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ゲストハウス思い出ノート第一弾受賞作品 「ゲストハウスの思い出」

9月16日より第一弾受賞作品を、選定したゲストハウスの選考理由とともに再掲載しています。選考理由をふまえて受賞されたみなさんの作品を再度お楽しみください!


投稿者 阿部湖十恵さん

選定者 神奈川県鎌倉亀時間

【受賞理由】:自分の家族の稼業である湯治宿をどうしたら盛り上げられるか?という課題を抱えていた先に見つけたゲストハウス。泊まった宿のそれぞれの魅力を的確に表現する文章力が素晴らしいと思いました。

阿部さんは、息抜きの場として何度となく亀時間に泊ってくれた大切なお客様。昨年は湯治宿へのオンライン旅行イベントでもお世話になり、ぜひまた泊まっていただきたいと思っています。


「ゲストハウスの思い出」


私が⼈⽣で初めてゲストハウスに泊まったのは、2013 年、25 歳の時だった。

当時、⾸都圏で働いていた私は温泉湯治宿を営む秋⽥の実家にもどるべきか否か、⾃分の将来をどうするべきか悩んでいた。

専⾨学校進学時に上京し、家業のため役⽴てられるようにという気持ちを持って⼊れてもらった調理学校を卒業、その後、挫折なども経験しながらレストランやホテルなどで主に料理を提供する⽴場で働いた。

どの職場の経験も有意義なものだったが、アットホームな家族経営の家業、しかも湯治宿という特殊なジャンルの宿につながることを実践的に学べている実感がなく、このままでいいのだろうか、いつまで、どこまで、何を学び、⾃分の将来をどうしていったらいいのか。 焦りを抱えながら、将来を考えてみるものの、いつもその将来は「漠然」という中にあった。
震災後、という理由だけではないかもしれないが、地元の観光客は減少傾向。どうにかしないと、という空気もあり焦りは増した。

そんな中、⾃分は「地⽅」「⽥舎」と呼ばれる地元に戻ることを考えているのに、⾼校を出てから⽣活しているのは⾸都圏で、地⽅、⽥舎の⽣活にしっかり⽬を向けてみたことがなかったことに気がついた。
休みの⽇に何かヒントは無いのかと書店に⽴ち寄り、「何か」を求めながらぶらぶらと店内をみてまわっている時、当時創刊したばかりの地⽅にフォーカスを当てた雑誌に⽬が⽌まった。なんだか気になりすぐに購⼊した。

その号では⻑野市が特集されていて、載っていたゲストハウスやお店が無性に気になり、次の休みで⾏くことを決めた。 雑誌を購⼊してほんの数⽇のことだった。今思うととても⼤胆な決断だったが、突き動かされる何かがあったのだと思う。

そうして向かった⽬的の宿は「1166 バックパッカーズ」だった。
上京以来、⼀⼈でこんなふうに旅のようなことをしたのも初めてだったかもしれない。

宿周辺をチェックインまで散策し、途中⽴ち寄った店では私の地元を知る⼈と出会い、遠く離れた場所で地元の話題がでたことに嬉しさを感じた。
古い建物を感じよくリノベーションした、質も良さそうな店が多く、なんだか東京を歩くよりもワクワクした。名物のおやきを⾷べたりしながら町を楽しんだ。
そしてチェックインした⽬的の宿。外から共有のスペースで談笑する⼈たちが⾒えた。初めてのゲストハウスに緊張を感じたが中に⼊ると笑顔で迎え入れてくれすこしほっとする。
⼿作りのチェックインガイドをもとに説明してくださる姿勢に宿作りの丁寧さや細やかさが出ていた。温かい雰囲気で歓迎されている気分になった。旅の拠点の宿としてその周辺のお店やおすすめの場所も⼿作りのマップを使い教えてくれて、⼟地への愛情も感じられた。
ゆるさや⾃由さもあるが、ゲストのことをよく考え、ルールはルールとして線を引き嫌味なく伝えてくれる。気持ちがよく、なんだか感動し、すぐにリラックス、楽しい気持ちになった。

