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誕生日のお祝い

Podcastでジェーン・スーさんの「生活は踊る」を聞いていたら、50歳のお誕生日に各方面から届いたお誕生日祝いに対する謝意を伝えていた。ただスーさんのお父様からのメッセージにお祝いの言葉はなく、「歯が痛い」といったご自身のことのみだったようでそれに対して、「親が自分の誕生日を忘れることはよくあること」と話していた。うちの母もそうだったな、と15年前の誕生日の記憶が蘇り、また私にとってすごく不思議な出来事があったので忘れないように記録しておこうと思う。

2008年誕生日の朝、7時過ぎに携帯が鳴った。実家からであった。誕生日の朝一に電話がかかってきたことが、すごく嬉しかった。さすが親だ、忘れてない、と電話に出たら、母からで、おはようの挨拶もなく、その週末に母が関わるイベント準備のための依頼事項を捲し立て、
「じゃ、頼んだわよ、よろしく。」
と一方的に電話を切った。依頼内容はそれほど難しいことでもなかったが、「お誕生日おめでとう」
の一言を期待していた私は、ややブルーになりながら、職場へ向かった。

その日は火曜日だったので仕事を終えた後、習い事の和裁教室があり、その後職場の友人が行きつけのビストロで誕生日祝いをしてくれる予定であった。淡々と業務をこなしていたところ、父からメールが届いた。

「今朝はごめんね。お誕生日おめでとう。
お母さんはお前との電話を切った直後に、誕生日だった!メールで謝っておいて、と言いながら仕事にでかけていったよ。38年間元気に過ごしてくれて嬉しい。週末こっちに戻ってきた時にお祝いしようね。」

文面から父の申し訳なさそうな顔が浮かんだ。

毎週火曜日の会社帰りに通う和裁教室は 8 畳程度の小部屋にて行われ、先生が一人一人の進捗に合わせて指導をしてくれる、アットホームな教室であった。いつもは3~4 名程度の生徒しかいないのだが、なぜかその日は普段休みがちなメンバーも出席しており、総勢8人がぎゅうぎゅうに床に座ってそれぞれが反物を広げるので足の踏み場もなく、また先生も全員のフォローをするのがとても大変そうだった。私は前週に完成した単衣の紬の出来を確認してもらい、次の作品、長襦袢に取り掛かる日であった。

新しい反物をおろす時には必ず、反物に汚れ、しみ、折れなどがないか、芯から外し、細かくチェックし、アイロンでしわを伸ばす作業を行う。今回の長襦袢は、和裁教室が懇意にしている呉服屋の叩き売りセールにて半年以上前に購入したモダンな柄が入ったものだった。特にデザインが気に入ったわけではないが、この箱に入っている反物は5,000円でいいよ、と言われランダムに選んだ正絹の長襦袢であった。

早々にしわ伸ばしを終え、次の作業の指示を待つ間、することがなかったので反物の芯を捨てようと両端についているプラスチックのキャップを外したところ、芯の中に何かが入っていることに気付いた。確かに芯だけであればもっと軽いはずなのに、それなりの重量感があったのでもしかして、お金でも入ってないか、と微かな期待を持ちながら中身を取り出したところ、詰まっていたのは新聞紙だった。

いつ頃の新聞だろう?当時のニュースは?と、新聞をめくると、「明治25年」と記載があったのでびっくりして、よくよく見たら、それはその新聞が第三種郵便物として認可された日付であった。呉服屋からはそんなに古い反物ではないよ、と聞かされていたので、他のページをめくり発行日を確認しようとしたら、どこかで見たことのある顔が私を見つめている。あれ、この人誰だっけ?

お、お父さん?!?!

今朝申し訳なさそうなメールを送ってきた父の顔が写っているではないか!普段あまり動じない私も、ゾクゾクというか、ヒエーーというか、驚きと感動が入り混じる、なんとも表現しがたい気持ちに襲われた。

芯から父が

冷静になり確認したところこの新聞は2006年のもので、父が住む地域の選挙立候補届け出の記事であった。父は会社員生活を終えた後、故郷に戻り地元に恩返しがしたいと、一瞬政治の道に入ったのだった。残念ながらその選挙は落選し隠居生活となるのだが、まさか2年前の選挙の新聞が入っているとは。しかも半年以上前にランダムに選んで購入した長襦袢の芯の中から登場、それも私の誕生日に。

和裁の先生と教室の生徒さんにその日の朝の母の電話のことから、「芯から父登場」までの話を伝え、皆に誕生日おめでとうメッセージを貰い、その日は和裁は手につかず、次週へ持ち越しということで教室を後にした。そして同僚にも同じ話をして、芯と新聞紙を見せて大いに笑い、皆に誕生日を祝ってもらった。

捨てる予定だった芯は新聞紙と共に実家に持って帰り、筒に父にサインをさせ、私の宝物として保管している。母はこの話にいたく感動し、
「私が誕生日メッセージを伝えなかったから尚更お父さんが登場した時は感動が大きかったわね。」と笑っていた。
「期待が大きいと失望倍、期待しないと喜び倍」を実感した出来事であるとともに非常に思い出深い誕生日祝いとなった。

以上






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