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最高で最強の表現者の話

私には、2023年4月に出会った推しがいます。

その名を、『鈴木亮平』

ファンである私の贔屓なしに、名の知れた有名俳優では無いでしょうか。

彼には出会ったと言うより、その魅力に気が付いてしまったと言う表現の方が正しいかも。

父が見ていたあの変態仮面や俺物語は、ばあちゃんが見ていたあの朝ドラの爽やかな兄ちゃんは、ネットで見たあのガリガリの病人の役作りは、大河ドラマの西郷どんは、面白くてリアタイしていたテセウスの船は…

偶然、流行りのショートムービーアプリで見掛けたのがきっかけ。

4月に劇場版が公開された、あのTOKYOMER。
鈴木亮平演じる喜多見チーフに、一瞬で、心を攫われて以来、一向に返して貰えず。なんなら日々握り潰されているばかりなのです。

喜多見と言う人間は、人や状況を見て瞬時に判断する。その人の感情や考えを見抜くような洞察力が半端じゃない。

勿論、物語を通して彼自身も大きく揺れたり、成長したり、落胆したり、絶望したり、ピンチになったり、泣いたり、支えられたり、守られたりしていきます。

が、1話の初っ端からフルスロットルで、喜多見というドクターはまるでスーパーヒーローのような人物として描かれています。

この爽快感、ドキドキ感。不信そうな、不安そうな研修医の様子がより、視聴者側の「いや、この人多分凄いんだ…」という気持ちをかき立て、シーンごとにそれを確信に変えていく。

で、こんな喜多見チーフのありえない程のスーパーリーダーヒーロー体質を、鈴木亮平という俳優が、その顔、髪型、体格、佇まい、声、仕草、表情、話し方の全てを持って強い説得力を持たせたのです。

ふとした話し方のとろけるような優しさ、かわいらしい優しさ、はたまた威厳、圧力、かと思えばセクシーだったり、情熱的だったり。

単純に、ただ単純にその全てを心の底からかっこいいと思えた。

コロナ禍から、韓国ドラマにまんまとハマっていた私は、制作費が桁違いなことに目を瞑って、日本のドラマや俳優は韓国に負けてるな〜とか思ってた。
でも、侮れなかった。日本にはこんな、こんな怪物のような役者がいたんだ。

日本のドラマが、映画が、ちゃんと面白いということを、なんにも知らないし、偉そうなこと全く言えないのに思い出したような感覚。

彼の鍛えられたあの大きな体がもたらすのは、
時に威厳や圧力、説得力そして包容力と安心感。
私は色んな作品でこの顔が、姿が、精神が、自由自在に変化して行くのを、色んな表情や声を、ずっとずっと見ていたいなあと思うのです。

私はいつもふざけて、「色んなところで局部以外全部晒しても、ラップをしながら乳揉んでも、NHKが似合っちゃうのエグすぎ」なんて軽く言ってますが、こんなに凄いことはないんじゃないかと。

私は、人々が彼の〝イメージ〟を壊した時にこそ
本当の魅力が見えてくると思っています。

高身長大柄で、一重で切れ長の瞳で、最凶の悪役で日本アカデミー賞の場にいた彼のことを、一般世間は一体どんな印象の俳優として見ているのかということは、もう今の私には知り得ないことです。

だけど私は彼の色んな顔を、色んな姿を、世界中のみんなに知って欲しい。

私は、役を演じた後、彼が彼の元へ戻ってきた時の優しい目とその顔が大好き。

実はかなりタレ目なこと、瞳はブラウンなこと、クロールができないこと、有り得ないくらい絵が上手いこと、恋愛ものを演じるのが好きなこと、一人娘がいること、関西人なこと、あざとかわいいには弱いこと、意外と涙脆いこと、自信のなさそうな歌声が本人は気が付いてないけどかなり上手なこと…

ぜんぶぜーんぶ声を大にして言いたい。叫びたい。


彼を見ていると、勉強ができると言うだけではない賢さと、それを自分という生き物の根底に染み込ませていく事の大切さとか、ただ謙虚なだけではなく、努力を続けることの大切さが、本当に身に染みてわかる。

