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【駅メモ攻略】GGGは廃線を取りに行く ~①長野電鉄屋代線

駅メモ!に登録された廃線を取りに行った記録を残すシリーズ。記念すべき1回目は、長野県の「長野電鉄屋代線」だ。


長野電鉄屋代線について

  • 起点: 屋代駅(長野県千曲市)

  • 終点: 須坂駅(長野県須坂市)

  • 駅数: 13駅

  • 路線総延長: 24.4 km

  • 廃止日: 2012年4月1日

路線番号「Y」が設定されていた、比較的最近廃止された路線だ。当初は屋代から須坂、さらには現役の信州中野を過ぎて飯山市の木島駅までを繋ぐ河東かとう線の一部だったものが、信州中野~木島間の2002年の廃止を受けて「屋代線」に路線名変更、しかし屋代線も利用状況は芳しくなく、10年後に廃止の憂き目を見ることとなる。

路線図と駅。 国土数値情報 でダウンロードした情報を 地理院地図 で描画。

どう攻略するか?

この路線はいわゆる「盲腸線」ではない。起点の屋代、終点の須坂は別路線ながら現役の路線からアクセス可能なので、ルートビューンで取れそうではある(未検証)。しかし今回は、実際に各駅にアクセスして攻略する方法を考えたい。

長電バス 屋代須坂線

屋代線の廃止直後から運行開始した路線。屋代線の路線をほぼトレースするので、特にアイテムを使うことなく攻略できる。

バスは1日に9~10往復程度走っており、本数は比較的多い。ただ、利用者減少と運転手不足により、日曜日は全便運休というダイナミックな運用となっているので注意。

自転車で走破(ボツ)

当初、廃線跡がサイクリングロードとして整備されているのであれば、自転車で走破するのもありだな、と思っていた。しかし、路線が3市にまたがっているのもあってか、統一された整備が行われていない状況だそうだ。

バスと同じ経路を自転車で通って制覇しても良いが、それもどこか味気ないかなぁ…と思って、この案は見送り。約25kmという距離もなかなか長いし。

高速バス(ボツ)

地図を見てみると、屋代線は高速道路(上信越道)に近いところを通っていることが分かる。ひょっとすると、高速バスのどこかの路線で制覇できるかな?と思った。調べてみたが、須坂駅まで行く路線はあるものの、途中で高速を降りて長野市街へ向かってしまうため、各駅にチェックインするのは不可能そうだった。

ということで

行くなら路線バスだな、ということになった。

お盆休み、同じ長野県で行われていた大糸線のイベントを攻略するために遠征したついでに攻略することに決めた。

2024年8月13日(火)11:30 しなの鉄道 屋代駅

来ました。

上田駅まで新幹線、そこからしなの鉄道に乗り換え、屋代駅に到着。

駅前。

初めて来た町なのに、実家に帰ってきたかのような懐かしい感覚を受けた。実際自分の出身は長野県なのでそのせい?とも思ったが、ウチの地元とは駅前の様子は全く違う。しかしこの妙な「安心感」。なんでだろう。周囲を取り囲む山の力だろうか。

向こうにバスが停まっている。

今回お世話になる、「屋代須坂線」のバスだ。

停留所の案内板。
途中の松代駅止まり。

雨宮や岩野は屋代線の駅の名前でもある。近いところを通るんだな、ということがわかって一安心。

早速バスに乗り込む。

ん?

バスの座席に少し違和感を受けた。

なんとなく見覚えのあるものが描かれている。

これ…横浜の風景じゃないか? ベイブリッジ、日本丸、マリンタワーという、横浜の名だたるランドマークがあしらわれている。おそらく横浜市営バスで使われていた車両が払い下げられたとか、そういう事情があるのだろう。

しかし、日本で一番海から遠い地点がある長野県で、ゴリゴリの海モチーフの座席を見ることになるとは。

松代へ

発車時刻を過ぎ、バスは松代に向けてゆっくりと出発した。

利用者は自分ひとり。うーむ、駅の待合やバス停付近にはバス待ちと思われる客も数名いたような気がしたが、別路線目当てだったか。

整理券。

屋代駅を出発し、新幹線の高架をくぐると、線路跡と道路が少し離れて並走する区間に差しかかる。先のニュース記事 で取り上げられていた、自転車道として整備が行われて間もない区間だ。交差点でチラッと入口らしきものは見えたが、住宅に阻まれて自転車道の様子は窺い知ることができなかった。

