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10.10.2020 何度も逃げようとした話

10月10日は、メンタルヘルスデーらしいので、

メンタルヘルスという言葉に大きく関わりを持った、持つ私。

同居している彼と、私の”メンタル”の崩壊をきっかけに生まれた独自の世界観や、元から抱いていた世の中に対する違和感や疑問を、言葉だけの力では「伝える」事には限界があると信じていて、それを「伝わる」に変えたいと思い、noteを始めた。私が「躁鬱」を繰り返し、付き添う様になってから早、10年ほど。

その蟠りをただ「伝える」だけではなく、少しでも、やんわりとでも「伝わる」事に変えたいなと漠然と思っていて、そのツールとしてnoteを議事録程度として始めてみました。

「私」だけがツラツラと綴っている様だったら、主観的な思いしか話せないし、説明しきれない。だから、「彼」がその主観を客観的にも捉え、自分のことの様に、「彼女観察日記」という形でもあり、一人だけでは力不足な「伝わる」事の手助けもしてくれるという事で、マガジンにも「僕」というコラム分けをした。

前置きが長くなったが、題名にもある通り”私が逃げようとした話”をメンタルヘルスデーにちなんで、話す。

彼とお付き合いを始めて、早くも9ヶ月(確か)も経った。

私の中では、長い方で今までは一人の方が楽だし、誰かと付き合うのは迷惑をかけてしまうだろう、と思っていたためここまで向き合って付き合うことはなかった。

たったの、9ヶ月と思う人もいるかもしれないし、読んでて重だるささえも感じる人もいるかもしれない。

私もそう感じる時があるから。

私が彼に本当の自分をさらけ出したのも、つい最近のこと。

というのも、じゃあ今までは猫を被っていたの?と聞かれるだろうけど、そういうことではなく、自分の中では”自分は変わったんだ(完治した)”と思っていたからだ。

プロフィール記事にも簡単に説明した記事があるが、人が抱え切れる”心の器”というのは、誰にだって過度なストレスがかかればブレイクダウンしてしまう。その限界を私はコップに例え、たとえ注がれる液体が水だろうと、様々な多方面からのストレスという名の液体を1つのコップに注ぎ、混ざったらコップから溢れてしまうでしょう。

ドリンクバーで、コーラやらメロンソーダやらと色んな毒毒しい色を決められた容量のコップに注いだら、最終的には色が茶色っぽくなる経験は誰にでもあるだろう。そこで、最後に氷なんか入れたら、溢れてしまう。

このような例えを、私は医者から説明されてすごく分かりやすいなと思った。

最初は抱え切れる量だったら、気が付かない。でも、それがうつ病になりやすい人の特徴でもあるらしい。私はほとんどの人はあと30mlくらいで溢れてしまいそうだから、「何だか疲れたな」と思うだろうけど、通常は後30ml手前で気が付くことが出来て発散することができると思っている。

それをすることが出来ない、苦手、仕方が分からないから、溜めることしかできない。だから、平然を装うしかない。

その仕方が私は今日まで解らなかったため、初めて彼にその溜まりに溜まったコップの状態(躁鬱だということ)をさらけ出してしまった時、彼を困惑させてしまい嫌われたと思った。

ヒタヒタに溜まったコップに後一滴垂らしたら溢れそうだったところの、その一滴がたまたま彼の鋭い、理解のなかった言葉が私のコップを溢れさせてしまったのが、彼に私が躁鬱といったハッキリとした重い病を打ち明けることになったのがきっかけ。

彼が全て原因ではなく私がそれまで平然を装い続け、自分の本心を誤魔化し続けていたのが原因であるため、決して彼は悪くない。

その一滴なんて、たまたま彼の発言だっただけで、誰からでもきっと崩壊していただろう。本心を隠しながら理解を求めていた私も矛盾していたから。

そして、そこから私はどっぷりと鬱へとまた、引きずり込まれ始めたのだ。

もう、どうでもいい。

全てがどうでもいい。誰も理解なんかしないし、人がメンタルヘルスが崩壊してめちゃくちゃな感情になろうと、人はそれを”自分”にとってネガティブなこととして、受け止め突き放すことが多かったから、私は彼に

「もう、死にたい」と言った。

彼が仕事で都合が合わないだろうと、何だろうと、もうどうでもよかった。

都内に住んでいるため、すぐに海になんて行けないと思った私は咄嗟に、新幹線のチケットを取り漠然と熱海なら海があるし、ここから逃げられると思った。

貯金額が0だった彼が、やるせない顔をしていたことを何故だか私は同情をしてしまい、何故だか私はチケットを2枚も取る羽目になった。

私は死ぬのに、なんてことをしているんだろう、とも思ったけど死ぬならどうでもいいか。と思って、好きにさせた。

すっかりと空が真っ暗で、海の先の平行線すらも見えないほど暗かった気がする。

本当に記憶がないが、がむしゃらに裸足で崖を登りそのまま飛び込もうとした。

でも、何故だか勇気が足りなかったのかこうして、こういう記事を投稿しようとしている時点では生きている。

その時は、1時間ばかりは止める、突き放すを繰り返ししていた気がする。

鬱になると自律神経が乱れるため、死のうとしたマインドだったのもあり、上手く歩くのも精一杯だった。

タイトルにもあるように、私が逃亡しようとしたことはこれが一回ではなく、この数ヶ月で、何回かあったし、今後一切ないとも言い切れない。。だから、「何度も」と付けた。

一枚の記事に収めるには相当長くなるので、ある一部のみ、今回は記してみた。

ちなみに、どうして10月10日がメンタルヘルスデーなのか気になったので、調べてみた。(興味のある人はもう少しだけお付き合いを。)

メンタルヘルスデーとは「世界メンタルヘルスデー」とWHOが正式に設けられている日みたいだけど、日本はまだまだそういう意識が圧倒的に低いため浸透し切れてないみたい。

「1992年にメンタルヘルス問題に関する世間の意識を高め、ネガティブなステレオタイプ化に反論し、人々に体験発表の場を与えることを目的として、10月10日を「世界メンタルヘルスデー」と定める。」

(wiki引用)

つまり、私が冒頭やさっきから訴えている、日本人はメンタルが弱い人や、弱くなったひとに対して、優しくない。ということ。

そのステレオタイプ(固定概念)を変えようとする動きを訴える日が、今日10月10日に制定されたらしい。

人は、こういう世界機関がわざわざ制定し、声明を挙げたり、有名な著名人などが声を挙げないと広まらないし、理解をしないのか。という疑問を感じながら、今日という日に、本当に私が伝えて、伝わることを話す切り口として、逃げようとした話を最初に記してみた。

いつもは、自分の描いたグラフィックに短文で思いを凝縮して載せていますが、本当はこういうことを話したいけど、長いと飽きるでしょ?

ここまで読んだ人が存在していたら、私はゾクゾクすると思う。

昨日の夕飯は何を食べましたか? 幸せなはずの毎日も、日常化すると人の記憶は薄れがち。 私はそんな毎日の中に、少しでも心がじゅわ〜とする瞬間を見つけてこれからも描き続ける。