Habit is second nature

自分の言葉を打ち出すためにキーボードに触るのはいつぶりになるのか、自分でもわからないくらいに久しぶりです。
英語の勉強はほとんどしていませんでした。勉強したことと言えば、仕事に関係する計算を少しやったぐらい。

別に誰にも強制されていないのでやる必要はないんです。
「英語がわかるようになったら、見える世界が開けてくるかしら」程度の軽い気持ちで始めようかしただけなので。今後の人生で役に立つかどうかも分からないので。
だから、”勉強”と”生活のために必要な衣食住”を天秤にかけて、後者に重きを置いているというだけなのです。

いいえ、本当は勉強をしなさいと言われているんです。
試験を受けて合格するための勉強を。私はそれがなんとなく嫌で、「自分は自分でちゃんと勉強をしています」と言いたいがために、英語を学ぼうと思ったのです。

周りの人たちは、時々、何かを思い出したようにして「試験を受けなさい」と言います。納得がいかないので、今のところは愛想笑いの抵抗を続けています。
「勉強して試験を受ければ、今より出来る仕事が増えて収入も上がる」
そんな文言を毎日30回くらい紙に書き写せば、ちょっとは意識が変わるのかもしれません。

意識の変化と言えば、私はここ1か月でペーパードライバーを卒業しつつあります。免許は取得したものの、怖くて怖くて、数年間かたくなに拒んできた運転を、たいしたきっかけもなく再開し、今ではだいぶ慣れてました。
意識って変わるものだなと、自分事ながら不思議に感じます。
乗り出す前の感性をどうにかして取り戻したいと思うほどです。
「もし、人を轢き殺してしまったらどうしよう」とか、
「自転車はエコだし運動にもなっていいな」とか。


最近、年齢が一回り下の子と話をして、自分の口から出てくる言葉の硬さに驚くばかりです。