上信越道をくぐり、廃線跡とも交差する。…が、線路も踏切もないため、交差しているのに気づかなかった。

Googleマップで2012年の同じ場所を見ると、廃線直後の路線跡を確認することができる。遮断機は撤去されているが、線路はまだ残っていたようだ。

バスは雨宮の街中を通り抜け、山に突き当たったところで千曲川に向かって北上する。千曲川に気を取られて気づかなかったが、トンネル跡があったらしい。

こちらも廃線直後の様子を。既に草に覆われつつある。

千曲川に沿って国道を走る。しかし川のすぐそばを走る感じではなく、せっかくの千曲川も様子を窺い知ることはできない。

再び上信越道をくぐり、国道から離れて松代の市街地へと向かう。

この、何の変哲のない土地も実は駅の跡。象山口ぞうざんぐち駅だ。

気づいたかもしれないが、今回松代へ向かう道中で自分が撮影した風景画像が1枚もない。これは、居眠りかましていたわけでもなく、はたまたスマホに夢中だったわけでもない。路線の痕跡に全く気づかなかったのが原因だ。設備はすべて撤去され、その後特に整備されていないところをバスで通り抜けながら痕跡を見つけるのは至難の業。ここまでくると「カモフラージュ」と言ってもいいぐらいだろう。

Googleマップが廃線直後の画像を押さえていてくれたので、今回往時の姿を改めて確認することができた。ありがとうGoogleマップ。

松代駅に到着

松代の市街地を通ったバスは、終点の松代駅へ到着した。

駅舎。「安+全」の文字。あまり駅舎っぽくはないような?

早速中へ入らせていただく。

おお…
いいね。

表の武骨な見た目とは一転、松代駅の中はレトロな雰囲気に包まれていた。周囲の蝉時雨がまたノスタルジックな気持ちにさせる。

由緒。
その2。

この駅舎は大正11年の開業当時の建物で、当時としてはモダンな意匠が各所に散りばめられているそうだ。正面の正方形が並ぶ木組みもその一つ。今となっては「安+全」の鉄板も取っ払ってもいいんじゃない?とも思うけど…

ホーム跡から屋代方面を望む。
線路は撤去されて観光用の駐車場になっている。
ポイント切り替え装置が置かれていた。

真田の町、松代

さて、松代から須坂に向かうバスには時間があるので、松代観光といきたい。松代の有名なスポット…というと、パッと「松代大本営」が思いついたが、地図を調べてみると、駅から近いところに「真田宝物館」というものがあることに気づいた。

真田家といえば上田がゆかりの地、という印象が強いが、大坂の陣の後に真田家が転封されたのが松代ということで、松代も同じくゆかりの地なのだ。

地元のタクシー会社のロゴにも六文銭。

真田宝物館

到着。

真田宝物館の他、周辺のスポット(全5か所)を巡るときに少しお得になる共通券が売られている。共通券にはいくつかのパターンがあるようだが、自分は真田宝物館と真田邸の2か所を回る共通券を購入。

「よーし、じゃあ入ろっか!」
ゲーム「レキシトコネクト」(サ終済み)のコラボでんこ、真田ゆきなとともに。

早速宝物館の展示を見学させていただく。真田信之(信幸)の書状や刀剣などはもちろん魅力的だが、特に自分が素晴らしいと思ったのが硯箱などの調度品の数々。表面に施された六文銭や風景などの蒔絵が息をのむ緻密さ、そして美しさで、これぞまさに「宝物」だなぁ、と感動した。このレベルは今となってはもう作れないかもしれない。

展示物は定期的に替えられているようなので、その折々で行ってみるのもいいかもしれない。

真田邸

真田宝物館から少し歩いたところに「真田邸」がある。

建てられたのは江戸末期ながら、政務のための「表御殿」、生活のための「奥御殿」がはっきり分かる造りになっているのが興味深い。行ったのは夏の盛りだったが、屋敷の中を通り抜ける風が心地よい。まさに先人の暮らしの知恵。しかし昨今の酷暑をしのぎ切れるかは…うーん。

御殿の中に庭園がある。縁側に座って観賞できるようになっていたので、どっかりと腰掛けさせてもらい、庭園を眺める。

今回のパノラマです。

はぁ…落ち着くなぁ。お茶でもすすりたくなるような(ダメです

後から調べると、真田邸の庭園は「座観式庭園」というものらしく、建物の中から座って観賞するタイプの庭園だそうだ。いわゆる「借景」といい、後ろにそびえる山並みも庭園の風景として取り込んでいる。

主人の居室、御居間付近の縁側から撮った画像。確かにさっきのパノラマより立派。

柱や障子戸などを額縁のように用いて、景色を切り取るのもまた乙なもの。そういう写真撮ればよかったなぁ。通年で見ごろとのことなので、また別の機会に来てみようか。

外に出た。
入口横、土壁が続く道が、まるでタイムスリップしたようで良い雰囲気。
これは…何時代ですかね?

