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靴下の毛玉を切る


4月の半ば頃から、靴下の毛玉を糸切ばさみで取ることに夢中になっている。

4月の頭頃から2度ほど、母と雑談している中でもやっとしたことが引っ掛かっているが誰にも話せずにいる。

子供の頃のわたしは、ごはんを口に運んでもらっても何にも頓着せずに言われるまま食べる性質だった。従姉妹と、あの頃ごはんやしなうの楽だったよ~なんて笑って思い出話をしたことを母に話すと、父方の祖母や伯母が話をとっちゃうせいで自分を表現できない子供になっちゃってつらかったね、と同情された。
別の日には、転職先を探している話の中で、どんな職場であれ女社会は慣れてるよ~なんて軽口を叩いたことに、可哀想がられたこと。

わたしは子供の頃、誰もしゃべらない食卓が辛くて、妹と二人で道化のようになって、面白おかしく学校であったことなどを話すようになった。
母がヒステリックに何時間も怒鳴り続けたり泣いて同じ話を繰り返したりしている間、父や妹たちと黙って固まっていた。
社会に出て、社会的に上手く人付き合いしていた祖母や伯母の話し方を真似して生きてきた。
たしかに、祖母や伯母は子供に代わって説明したり返事をする人だった。
ただ、祖母や伯母について歩くと、いつも自分まで他人から大事にしてもらえた。

母が当時のことを覚えていないと言うことが、うそや誤魔化しではなくほんとうに覚えていないんだと、この頃になって受け入れる用意が出来てきた。

従姉妹やカウンセラーさんに言われてきた「サバイブして得た力」を、母に否定されたように感じて苦しかったのかもしれない。

「滅相もない」というドラマを面白く観て、靴下の毛玉をとっていたら上記の「思い出し苦しい」になって感情が昂った。
しかし、絵を描いていたら落ち着いた。

昨日はこどもが改まって、「お母さんに言いたいことがあるの」と部屋の壁の前に立ち、ズボンのポケットから空想のメモを取り出した。
「言うね。おかあさん、いつも美味しいごはんをぼくのために作ってくれてありがとう。服をキレイにしてくれてありがとう。」
母の日が近いから?と聞くと、そうだよと、保育園で習ったのだろうか。
嬉しくて泣けて、だっこさせてもらう。

わたしが不安定な様子で、気を引くためにこんなことをこどもに言わせてるんじゃないか、とも不安になる。

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