その⽇のゲストは⾊々な⼈がいて、外国⼈バックパッカー、⻑野市が好きすぎて神奈川から頻繁に⾜を運んでいるという⼈、翌⽇から仕事をする場所へ向かうための前泊地として利⽤した⼈。 若い⼈だけではなく、年配の⼈もいた。その⼈は⾝なりからも安さを求めて泊まっているというよりはこの宿過ごすことを楽しみの⼀つに選んできているようで、単純に安いということだけが宿を選ぶ理由になっていないのだな、ということも感じた。

⼈⽣初めての相部屋の宿にドキドキ半分だったが、イメージしたよりずっとマナーがよく、⼼地よく、この⽇宿で⾒聞きした体験⼀つ⼀つに感動した。

ほどよい距離感でゲスト同⼠の会話や交流が⽣まれる様⼦や共有部の多い宿の機能的部分は⾃分の実家の宿にもつながり、⾃分の中でずっともやもやしていた雲が晴れたような気分になった。

オーナーの織絵さんは可愛らしい笑顔のなかに芯の強さがあって、とてもカッコ良かった。それもまた⼈を惹きつけるのだと思った。近江商⼈の経営哲学「三⽅よし」を⼤切にしていて、それを体現している⼈だった。

ドミトリーで同室になり、同い年ということもあって仲良くなった常連の⼥性は、前述した⻑野市が好きすぎて何度も⾜を運んでいるという⽅で、翌⽇、雑誌でみて気になっていた場所をほとんど案内してくれた。⼟地勘があり、町の⼈とも馴染んでいるため、⼀⼈でブラブラと散策した前⽇よりもずっと中⾝の濃い時間になった。
帰路についてから分かったことだが、彼⼥と私には共通の知⼈がいたという偶然も、さらに旅の思い出を彩った。

同じサイクルの⽇々を送っていた私には、この2⽇間の宿、⼈、街との出会いは頭がパンクしそうなほど中⾝の濃いものになった。
この旅をきっかけにゲストハウスという宿にひとつの光と⾯⽩さを⾒出した私は、その1ヶ⽉後に仕事の契約の更新をせず秋⽥に戻った。そして家業の宿の営業に関わりながら、2〜3 年ほどの間に休みを作っては、ヒントを求め、他のゲストハウスもめぐることになる。

⻑野の旅から帰り、ゲストハウスに泊まったことを当時の同僚に話した時にその同僚に教えてもらった浅草の「レトロメトロバックパッカーズ」には秋⽥へ帰る途中に泊まった。⼈⽣で2軒⽬のゲストハウスだった。
オーナーの早苗さんはさっぱりとしいてゲストと話し込むようなタイプではないが、ゲストが快適に過ごせることをよく考え宿作りをしていて、宿の⽅針もしっかり持っていた。
意思がはっきりしていてかっこいいな、と思った。
最初に泊まった1166バックパッカーズと同様に中古物件をリノベーションして営業していた。 その後に巡るゲストハウスはほとんどがそうで、⼿の⼊れ⽅も既製品をつかったリフォームとは違う⼯夫が⾒られてそれを⾒るのも⾯⽩く、いちいち感動した。