松代城(海津城)跡

共通券は宝物館と真田邸のみだったので、あとどこ行こう?と思ったが、松代駅から正面に見えた松代城(海津城)跡に行ってみることにした。

立派な石垣と門構え。
中には石碑が一つ。

石垣の中には天守や櫓、御殿はなく、石碑だけがぽつんと立っていた。石碑が伝えるところによると、明治4年の松代藩の廃藩に伴い城も取り壊されたとのこと。 Wikipediaの記事 を見るとその後も含めた松代城の波乱万丈な歴史が記されていた。

松代は川中島合戦の地でもある。山本勘助の占い…ねぇ…
石垣と桜の木(かな?)桜の名所でもあるようだ。

長國寺

バスまでにはもう少し時間があったので、もう1か所、長國寺という寺に行ってみることにした。

駅前から向かったのだが、城下町特有の十字で交差しない交差点「喰違」に翻弄され、迷いそうになりながら到着した。

ようやく着いた…
六文銭と鯱が特徴的な本堂。

ここは真田家の菩提寺。本堂の奥には真田家歴代の墓や霊屋がある。事前予約制で拝観できるそうだ。予約は取っていなかったので、本堂だけを拝観。これからも松代の地を見守り続けてほしいと手を合わせ、再び駅に戻った。

松代から須坂へ

駅に戻ってくると、バスが待っていた。

今度は須坂駅行き。「○○駅」の途中停留所もある。

松代始発ではなく、屋代始発のバスだ。あれ、思ったより早いな?と思ったら、なんと自分が発車予定時刻を5分遅く認識していたようだ。もしこれを逃したら次のバスは3時間後。危ないところだった…

バスは再び自分1人だけを乗せ、須坂駅に向けて出発した。

外が何やら不穏な雰囲気。

河東線の名の通り、バスは千曲川の東側を川と山に挟まれながら走る。手前にそびえる山の奥には菅平高原、そして群馬県との県境の険しい山々が連なるということで、そちらでは積乱雲が湧き上がって激しい雨が降っているようだ。何とか目的地の須坂が降ってないことを祈るのみ。

信濃川田駅。駅舎と「長野電鉄」の看板が残る。

雰囲気のある駅舎だ。立ち寄ってみたいが、バスが3時間後となるとさすがに余裕がない。泣く泣く見送る。

綿内駅。駅舎は撤去されているが、パネルで説明されていた。
動き出してからの撮影につき、ブレは失礼。じっくり見たかったなぁ。

時に駅前、時に住宅地の中をバスはひた走る。客1人だけを乗せて。

そして、須坂駅の手前の井上駅で…

長野電鉄屋代線の全駅を制覇するとともに、長野県の駅取得率100%、「マスターオブ長野県」達成!

須坂駅に到着

バスは終点の須坂駅に到着。この後、現役の長野電鉄長野線に乗って長野駅まで行く予定だったので、早速駅へ向かう。

須坂駅の改札は2階にある。階段を上って発車案内を見ると、長野行きの列車がすぐ来ることに気づいた。慌てて切符を購入し、改札してもらう。

鉄道むすめ「朝陽さくら」さん。
キャラクター総選挙で全国1位に輝いている。マジかわいい。
目指すは一番奥のホーム。急げ急げ。
何とか間に合った。。。

馴染みのある車両が並んでいた。長野行きの車両は東急の8500系。その隣の特急「ゆけむり」は小田急のロマンスカー「HiSE」。その奥で見切れている3000系は東京メトロの03系。帯が日比谷線カラーだ。ここには写っていないが、もう一つの特急「スノーモンキー」は成田エクスプレスで使われていた253系が使われている。昔の都心を走る列車の博物館みたいな状態だ。

列車は定時通り、長野駅に向けて出発した。

席に着いて落ち着いたところで、改めて各所のダイヤを確認すると、妙なことに気づいた。今乗っている列車の須坂駅発が15:11。一方でバスが須坂駅に到着する時間は15:12となっている。

…なんで間に合った…?

長野電鉄屋代線を制覇して

ということで、無事長野電鉄屋代線を制覇することができた。

今回乗ったバスは基本的に屋代から須坂までをノンストップで繋いでいるが、たまたま自分が乗ったのが途中の松代止まりだったことで、真田ゆかりの地の松代を思う存分堪能できたのが大きかったと思う。そのおかげでこの記事も予想以上にボリュームが膨らんでしまったw

松代駅では駅舎をしっかり見ることができたが、駅舎がしっかり残っている信濃川田駅やパネルで説明していた綿内駅などを素通りしてしまった。また、路線跡の整備が進んでいなかったりして、予想以上に痕跡めぐりをできなかったのが悔やまれる。やはり廃線を制覇するなら自転車か…などと思ったりした。

ちなみに

すぐ来た列車に乗って慌てて離れてしまった須坂だが、後から自分のXアカウントをフォローしてくれた方のポストで、須坂はめちゃくちゃ魅力的な場所だぞ、とプッシュされているのを見た。

あー!もったないことをした!自転車担いでまた再訪しなければ!


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