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act 68 内と外

たぶん重要な自分にとって重要な記事になるんじゃないかなと。

書きながら頭の中を整理していきます。

多分ですが、自分という存在と周りという存在の中で『自分自身』を強固に確立させ“続ける”ためには2つのベクトルが大事なのではないかと思います。もちろん別個に切り分けられている物ではなく、相互に強く結びつきがありますが、分けたほうが考えやすいので、一度切り分けます。

1つ目が、自分はどういう人間でどういう人間になっていきたいか、それを問い続けること。どういう人間になりたいか考えるためには外のベクトルから取ってくる情報も大事ですが、それでも内ベクトルは自分自身との対話になると思います。
現状の自分に満足いってなくて、それは多分周りの関係に対して自分自身が抱えている課題感でもあって、だからこそ、周りの人が持っているものが羨ましくて、自分もそうなろうと観察して、真似して、漸くその人達の感情がわかって、自分が見ていた人たちに近づいた気がする。
満足がいっていない状況は、自分にとってはマイナスで、だからこそ多くのものが見えて、でもプラスに転じたらまた見えなくなるものもあって、マイナスの時に自分が見ていた、感じていたものが何かを思い起こす。
マイナスのときには分かっていた大事なものが何だったのか、プラスになった瞬間急にわからなくなる。マイナスの時のほうが、人に寛容だったし、聴き上手だった気がする。

この自分がどういう人間で、どうなりたいかこれは問い続けるしかありませんが、じゃあどのように?
多分僕の場合は、コンテンツを通して、その後、誰かとの対話を通して、だと思います。そして、このコンテンツというのもできるだけ内面描写が多いようなものがいいのだと思います。昨年はアクタージュでどっぷり一晩深層心理に下っていきました。今、宇宙兄弟を見てるのですが、あれは、いい作品だけど、私にとっては、内を強固にするための作品じゃなくて、内が安定した後に、外をより強固にするか、そのために大事な作品だ思います。

以前、後輩が、「戻ってくる場所は、自分の中にあるから、他人に帰るための安寧の地を求める理由がわからない」と言っていました。
その時に、私は、自分の中に帰ることができる人とそうでない人がいるのかと思っていましたが、そうでもないのかなと。

ただ帰れる自分(内)がどれくらい安定しているかどうか、の話なのかなと。それは、人それぞれ強度や変化への適応などあれど、0か1かみたいなものではなく、0-100まで段階があって、どこまでを帰れる自分とするかなんじゃないかなと思ったのです。

次に、外ベクトルについてですが、これは、これから自分が何をして、どう楽しく、同心地いい人間関係を作って、人生を満たしていくかという方です。作品で言えば、宇宙兄弟を読んでいる感じ。

こう書いてると

階層的には、

内<外

であり、

マイナス→0が内に対するアプローチで、0→プラスが外に対するアプローチ

ですね。

いくら頑張って外にアプローチしようとも、内が安定していなければ意味がない。

私はここ4ヶ月くらいは、恋愛的な意味で内が安定していません。
これは別案件?笑 なんだか、よくわからない感情で、自分→人の矢印が、同じ人でも、自分→異性なっちゃうとおかしくなる。
うーん。でもこっちでナニカしようにもできなかった5ヶ月。

自分が得意な to humanに立ち返って考えてみようかなと思います。
(結論おかしくねえか?笑)

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