早苗さんに紹介してもらった同じ⼤学の後輩たちがやっているという近くの「toco.」と「Nui.」はそれぞれ違うタイプの宿だった。古⺠家のゲストハウスである「toco.」は BARも併設されていて近所に住む⼈もそこでの交流を楽しみに集まり賑わっていた。
英語を学び外国⼈と会話を実践するために BAR へ通ってコミュニケーションを楽しんでいるという 70 代の⼥性や、ゲストハウス運営などに夢を持ち取り組む若者たちと話すことを楽しみの⼀つとしている近くで事業を営む紳⼠も常連だった。その紳⼠は私の話も聞いてくれて、その後秋⽥にも仲間を連れて⾜を運んでくださった。
国籍も、年齢も、バックグラウンドもみんな違う⼈が集まり、その⽇の会話を楽しむ。旅⼈だけはなく受け⼊れる間⼝の広さも、⾵通しの良さも⾯⽩く、⼼地よかった。 最初は BARだけ利⽤し後⽇宿泊をした。
築80年くらいの古い⺠家を使った宿だったが掃除が⾏き届いていて、とても気持ちよく過ごした。スタッフたちも掃除に誇りを持っているようだった。そう話す顔がキラキラとしていて、素晴らしいな、と思った。

⼀⽅「Nui.」はホステルというスタイルで、ゲストハウスほど⼈同⼠との距離感は近くない。「安く泊まる」という⽬的の中で共有部分も程よくプライベートが保たれつつ⼼地よく過ごせる。
外国⼈バックパッカーたちは共有のキッチンや洗⾯所などで会うと挨拶をしてくれた。中学英語も不安な私は雰囲気英語で挨拶を返すのだが、なんだか嬉しい気持ちになる。会話ができたら楽しいだろうなと泊まる度に思うが何も成⻑しないまま 8 年も経っている。

1階の Café&BAR も、基本はパーソナルに楽しめる。働く⼈たちが時々爽やかに声をかけてくれるのだが、ゲストハウス界隈で働く⼈たちは皆⽣き⽣きとしているな、というのが数軒まわってみての私の印象だった。
働く人たちが風通しの良い気持ち良い空気を作っていた。この2軒の宿のできた経緯や運営するバックパッカーズジャパンの持つ「宿」のビジョンも知り、 3店舗⽬、4店舗⽬、5店舗⽬と様々な形で宿を展開し会社が⼤きくなっていく様⼦も眩しさを感じながら注⽬した。

こうして同じように宿で聞いた話や宿に置かれたフライヤーを頼りにその後も⾊々な宿や⼈に出会った。

中でも最初に縁があった⻑野県は気になる宿も多く、地域としても魅⼒があって数回⾜を運んだ。
安曇野の「地球宿」ではそこを会場に開かれたゲストハウス開業合宿のようなもので宿泊した。(私は開業を⽬指したわけではないが参考になると思い参加させてもらった)。オーナーの望三郎さんはとてもパワーがあって、農業や地域のこと、様々なことに取り組まれていた。
その合宿でもまた全国から集まった⾊々な⼈に出会った。ここで出会った⼈のうち何⼈かは私の家の宿にも泊まりに来てくださった。 全国各地いろんなところから集まっているはずなのに、そこで出会った⼈と会話をすると全国各地の宿や⼈が共通⾔語として登場し、不思議と物理的距離を感じさせない感覚になるのもまた⾯⽩い。みんなそれぞれが旅⼈であるからなのだろう。こんなにどんどん⼈に出会っていく経験は私の中ではあまりなかったことなので、それもまた、ゲストハウスコミュニティの⼒だな、と思った。
宿では畑で採れた野菜をふんだんに使った奥さんの⼿料理がとっても美味しく、⼤勢で⾷卓を囲んだり、乗合いで近くの温泉に⾏ったのも学⽣になったみたいな気分で楽しかった。
朝靄の安曇野の景⾊も美しく⽬に焼き付いている。

⼩⾕村の「梢乃雪」では囲炉裏で⾷事をいただいた。⼦供の頃に縁のあったというこの場所に親⼦で移住し⽴派な古⺠家で宿を運営していた。地域の活動にも参加しながら、町からも離れた⼭⾥に⼈を集める魅⼒や発信⼒を持っていた。個⼈的な感覚の話だが、⼩⾕村の⾵景は遠く離れた場所でありながら、植⽣なども秋⽥の地元にとてもよく似ていて、秋⽥にいる気分になる場所だった。だからなのだろうか、秋⽥県内でも地域によっては⾒られない私の地元とほぼ同じ根曲り⽵とサバ⽸の味噌汁が出てきたのにはとても驚き、今でもよく覚えている。

