吸って重くなった服と下着を脱いで壁のボタンを押して洗濯機を飛び出させると、全部突っ込んだ。

そして、ポルノ女優のポスターを貼った壁を押して狭い部屋に入ると、暖かいシャワーを浴びた。

6.

「おお?」

ベッドで寝ていた女が最初に口にしたのは意味をなさない言葉だった。

アキムは歴史的遺産とも言える“紙の本”をソファーで読んでいた。貴重な紙の本は一般には手に入らず、街の歴史資料館に数百冊保管されているものしかない。金持ちなら家に数冊の蔵書があるかもしれないが、アキムのような安アパートに住んでいる若者が持っているようなものではない。

しかし、アキムが読んでいるのは、紛れもない紙の本で、街の歴史資料館にある本の中の、“そのうちの一冊”だ。

『物語の始まり』と表紙に書かれた本をパタンと閉じると、アキムは「気がついた?」と微笑んだ。

「あえ?」

また意味をなさない言葉が聞こえる。女は言葉が話せないらしいと思ったが、アキムは続けた。

「オレのアパート。オレはアキム。キミの名前は?」

女は目をパチパチさせたが、どうやら状況が飲み込めた様子で、「おーお」と言った。

「おーお?それは名前?」

「おーお」

女は頷いて「おーお」と再び言った。

アキムはどんな意味があるのかを考えたが、よく分からなかった。それでもアキムは久しぶりに人と話すことが出来て満足だった。それが“サイボーグ”でも。

「そっか、おーお。キミはダンサーなのかい?」

「おうお」

「なぜあそこにいたの?」

「おおいああっあ」

アキムはここでようやくおーおの言葉の意味が理解できた。

おーおは“子音”が話せないようだ。

母音だけで構成されるおーおの言葉を解析すると、目覚めて最初の言葉は、「どこ?」になり、次は「だれ?」だ。

「そうか、キミは子音が抜けてるんだね。ということは、キミの名前は“とーこ”?」

女は首を横に振った。そして、「おーお」とゆっくりと口を動かす。

「おーお。あ!よーこだ!」

女は嬉しそうに頷く。

「そうか、よーこか。よろしくな」

「おおいう、あいう」

女はそう言ってコロコロと笑った。自分がうまく話せないことが面白いらしい。

アキムも「オレはアキムだよ。あいうじゃない」と言いながら一緒に笑った。





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