見る景色を暗くするのも明るくするのも自分次第

アメリカで起きている暴動の発端は、とても悲しい事件でした。

アメリカという国には、個人的には思い入れもあります。
10代のころにホームステイしたボストンとニューヨークで過ごした時間の中で、黄色人種な自分に対して差別はあったか?といわれたら「イエス」です。「イエロー」「ジャップ」「カミカゼ」などの罵声を浴びせられました。ただし、会う人すべてがそうだったかと聞かれたら「ノー」と答えます。逆に親密に接してくれた人たちが多数です。
フランスに仕事で行ったときに、パリで入ったカフェやショップではあからさまな差別を受けることがありました。内容については、まぁお察しください。とはいえ、すべてがそうだったかというとそうではなった。泊まったホテルの近くにあったベーカーリーショップのオーナーらしき老婆には滞在中、水を買いに行っていたが、最後まで優しく応対してくれた。自分が日本から来たことを言うと桜の話を聞かせてくれといわれて話をしました。地域差があるとか言われるかもしれませんが、そこは個人の経験ということでご了承を願いたい。

悪人しかいないわけでも善人しかいないわけでもない。その人たちは少数であり、ほとんどの人がどちらでもないのです。そのどちらでもない人たちは、激情に流されやすい傾向があります。
今起きている暴動や略奪は、黒人やマイノリティが抱える問題を解決する方法なのかということを考えるべきです。
暴動が起きるのはいつも「扇動」された結果によるものです。陰謀論などが出てくるのはそういうところがあるからでしょう。真偽はともかく、何か暴力的な行動に水を向けられたときにそれに同調するのか。立ち止まって冷静になれるのか。理由などは何でもよいのです。不満を抱えている市民を先導しその不満感情を爆発させることで暴動化に向けさせ治安低下と混乱を引き起こす。軍事作戦の一つに「騒乱を起こす」というのがあります。
敵国内部に不満分子を育て、それを起爆剤として国内に混乱を生み出す。アメリカで起きていることがそうかどうかはわかりません。
ただ中国資本が参入するハリウッドの中にいるスターやミュージシャンの声、暴動を扇動する映像、情報は創作されることもありますが、配信されるものから冷静に判断をしなければなりません。
アメリカの多くの警察官が被害者を悼み、容疑者の警官に対して厳罰を求めています。
彼らは、法の執行官としての自負があるからです。その自負に負けないように職務を遂行しています。

アメリカで起きていることが日本で起きないとは言えないと思います。

暴力が解決を生まないことに気が付きながら連鎖が止まらないのはなぜでしょう。人は区別をすることを日常に行いますが、それを差別に置き換えてはならないと思います。人は流されやすいといいましたが、良い方向にみんなで流れていけばいいのじゃないでしょうか。
死者を悼むことはあっても利用してはならないですし、痛ましい事件がもう起きることがないことを願うだけです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?