須坂の「ゲストハウス蔵」はオーナーの万⾥奈さんがとても明るく楽しい優しい⽅で、いつもゲストを気遣ってくれ、寒い季節は⾄れり尽くせり古⺠家を使った宿を温めてくれた。居⼼地のよさに数回お世話になったのだがいつも、共有スペースでの笑顔が絶えない会話やぬくぬくの布団が思い出される。
ここでも英語を学び実践するためにゲストと会話をしに来る地元の⻘年がいた。また、⻑野県内で活躍するデザイナーや、周辺のお店の店主などとも連携して地域を盛り上げる取り組みもしていて、打ち合わせの場⾯も何度か⾒かけた。 こうした⾵景からも地域がみえて、
旅の経験が⽴体的になるようだった。

⼭梨の「空穂宿」に⾏ったとき、その⽇のゲストは私⼀⼈だった。チェックインの流れのままオーナーのご夫婦との会話が始まると花が咲いてしまい、その部屋から結局⼀歩も出ぬまま、寝る時間まで流れのままに持ち込んだ⾷事と、宿のメニューのおいしいお酒をいただきながら会話を楽しんだ。
⺠族楽器の話題になると、夜遅いけど、、と少し気にしながらご主⼈が別の部屋から次々と楽器を持ってきていろいろな⾳を聞かせてくれた。「ディジュリドュ」というアボリジニの楽器がとても印象に残っている。いろいろな話をして、ずっと話しっぱなしで興奮気味の体を懐かしい布団と建物が優しく沈めてくれて朝までぐっすり眠った。
翌朝に明るくなってから、宿の中や外の景⾊はこうなっていたのか、と楽しんだ。前⽇は⾬だったが清々しい朝だった。おいしいご飯とお味噌汁、卵焼きの朝⾷をいただいた。温かくもてなしていただき、印象深く、楽しい宿泊だった。

ゲストハウスではないが、当時⼭梨の⼭中湖のそばで営まれていた「ホトリニテ」では、掃除の徹底やちょっとしたところへの⼼遣い、限られた設備の中でゲストを楽しませるという⼯夫が宿全体からとてもよくにじみ出ていた。ご主⼈のその姿勢は会話がなくとも感じられ、今でも時々思い出す。学ぶべきところだと背筋が伸びた。

伊勢の「⾵⾒荘」は希望の⽇に予約が取れなかった。電⾞で数駅先の隣市のホテルに宿を取ったが、よく他の宿で⽿にしていた宿なので外からだけでも⾒てみたいと思いチェックイン後に訪れた。
すると、⼊り⼝に「キャンセルあります。」と書かれた札がかかっていた。三重は秋⽥からそう簡単に来られる場所ではない。すでに宿に⼊り荷物を置いた後だったが、スタッフの⼈に話し、予約をとって荷物を取りにもどり泊まらせてもらうことにした。
ここもまたオーナーの個性があふれる印象的な宿だった。様々な⽬的の⼈がコタツを囲み⾃由に漫画を読んだりゲームをしたり会話をしたりゆっくりと過ごしていた。そのスペースで過ごすためにきた宿泊以外の⼈もいたかもしれない。その夜、ハングドラムという楽器と歌のユニットがパフォーマンスをするということでそれも楽しませていただいた。
そのユニットとはその場所での出会いをきっかけに、秋⽥でも2度演奏をしていただいた。こうしたご縁に、宿を変えてよかった。と思った。