努力を語る時、語られる時、どこか恥ずかしそうにはにかむ表情に、私はいつも心を鷲掴みにされる。

そんな一貫して謙虚で優しい瞳の奥に、バラエティ等で見せるあの余所行きの爽やか過ぎる笑顔の奥に、隠し切れない彼の自信や根拠に根付いた鋭い輝きと威厳がいつも見える気がしている。

この春、彼が先を見据えて地道に種を撒き、努力し時間を割いて水を与え続けてきた結果が満開の花を咲かせます。

なるべくしてなったと言っても過言では無いシティハンターの実写化主演、世界遺産のナレーション、そして初のロケナビゲーターも。

全部、彼が夢中になって続けてきたことで、言葉にしてきたことでもあります。

そして、私の人生を変えた映画、2023年2月に公開された「エゴイスト」は日本アカデミー賞主演男優賞の他、たくさんの賞を取った。

つい最近のAFA(アジアフィルムアワード)のインタビュー、質問を受け取った彼の第一声から衝撃。

〝素人の私でも分かるくらい英語が上達してる…〟

その後ずっとその晴れ日の彼を追い掛けましたが、英語を使ってコミュニケーションを取る彼の姿のなんてセクシーなこと。表情の動きが違う、声の抑揚が違う。

大女優をエスコートした後の壇上のスピーチでまさか笑いを取ると思わなくて、オタクは震えました。

このままだと、彼は一体何人いるんだ???ともはや1人では無い計算になる。超人だ。

そんなことを最近は思うけれど、彼はそのタスクを全てそれはそれは丁寧に、コツコツと、愛と興味関心を持ってこなしている事が節々から伝わる。

そんなところが好き。そんなところが、心から尊いと思うし、そんなところを、心から敬っています。

彼は私を、どこまでも連れていってくれる。
私の感情や、思考や感覚や快楽のありとあらゆるものを掘り起こす。

それは、優しい瞳、深く低く響く格好の良い声や、纏う服から浮かび上がる胸筋、綺麗に上がる口角、時々飛び出す意外性。そして、その表現全て。

かわいさも、愛おしさも、かっこよさも、エロスも全て、全て100000000点。

まだまだ、見せて、魅せて欲しい。
ずっと見ていたい、ずっと魅せられていたい。


ところで私は、彼を憑依型の俳優だと思ったことは1度もなかった。むしろ、彼の演技力の種類とやらを意識したこともなかった。
なぜなら、言い表せなかったから。難しい。けどずっと彼の演技は、〝才能〟という言葉が似合わないなと個人的に思っていました。

そして彼がここ最近、『その役を生きているという感じ。だから、1度演じた役の人生が、作品が終わったあともずっと自分の中にはある。だから演じる前の自分とはまたちょっと違う自分がいる。(要略)』と言うような発言を各所でするように。

ビンゴだ。そして、私の中の彼の演技のこの最高なワケをビシッと言えない自分に対する勝手なモヤモヤが、これだーーーー!!!!!と叫びました。

これでした。私が言いたかったのはこれ。

次に、うーーん。〝才能〟が似合わないというのは、彼には作品に対する準備と努力と計算と自覚という概念がこれでもかという程にあるから。

ただ単にこれは彼のそれらを天からの授かりものとして片付けたくない…はたまた神の手柄なんぞ…といった、私というオタクのエゴもある反面。

彼の恩師である塩屋さんがまだ売れていない彼に言った『お前には才能がある』と仰られたその言葉だけは、感謝したいし、大切にしたい。複雑です。

彼は世界を見てお芝居を考えている。業界の流れも、演技や表現を届けていく方法も、他国との力の差も、その視野の広さ、目を瞑らない強さとたった一人だとしても地道に実践する姿勢。

鈴木亮平を推すということは、勝手にいつも誇らしい。そしていつも表現や付随する感情に敏感になるということ…かも。

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