鎌倉の「⻲時間」は、2段ベッドの布団の寝⼼地や宿の雰囲気が個⼈的にとても安らぐ場所で、泊まるたびにぐっすり休ませてもらった。私は⼼⾝を休ませに来る⼈たちを受け⼊れる湯治宿を営んでいたが、⾃分にとっての湯治宿的な場所だった。
マサさんやスタッッフのみなさんとの程よい距離感の会話も⼼地よかった。朝⾷のおいしいスープが毎回の楽しみで、今もインスタなどで写真をみては、次に⾏けるのはいつになるやら・・と指をくわえている。
鎌倉の駅前の観光通りからはずれた材⽊座の雰囲気も好きだった。私にとって息抜きの場所だ。

⼭形の「こめやかたゲストハウス」は⽶屋さんでもあって⽶やナスなど農業も営んでいた。
こちらの宿は toco.で出会った紳⼠が教えてくれた。とてもパワフルなご家族で元気をもらえた。この宿のある村⼭市では当時地域おこし協⼒隊は⺠間企業に所属する形をとっていて地域おこし協⼒隊の⽅が宿のスタッフとして案内をしてくれた。気持ち良く迎えてくださり、お仕事のことや地域のことなどお話しを聞いた。その晩には、地域の若者たちによる打ち合わせも開かれていた。お⽶屋さんなので町のおかあさんたちが出⼊りをする⾵景が、
この⼟地らしくてとてもよかった。早朝、ナスの収穫のお⼿伝いをさせてもらい、ご家族と⼀緒に昼⾷までいただいてしまった。収穫は⼿伝えたのか⾜を引っ張ったのかわからないが、とてもいい思い出になっている。

ゲストハウスとは少し違うかもしれないが、栃木・⿊磯の「Chus」でもまたスタッフの⼈たちが⽣き⽣きと働いていた。マルシェが併設され、⾷事も楽しめ、泊まることもできるというスタイルで⼟地のおいしいもの、思いを持って作られた産品をゲストに出会わせてくれた。
スタッフの⼈たちも気持ちよく声をかけてくれて、会話が楽しく、その会話の中でも働く場所や地域に愛着を持っているのがわかり、それがとても爽やかで⼼地よく、店舗の魅⼒をさらに上げていた。


どこの宿もそれぞれの思いを持ち、宿作りに取り組んでいた。 それぞれの宿がそれぞれに魅⼒的に思えるのは、そこにいる⼈たちの熱い気持ちや、こうありたい、というビジョンがあるからだと思った。

こうして久しぶりに振り返ってみると旅や⼈と出会う楽しさや当時の空気を思い出し、旅をしたい気分になってきた。
ここには書き切れないが他にも様々な⼈と出会ったことは思い出として残っている。「すごい偶然」と驚くような出会いも多かった。そういうことが起こるのも、ゲストハウスという会話が⽣まれやすい場所ならではなのかもしれない。
私が巡った場所はどれもがただ安く泊まる場所として選ぶだけではなく「ここだから⾏きたい」という気持ちになる場所ばかりだったように思う。

私が家族と営業していた宿は今春様々な理由を踏まえ閉業した。
宿作りに関してはゲストハウスの他にも、もちろん温泉宿や、⺠宿、ホテルなど様々巡り、それぞれの良さを感じながら参考にしたが、ゲストハウスでの“⼈”との出会いからはとても多くの⼤切なことを学んだと思っている。
宿をやっていた⽴場としても、⾊々な場所からやってきたそれぞれ違う⽬的を持った⼈たちを受け⼊れるということは、ルーティーンワークではなく、毎⽇が違っていて、とても⾯⽩い⽇々だった。
今はもうその場所は無くなってしまったが、頭に浮かぶのはお客さんなど“⼈”との思い出だ。

県を跨いだ往来、⼈と⼈との接触が制限される今、宿は厳しい状況が続く。
ただ、どんなにオンライン上でのやりとりが普及し社会の構造が変わっても、⼈間が⼈間である限りこの先も⼈と会って話すことの良さは変わらないだろう。
気兼ねなくこうした楽しさを感じられるような状況へ向かうことを祈り、また旅をしてそこでの⼈との会話をする⽇が来ることを切に⼼待ちにしている。


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